アンドレイ・チカティロ |
アンドレイ・チカティロ |
かつて共産圏は「連続殺人は資本主義社会特有の現象」と宣伝していた。だから、グラスノスチによってアンドレイ・チカティロの存在が西側に報道された時は誰もが呆れた。 |
逮捕直前のチカティロ |
24歳になったチカティロは、忌わしい思い出しかないウクライナを棄ててロシアに移り、ロストフで電話修理工の職に就いた。しかし、新天地でも惨めな生活は相変わらずだった。頭の中はアレのことでいっぱいだったが、恋人は疎か友だちさえも作ることが出来なかった。そして、仕事中にオナニーをしているところを見つかり、同僚たちの笑い者になった。 |
裁判ではチカティロは檻に入れられた |
遂に殺人を犯してしまったことへの動揺と警戒心から、チカティロはしばらくは静かにしていた。しかし、教職をクビになり、已むなく工場の補給担当者(生産に足りない物資を調達してくる係らしい)の職についてから6ケ月後の1981年9月3日、ラリサ・トカチェンコが第2の犠牲者となった。森の中で絞め殺し、屍体を切り裂きながら射精した。そして、我を忘れて屍体の回りを踊り狂い、雄叫びをあげた。 |
死刑を宣告された時のチカティロ |
チカティロが遂にお縄になったのは1990年11月20日のことである。それはゴルバチョフ政権下におけるグラスノスチ(情報公開)政策と、警察機構の立て直しの賜物であった。「連続殺人犯がいる」という情報が行き渡り、警察がちゃんと機能していれば、遥か以前に逮捕できたのである。事実、チカティロはこれまで何度も職務質問を受けていた。そして、最終的な逮捕も、殺害現場付近での職務質問がきっかけであった。日頃から警察のことを、やれ権力の犬だの、やれ公僕だのとバカにしがちな我々であるが、警察がまったく機能していない世の中が如何に恐ろしいかを本件は物語っている。 |
参考文献 |
『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社) |