◆幼い子どもを弄ぶかのような事件がこうも続くと、怒りを越えて世を憂いる気持ちになる。政治的思惑からの教育論議はさておき、人を人として大切にする意志の弱さや希薄さの背景をさぐりたい。自らの内なる暗き情動を、それへの抵抗を容易にねじ伏せることができそうな幼児に仕向ける卑怯さはどこからくるのか。他人の痛みへの想像力の欠如からか、主客未分化の幼児性からか、内なる自我の延長でしか世界を把握できない未熟なアイデンティティからか、過度のストレスの倒錯した発散からか、心的耐性の欠如からか、地域や家庭における人間関係の希薄さからか、道徳教育や人権教育の不足からか、子ども時代の人間関係におけるトラブル解決の経験不足からか、都合のよい相手を容易に選択し排除するネット社会の影響からか、管理と競争が激化する社会環境が人間精神を歪めるからか、人生の展望を見失わせる経済社会のしわ寄せか、子どもの人権があらゆる機会に軽視されている結果なのか。社会を構成する大人の一人として、教育に関わる労働者として、子を持つ親として、自らの責任を安易に棚上げすることなく、どうとらえ、どう対応すればよいのかを真剣に考えたい。(日々雑感698「子どもの人権」より)
2005-11-4
◆中学生の教科書が有料になる日が近いかもしれない。義務制教科書無償化闘争の歴史を知るものは、いまや少ない。戦後間もない部落解放運動から始まった闘争の成果は、部落内外を問わず、戦後生まれの公立小中学生ほぼすべてが享受してきた。「受益者負担」というなら、まずは官僚や議員の特権廃止から始めよ。
◆義務教育費国庫負担廃止を唱える馳文科省副大臣が就任。金は出さないが口は出すことになる学習指導要領も分割民営化すれば、文科省はずいぶんスリムになるはずだが。
◆公取委の特例規制を見直す動きが報じられている。新聞各社は全国一律全戸配布体制が崩れることの危険性を訴えているが、教科書出版社への規制見直しも極めて危険だ。規則違反を性懲りもなく繰り返してきた「新しい歴史教科書をつくる会」を擁護するための策謀ともみえる。(時の話題vol.285より)
2005-9-14
「自民大勝」とはいうものの、比例区では与党と野党の得票比は53対47、「刺客」選挙区では郵政民営反対派が勝ち越し。とはいえ小選挙区の圧勝で与党議席数が改憲発議可能な三分の二を占めたというのが現実の結果。
小泉首相はまず後継レースを餌として大所帯に縛りをかけていく様子ですが、そうした翼賛型の組織運営が実社会や教育現場に一層浸透するのではと警戒しています。「勝ち組」を見極めて擦り寄るという発想が判断の第一基準という世の中は、結局全ての人を息苦しくさせるということに気付くべきですね。気付いたころにはもう遅いというのでは、いくらモノがあふれていようとも悲しく貧しい人生を強いる社会としかいえませんからね。憲法も福祉も教育もしかりです。(時の話題vol.273より)
2005-9-2
9/1夜の「電車男」(第9話)が最後に投げかけたテーマは重い。「エルメス」との出会いから、その後の事の成り行きを、「電車」が事細かく掲示板(スレッド)へ書き記してきたことが「裏切り」になるのかどうかだ。
判例研究や心理学、教育研究など様々な分野で、「ケーススタディ」として個別具体の事例を第三者が考察の対象とすることは多い。しかしそれは「個」を特定することが目的ではないし、「個」を特定しかねない情報は最大限伏せるのが鉄則だ。ところが、ネット掲示板の場合は、事情が異なる。
確かに「電車」は「青山さん」を「エルメス」と言い換えているように「個」の特定を避けるための配慮はしている。「エルメス」を特定されることで「電車」自身が特定されることを避ける側面もあるが。しかし、「電車」や他の「住人」の意図とは別に、無責任な、時には悪意の閲覧者がいることを無視できない。目的を共有するメンバーに限定するならメーリングリストや電子会議室を使うべきである。それでも悪意は排除しきれないが。
まして、近しいものに「個」を特定させうる記述は、柳美里「石に泳ぐ魚」出版差し止めに通じる問題をはらむ。これが、日常接触している者の間で発覚すれば、その関係が危機に瀕するのは避けられないだろう。僕が「ケータイと子どもたち」などに身近な具体例を書けないのもそのためである。
そして、実際のネット上には、悪意とともに「個」を特定させようとする書き込みが横行しているのが実態であり、子どもたちのサイトでのBBSフレーミング(ネットバトル)はテキストの先鋭化によって第二の佐世保事件を生みかねない危うさがある。いやすでに日常的な警戒心が息苦しさを子どもたちに強いていることに気付かねばならない。目の前の二人の友達が、自分の悪口ケータイメールを交わしている場合さえあるのだ。そんなキワドすぎるテーマを「電車男」は次回どう描くのだろうか。(日々雑感653より)
2005-6-25
奈良県立高校の教員が覚醒剤所持の疑いで大阪府警に逮捕されたとの報道。彼の勤務校では、二週間以上連絡不能ということだったようだが、その間、警察の取り調べを受けていたのだろう。随分前に同僚だったことがあるが、肩肘はらない趣味人の彼は、吹奏楽の指導では相当な実績をもちながらも、謙虚で真面目な人だった。当サイトを開設した当初、彼がPCにも詳しいことを知り、サイト作成についてもいろいろと話をしたものだ。型にはまらない人ではあったが、文字通り身を粉にして倒れるまで働いてきた彼が、なぜ覚醒剤なんかを所持していたのかと思うと、割り切れなさがぬぐえない。彼が担任するクラスや指導するクラブの生徒、そして保護者や多くの卒業生に与えるショックは大きいし、彼が自ら求め覚醒剤を所持していたのなら、明らかな犯罪だ。しかしながら、彼の働きぶりを聞き知れば、彼の弱さと同時に、彼を追い詰めた教育労働の実態に大きな疑問を持たざるをえないように思う。県教委も彼の処分を検討するだけではなしに、教育現場の構造的な厳しい実態を自らの責任において受けとめてほしい。教員の不祥事は、個人的資質だけに帰されるものばかりではない。構造的な教育現場の実態が作り出す側面を見逃すことはできないし、それは教員のみならず未来を担う子どもたちをも歪めるものなのだ。大人との関わりがますます希薄化する子どもたちは、我々教員の働く姿を、「身近で数少ない働く大人」として、教科書以上にしっかりと見つめていると強く自覚したい。(時の話題vol.261より)
2005-5-5
北京の「反日」デモは、一部暴徒化しているのは残念な話だが、基本的には真摯に受けとめるべき隣人の忠告だと受けとめるべきではないか。歪んだ歴史認識による排他的愛国心を煽る「つくる会」歴史教科書の検定通過や、従軍慰安婦問題もみ消しを意味するNHKの番組改竄と政治圧力、戦後補償はしないが靖国参拝はするという日本の政治に危機感を感じない方がおかしいし、天皇制強化と9条改憲を露骨に進めようとする日本が国連安保理入りするというのだから、抗議行動は平和を維持しようとする市民の務めだとさえいえよう。当然、中国に返す言葉があってもいいし、アメリカに返す言葉もあっていい。対話無き圧力や追従の外交はもうやめよう。(時の話題vol.254より)