Home< |
◇全校人権集会2005(05/10/27) ◆「違憲判決」と「傍論」(05/10/26〜28) ◆奈良県外教第16回研究集会〜アイデンティティと人権教育(05/10/24) ◇奈高総研研究集会2005(05/10/22) ◇違憲判決を無視する小泉の靖国参拝(05/10/20) ◇改憲準備を警戒せよ!(05/10/11) ◇「一太郎・花子」裁判逆転判決(05/10/2) |
・「在日外国人の友達とは普通につき合っているので、特別に意識しようとは思わない」といった類の生徒の感想が2つ、報告文の末尾に紹介されていたことに関して、人権学習HRや人権行事の際に、こうした感想を書いたり、さらには「特別に人権問題を学習することこそがむしろ差別である」といった生徒の意識に対しては、きちっと返していかねばならないこと。 ・また、報告者は「内側の部分と同時に、民族の面からこの生徒はアイデンティティを考えているようだ」と述べていたのだが、報告文には「性別や民族以前に自分の内側の変わらないものをアンデンティティと考えている」といった在日コリアン生徒の発言が紹介されていたので、ここには落とし穴があると思うこと、の2点を述べた。 ・そして、自己のアイデンティティを、「素の自分」「個性」として、外側から切り離された内なる変わらぬものととらえようとする傾向が若者にはあるようだが、アイデンティティとは、内なる部分だけでとらえられるものではなく、外側からの規定を外すわけにはいかないこと、そして、その視点を明確にしていかないと、人権学習や在日外国人の「違い」を受けとめようとしない、先に紹介したような生徒の意見を突破できないのではないか、さらには、日本籍外国人のアイデンティティを考えるにあたっても、重要な視点ではないかと言うことを述べた。 ・もう一つ、最近あった外国人生徒ととの関わりについても紹介したが、それは省略。 |
・アイデンティティについて、外側からの規定を無視できないのは同感である。在日外国人は否応なしに外側からの規定によって、自己のアイデンティティを問われ続けている。 ・しかし問題は、外側からの規定をあまり意識せずにアイデンティティを曖昧に形成している日本人生徒と、意識せざるをえない外国人生徒とのギャップをどう埋めていくかである。 ・日本人生徒がしっかりとアイデンティティを形成することが、在日外国人問題を克服していくことにもつながるといえるのではないか。 |