左の写真に思わず吹き出してしまった私だが、事件そのものは深刻である。要するに「ドヤの大将が殺人鬼だった」という話なのだ。犠牲者は25人にも及んでいる。結構な数である。
1971年5月19日、カリフォルニア州ユバ・シティで農園を経営している日本人が、桃の木の下に何かを埋めた跡を発見した。不審に思って警察を呼ぶと、死体が出てきたので肝を潰した。
5日後に、近くの農園で同じような土盛りが発見された。やはり死体が出てきた。農園一帯を徹底的に捜索すると、合計25体もの死体が続々と発掘された。いずれも胸を刺され、頭を鉈で割られていた。中にはズボンがずり下ろされたままの死体もあった。男色行為が行われたことが推測された。
犯人の手掛かりは穴の中にあった。「フアン・V・コロナ」の署名がある銀行預金明細票が死体に紛れて埋まっていたのだ。早速、コロナの家を捜索した警察は、血まみれの鉈と、犠牲者のうち7名の名前が記載された台帳を発見した。
フアン・コロナは50年代に移住したメキシコ移民だった。当初は日雇い労働者に過ぎなかったが、やがて斡旋業を始めた。メキシコ移民やホームレスを果実栽培農家に斡旋し、手数料を取るのである。悪質な斡旋業者が多い中で、勤勉なコロナは評判がよく、商売は繁盛していた。
殺された25人はコロナが職を斡旋し、宿を貸し与えたメキシコ移民やホームレスだった。彼らはすべて2ケ月以内に殺されていた。2日に1人という凄まじい頻度である。調査の結果、コロナはかつて精神分裂症を患っていたことが判明した。
1973年1月、コロナは有罪となり、25回の終身刑を宣告された。10年後に再審が認められたが、結論は変わらなかった。
この判決には疑問が残る。まず、動機が明らかにされていない。そして、コロナはゲイではない。
この点、コロナには共犯者がいた考えると疑問は多少は解消される。その最有力候補は、コロナの腹違いの弟のナティビダッドである。ゲイだったのだ。
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