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マリアンネ・バハマイヤー
Marianne Bachmeier (西ドイツ)



マリアンネ・バハマイヤー(左)


グラボウスキーの射殺現場

 1981年3月6日、西ドイツの法廷で被告が射殺された。前代未聞のことである。しかも、射殺したのは、被害者の母親だったのである。

 殺されたクラウス・グラボウスキーは、少女に対する強制猥褻の常習犯だった。1975年に逮捕された時、睾丸摘出手術に同意して釈放された。睾丸を抜くと性欲が抑えられるため、ほとんどが無害になるという。ところが、グラボウスキーの場合は違っていた。少女への思いは相変わらずだった。そして、性欲を補うためにホルモン注射を受けていたのだ。

 1980年5月5日、7歳のアンナ・バハマイヤーが行方不明になった。警察の調べで、近所にグラポスキーが住んでいることが明らかになった。追求すると、彼はアンナの殺害を認めた。死体は町はずれに埋められていた。

 グラボウスキーの裁判は1981年3月3日に始まった。
 弁護人は被告が睾丸摘出手術を受けていることを強調した。つまり「彼には性欲がないので、これは性犯罪ではない。アンナが被告をゆすったので、とっさに首を絞めてしまったに過ぎない」と主張したのである。そして、検事に謀殺を故殺に軽減するように求めた。弁護人はなかなかやり手だった。彼の要求は通るかに思われた。
 しかし、アンナの母親、マリアンネ・バハマイヤーは許さなかった。2回目の公判が始まるや否や法廷を横切って被告席に近づき、ベレッタを取り出すとグラボウスキーに向けて発砲したのである。即死だった。
「This is for you, Anna.(但し、ドイツ語で)」
 そう云うとベレッタを捨てて、静かに逮捕されるのを待ったのである。

 世間はマリアンネに同情した。彼女のこれまでの人生が報道されると、その同情はさらに高まった。SS将校の娘として政治犯収容所で生まれた彼女は、9歳の時にいたずらされて、16歳で妊娠して家を出された。18歳でまた妊娠して、妊娠中にも強姦された。しかも、彼女を強姦した男は「被害者は普段から身持ちの悪い女だった」ことを理由に、わずか1年半の懲役刑に留まったのだ。
 最初の子供は里子に出して、2人目の子供は孤児院に入れた。アンナが生まれると、この子だけは手放すまいと心に誓った。アンナの父親はレストランのオーナーだった。彼はマリアンネにパキスタン人の料理長と結婚するように口説いた。大切な料理長が国外追放になるのを防ぐためだった…。
 まことに幸の薄い、踏んだり蹴ったりの人生である。

 彼女のもとには多額の義援金が集まったが、美談が広まると醜聞も広まるのが世の常である。拘置所の中でのマリアンネはスター気取りで、悲劇の母親は演技に過ぎず、本当は娘のことなど気にもかけていないなどと報道されたのである。義援金は急速に減少した。どちらが本当の彼女の顔なのか、私には判りかねるが、「本当は娘のことなど気にもかけていない」とはちと云い過ぎであろう。殺されてるんだから。

 結局、マリアンネは情状が酌量されて6年の刑に留まる。3年後に釈放されて、1996年9月17日に膵臓癌で死亡。46歳だった。


参考文献

『現代殺人百科』コリン・ウィルソン著(青土社)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


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