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クイズ【195】
押坂彦人大兄皇子
LAST UPDATE 2005-09-20

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【195】出題日 2005年 9月13日(火)
 欽明の後、その子どもたちである敏達・用明・崇峻と続いた古代大王(現在の天皇)たちですが、崇峻の次の天皇選びでは、特に大きな政治的思惑が働きました。次期天皇の第一候補であった押坂彦人大兄皇子を退けて推古が初の女帝として即位し、推古の次も見こして厩戸皇子がその補佐として選ばれます。さて、ある一族の血を引かない人物を天皇にはさせないと、その義母を担ぎ出した黒幕は誰だったのでしょうか?
 A 蘇我入鹿 B 蘇我馬子 C 物部尾輿 D 物部守屋
応募締切 2005/ 9/20(火)午前6時 難易度・・・・★★★

正解者・・・・フーセンの羊さん、Kubocchannさん、ようちゃん、neko.さん、ケムンパスさん→3ptゲット
(得点表)

解説と解答

 kurochanの自宅書斎窓からすぐ近くに古墳が見えます。それが押坂彦人大兄皇子(おしさかのひこひとのおおえのおうじ)の墓だとされている牧野(ばくや)古墳です。奈良県では石舞台に次ぐ巨石が使われている巨大な円墳なんですよ。

 彼は、敏達(びだつ)の息子で崇峻(すしゅん)亡き後大王(天皇)候補の筆頭でした。しかし、蘇我氏の血を引いていないがため、馬子(うまこ)に睨まれます。押坂彦人大兄皇子をさしおいて即位できるのは、敏達の后の一人で馬子の姪、そして押坂彦人大兄皇子の義理の母親である炊屋姫(かしきやひめ)しかいませんでした。これが初の女帝とされる推古(すいこ)です。そして、推古の次を見こして時期大王に内定したのが厩戸皇子(うまやとのおう)、つまり聖徳太子です。そして、この人事を仕切ったのが、蘇我馬子だというわけです。正解は「B」ですね。

 蘇我氏悪玉論は明治期に天皇崇拝を盛り立てるため強調された側面があり、そのために都合がいい「日本書紀」の記述をそのまま信じるわけにはいきません。しかし、娘二人を欽明(きんめい)と政略結婚させた蘇我稲目(いなめ)以来、大王の地位と蘇我氏の血統はしばらくの間、政治を左右することになったことは確かです。