此度の聖杯戦争は何かが狂っているらしい、と、召喚したサーヴァントは言った。
 それを素直に受け止められたのは、召喚されたサーヴァントが望んでいた英霊とは似ても似つかぬ、全くの別人であったからだ。
 触媒が役に立たなかったのだろうか、と思ったのだが、かのサーヴァントは違うと言う。
「役には立った。私に相応しいクラスは、確かにこれだからね」
 本来、呼び出されるはずの英霊のクラスに引きずられるように、サーヴァントが召喚された、ということらしい。
 ということは、もし正規の英霊が呼び出されていれば、望んだとおりの英霊が召喚されていたということだ。
 そのことを残念に思わなくもない。
 しかし、聖杯戦争自体は行われる。私心を切り捨て切り替えて、自身の全力を尽くさなければならない。
 尽くさねばならないのだが……サーヴァントがなかなか言うことを聞いてくれない。
 ただでさえ日中の活動が著しく制限されるというのに、夜の活動時間に個人行動を取られては、迂闊な行動が取れない。
 二、三日は口論になったのだが、結局こちらが折れた。
 下手をすれば令呪使わなければならないほど、サーヴァントは我が侭かつ強力だったからで、そういう意味では心強い。
 まだ聖杯戦争は始まっていない。前準備や下調べは昼間の内に単独でやってしまっておけばいい。
 そうして今日も昼間に動き回り、主要なポイントを確認し終え、近くに在る魔術師の館を警戒しつつ、拠点の洋館に戻る。
「お腹がすいた」
 夜になり、目を覚ましたサーヴァントが空腹を訴えた。
 それは擬似的なものであるのだが、我が侭なサーヴァントは己の欲求を通す。
 溜め息を吐きながら、魔力の供給にもなるため、サーヴァントの要求に応じた。
「……今夜も、貴方は単独行動ですか?」
「そうなるね」
 いけしゃあしゃあとサーヴァントは言い、
「――何、色々小細工したが、今夜で大筋が決まるよ」
 どこか遠い目をして、告げた。






 東方Fate(仮題)







 二月二日の日常も、やはりこれといった出来事は無く、終わった。
 下校途中、深山町マウント商店街で夕食の買い物をし、帰宅。軽く腹ごしらえをして、凛とライダーは深山町を歩き回る。
「ここが深山町の分岐点。学校、商店街や、柳洞寺っていう山の上のお寺、昨日行った新都にも通じてる」
 交差点でライダーに確認させる。
 一応、昨日も言った内容だが、念のため。
「ここを抑えておけば、深山町を拠点とするマスターを把握できる」
 聖杯戦争が始まれば、ここに使い魔を置くことになるだろう。まだ始まっていないから余計な波風は避けるけれど。
「……うん」
 魔術の気配はしない、と凛は頷いた。
 次に、ライダーが「お寺?」と興味を示すので、柳洞寺に向かう。
 大橋とその傍の公園は、新都へ向かう際に見ていたので、後回し。
 学校を休めばもっと念入りに見て回れるのだろうけれど、そこまですることはない、というのが凛の判断。
 ライダーはともかく、凛は十年前から聖杯戦争に備えているのだ。主要な地理はわかっている。
「結界が張られてるんだな」
「え?」
 柳洞寺の在る山の麓、長い階段に足をかけようとしたところで、ライダーが言った。
「サーヴァント向け……いや、霊的な結界だ。相当昔からあるんだな。こりゃ、正面以外から入るのは厳しいぜ」
「へぇ……。柳洞寺は龍脈通ってるし、ここに陣を敷いたら勝ち抜きやすそうね」
 アリスだったら絶対に確保するだろうなぁ、とライダーは呟き、
「しかし守りに徹するのは趣味じゃないぜ」
 と、不敵に言った。
「同感よ。まあ、ここには劣るけど遠坂邸も霊脈の上に建てられてるから、わざわざ拠点を移す必要はないでしょ」
「それに、一成の実家だしな」
 むぅ、と凛が唸った。
 穂群原の生徒会長、柳洞一成と優等生遠坂凛は宿敵である。
 ……寺の調査は早々と切り上げたほうがいいか、と凛は嘆息した。



 そうして深山町を回り、郊外の森の入り口まで行ったところで、一度家に戻ることにした。
 時刻はまもなく八時。そろそろ聖杯戦争が始まっても、おかしくはない。
「でも、綺礼からの連絡はなし、か」
 凛は冬木のセカンドオーナーである遠坂の当主なのだ。
 開始の合図ぐらい、監督役の言峰綺礼は伝えるだろう。
 それがない、ということは、あと一騎、揃っていないということ。
「うーん」
 しかし、今夜中にでも召喚されるのだろう。
 一昨日、期限まであと二日と告げた、監督役の仕事は確かなのだから。
「よし。もう一回り――」
 しよう、とソファーから腰を上げようとしたタイミングで、
「――マスター、サーヴァントの気配だ」
 ライダーが、真剣な口調で告げた。
「――――…………」
 喉元まで出かけた、敵か? という問いを飲み込み、凛は黙考する。
 この地で行われるのは戦争だ。
 同盟を結ばない限り、他のマスターとサーヴァントは全て敵なのだ。
「速いぜ――」
 追うか無視するか、とライダーが尋ねる前に、凛は判断した。
「――追うわよライダー」
 一人ぐらい、先に顔見せし合ってもいいだろう。
「了解」
 にやり、と笑みを浮かべるライダー。
 素早く家を出て、ライダーに方角を確かめる。
「学校のほうに向かってる。――それにしても速い。乗れ!」
 箒に跨り、宙に浮かぶ。
 昨晩とは違い、加速度をキャンセルする結界も付与された飛行で、数秒で上空へ移動し、目標の気配を再補足。
 クラス補正で騎乗時の能力が上乗せされているのか、思いのほか簡単にできたようだ。
「やっぱり学校のほうに向かってるみたいだ」
「何のために?」
「さあな。忘れ物でもしたのかもしれないぜ」
 例えば、多くの人間が集まる学校という場に、人の力を奪う罠を仕掛けるというような。
「――急ぎましょう」
「了解」
 ぐん、と急降下への急加速。今回は恐怖を感じない。
 瞬く間に学校の校舎が近づき、校庭に着地する。
「ここまで近づけば、向こうもこっちに気づくはずなんだが……」
 サーヴァントはサーヴァントの気配を感じ取れる。
 キャスターへの適正が高いライダー故に、その感知能力もやや高いのだが。
「そりゃあ、派手にやってきたら気づくはずね」
 ある意味、こちらを気づかせるための飛行でもあった。
 しかし、サーヴァントの気配はこちらに目も暮れず校舎の中へ入っていった。
「何がしたいのかしら……?」
 やはり罠なのか、と思案するが、結論は出ない。
 罠であろうと、真正面から挑む、と凛は決め、校舎の中へ。
 そして唐突に、
「――――!?」
 強力な魔力を感知。
 校舎の窓、廊下の一角から、紅い光が広がった。そしてすぐに消える。
 ――校舎に人が居たのだ。
 そして、何かを仕掛けようとしていたサーヴァントが、迂闊な目撃者を消した。殺した。
「――――っ」
 秒間の思考に、凛は奥歯をかみ締めた。
 即座に脚に魔力を叩き込み、走る。
「――――」
 正直なところ、遠坂凛は楽観視していたことを否めない。
 此度の聖杯戦争は異常で、英霊ではないサーヴァントが呼び出され、日常は変わらず回り続けていた。
 油断、ということも出来る。
 何の落ち度も無かった、ということも出来る。
 その場その場の最善を尽くし、それでも唐突に訪れたこの事態は、交通事故となんら変わらない出来事だ。
 凛に責任は無い。責任を感じる必要はない。
 こんな時間に校舎に残っていた奴の運が悪いのであり、戦争の準備をしていたサーヴァントは、魔術師の倫理に於いて、間違ってはいない。
 目撃者は消す。神秘は秘匿する。
 そんなものは、生まれた時から教えられ続けていた。
「――――」
 ただ少しだけ、本の少しだけ薄れていた気がする。
 傍らを併走する魔法使いの少女の存在が、本来あるべき壁を薄くさせていた。
 ――そんな錯覚は、持ってはいけなかったのに。
「…………っ!」
 辿り着く。終わってしまった場所に到達する。
 倒れた被害者――制服を着た男子生徒。
 鮮血が床に広がり、血の匂いが漂っている。
「……ライダー、サーヴァントを追って」
 深追いはしなくてもいいけど、マスターの顔ぐらい見てやりたい。
 ああ、と口数少なく、ライダーが走っていく。
「…………」
 そして遠坂凛は、まだ辛うじて息のある男子生徒を看取ろうとして――
「――――…………なんだってアンタが」
 ――薄くなっていた心の壁を、破壊した。



「……ああ、やっちゃった」
 ついさっきまで在った切り札を、というより自身を悔やむ。
 魔術師にあるまじき心の動き。
 それを肯定しきってしまったのは、一重に、
「すまん。相手が速過ぎた。あのスピードから言えば、ランサーだと思うんだが」
 戻ってきたライダーの、その影響に違いない。
「そっか」
 別に不満はない、と凛は強がった。
 学校に何かが仕掛けられた様子はないし、男子生徒の命も助かった。
 凛一人が損をしたが、そこに凛自身が価値を見出せばいいだけだ。
「貴方の『お仲間』だった?」
「さてな。気配を頼りに追いかけたが、姿は見れなかったし」
 ランサーというと一人心当たりがあるが、ライダーは頭を振る。
 凛も一応は、ライダーの『お仲間』の誰がどのクラスに該当しそうだとか、聞かされていたから、深くは訊かない。
「ただ、やはり向こうもこちらに気づいてたな。ある程度行ったところで、撒かれた」
「……はぁ、本当に私の一人損か。ツイてないなぁ」
 飛行するライダーを撒けるスピードを持つサーヴァント、というのが二度の飛行体験をした凛には想像し難いが、仕方が無い、と割り切る。
 帰りましょう、とライダーに言い、
「ちょっと待て。これ、置いていくのか?」
「――――え?」
 ……ライダーの手には、切り札だったペンダント。
 そういえばこの子は蒐集癖があるんだったかなー、と凛は思い出し、
「要らないなら貰うぜ?」
 という言を、
「――駄目」
 ノータイムで拒否して、ライダーの手からペンダントを受け取った。
 その行為に大した意味はない。心の贅肉だった。
 ……凛は、ふと、
(ライダーは遠回しに気を利かせてくれたのかな)
 と思った。







 そして、三時間後、
「てっきりもう“処置済み”だと思ってたんだよ!」
「ええ、もう完っ璧に私の責任よ!」
 三度、ライダーの背中にしがみ付き、空を翔る凛とライダー。
 目撃者の記憶を消し忘れるという失態を犯した凛に悪態を叫びながらも、ライダーは箒に力を込めて、男子生徒の家を目指してくれる。
 惜しむらくは、夜の上空からではうろ覚えに知っている彼の家を探し当てられず、低空飛行で道路を駆け抜けるしかないということ。
「そこを右!」
 凛の案内に応じて、ライダーは箒を捌く。
 キャンセルできない加速度を、体勢を傾けて受け流す。
 時刻は零時。
 もうとっくに手遅れになっていてもおかしくはない。
「あそこだ――」
 和風の住宅地のさらに端に位置する武家屋敷。
 大きな敷地を塀が囲って、中の様子は窺えない。が、
「――居るな」
 ライダーは呟き、箒に急制動をかける。
 このまま箒で塀を超えるかどうか、指示を待った。
「……飛び越えて止めるしかない。その後のことはその時に考える――――!」
 凛の意思確認。ライダーはそれに答え、箒を飛ばそうとし、

 ――――――――!!

 屋敷から、閃光が溢れた。
 現れる強烈な存在感。
 離れていても圧倒される魔力量。
(なんだコレ――)
 サーヴァントの召喚が行われた、とは分かる。
 しかし、この存在感は、化け物だ。
「うそ――――」
 気配が一つ、屋敷から飛び去っていく。ランサーのサーヴァント。
 あっさりと人一人を殺したランサーが、逃走を選択するほどのサーヴァント。
 その脅威を感じつつ、正常な判断力を失った凛の脳裏には、
(良かった、彼は助かったんだ)
 どうしようもない、安堵が掠めていた。
 呆けた頭は、次の瞬間に訪れる出来事に対応できない。
 風が吹き、月を雲が隠し、闇に覆われ――その闇の中、塀を跳び越えて、斬り掛かってくるサーヴァント――
「――――!」
 ライダーは咄嗟に箒を走らせて、斬撃を回避した。
 本当にギリギリだった緊急回避は、箒のバランスを崩し、二人は地面に転がって塀にぶつかりかける。
「――――っ!」
 思考力を取り戻す凛。
 続いてくるであろう斬撃に備えようとして、
「――――なるほど。此度の聖杯戦争は確かに異常であるようだ」
 鈴のような少女の声を聞いた。
 こちらを油断無く窺いつつも、追撃は来ない。
 雲が晴れて、月光が降り注ぐ。
 現れたサーヴァントの姿が明らかになる。
 蒼の装束、銀の甲冑、金の髪。
 手には見えない何かを握り、凛とライダーへ突きつけるように向けている。
 その何かは、僅かに剣のようなものが透けて見えた。
(ああ、これが――)
 セイバー。剣の、そして、最優のサーヴァント。
「――――」
 直感する。
 彼女は、“本物”なのだと。
 今一つ、実感に欠けていたサーヴァントという存在。
 その曖昧な認識を見事に塗り替える圧倒的な存在感。
 凛が呼び出したかった、セイバーの英霊(サーヴァント)。
 それが今、目の前に立っている。
 あまりのことに目が放せない。
「…………」
 だって――


 ――そのセイバーが、こんな、可憐な少女だと、誰が思うというのか。




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