1982年10月18日、リンディ・チェンバレンは、娘のアザリアを殺害した容疑で有罪判決を受けた。しかし、1988年9月15日、その判決は破棄され、1992年5月には130万ドルの補償金が支払われた。
通称「ディンゴ・ベイビー事件」で知られる本件は、偏見が冤罪を産んだ典型的な事例と云えよう。罪のない者が偏見により殺人者に仕立て上げられるメカニズムを、本項では具体的に検証する。
1980年8月17日午後8時頃、荘厳な光景で知られるエアーズロックのキャンプ場で、マイケルとリンディのチェンバレン夫妻の一家が夕飯を楽しんでいた。7歳の長男、エイダンはまだ起きていたが、4歳のリーガンと生後9週間のアザリアはもうテントの中で眠っていた。
「赤ちゃんが泣いてるみたいだよ」
エイダンが云うので、リンディはテントに見に行った。そして、叫んだ。
「大変よ! 赤ちゃんがディンゴにさらわれたわ!」
ディンゴとは、要するに野犬のことだが、町内の野良犬とはわけが違う。狼のように野生化し、家畜を襲うので畜産業者にとっては天敵のような存在なのだ。
リンディの証言によれば、
「テントに近づくと、一頭のディンゴが逃げて行きました。私はアザリアが襲われたのではないかと思い、慌ててテントの中に入りました。でも、アザリアはそこにはいませんでした」
すぐにキャンプ場の人々が集まり、地元警察と共に大捜索が行われたが、翌朝になってもアザリアは見つからなかった。
翌日の昼頃には、事件は国中に知れ渡った。新聞やテレビの記者たちが続々と現地に訪れた。チェンバレン夫妻は記者会見に応じた。この記者会見が疑惑の火種となった。夫妻の対応があまりにも冷静だったのだ。そして、その翌日にも夫妻はクイーンズランド州マウント・イサの自宅に引き上げてしまった。いくらなんでもそりゃないだろうと誰もが思った。
しかし、夫妻が冷静なのには訳があった。その信仰心が、娘の死という悲劇を受け入れるだけの力を彼らに与えていたのだ。
夫妻は「セブンスデー・アドベンティスト」の信者だったのだ。極端なファンダメンタリストで、聖書の一語一句をすべて真実であると信じており、間もなくキリストがこの世に再臨することを確信していた。こうした異端の宗派を信じる者は信仰心が人一倍強い。しかも、マイケル・チェンバレンは牧師だった。だからこそ彼らは娘の死を「神の思し召し」として受け入れることができたのである。
しかし、世間的には奇異に受け止められた。我が国でも「セブンスデー・アドベンティスト」とルーツを同じくする「エホバの証人」が輸血拒否事件を起こして変人視されたが、あれと同じようなものだったのだろう。やがて、あらぬ噂が立つようになった。曰く、
「あの赤ん坊はスーパーマーケットのカートから落ちて、癲癇を起こすようになった。だから、死んでも平気なのだろう」
「あの母親は赤ん坊の面倒を見ていなかった。食べ物も与えていなかったようだ。殺そうとしていたのだろうか」
「アザリアという名前は『生贄』という意味らしい。あの女は己れの娘を、何かの儀式で生贄に捧げたんだ」
アザリアは「神の祝福」という意味である。「生贄」ではない。また、アザリアがカートから落ちた事実もない。しかし、こうした知ったかぶりが一人歩きし、遂には、彼らが殺したことになっていた。夫妻のもとには「殺してやる」という脅迫が相次ぎ、子供たちも学校でいじめられた。
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