このQuodlibet とは「ごたまぜ」、「寄せ集め」とか、「メドレー」という意味のドイツ語です。
過去の Quodlibet: 2003年 5月
親知らず続報(笑)。だいぶ痛みも引いてきました。前はしょっぱいものを食べると、傷口に凍みていたいたのですが、それも無くなってきて、ようやくご飯ものも食べられるようになってきました。これならいけるか、と楽器を吹いてみたのですが、これはまだダメですな。中音域はまだ良いのですが、チューニングで使うBbの音以上になると、右側の奥の方が息の圧力を支えきれず、痛みが走ります。治療は前歯じゃないから、演奏には影響ないと踏んでいたのですが、そんな単純じゃないんですね。楽器は健康でなければできない、ということでしょうか。

転んでもタダは起きたくない、というわけでもないのですが、何とか痛くならない吹き方はできないものかと検討してみました。リラックスしているときは痛くない。痛いということは力が入っているから痛いわけで、その力が必要以上であるならば余分な力を抜くことで演奏ができるようになるのではないか、と色々試してみました。。痛いなと思う場所は、耳の下あたりの物を咬むときに緊張するあたりです。ここは演奏上どうしても力を入れざるを得ない部分ですから、根本的には傷が直らないとどうしようもないですね。でも、ベルを上げ気味にすると、痛みが軽減することがわかりました。(逆に下げ気味の上体で上の方の音を出そうとすると痛いです)。高い音を出そうとするならば、ベルはアップ気味にしたほうが良い、という話はありますが、これは合理的な緊張とリラックスができる姿勢に近づくからなのかもしれませんね。

そんなわけで、勉強にはなりましたが...やっぱり痛い。早く直らないものか...(2003/5/31)


親知らずを抜いた痛み、まだ続く。幸い、腫れは大きくはないのですが、歯肉を切ったところの腫れが喉の方まで広がっており、ツバを飲み込むのも痛いです。今日もヨーグルト、うどんの食事が続く。(2003/5/27)

親知らずを抜きました。右下の親知らずと、その手前の奥歯の間が虫歯になっており、「それほど焦った状況ではないけれど、いずれ問題になるので治療をしたほうが良い」、掛かりつけの歯医者さんの診断により、この際、直してしまおう、と決意した次第。

親知らずはご多分に漏れず、まっすぐは生えておらず、私の場合は真っ直ぐ前を向いているのです、それは見事に。しかも、完全に表に出ているわけではなく、歯肉に殆ど埋まっている状態なので、1.まずは歯肉を切って親知らずを表に出す、2.そのままでは抜けないので、歯を分割して取り出す、という工程で治療することになりました。私がお世話になっている歯科医では、これらのことをきちんと説明してくれるので安心して治療を受けられました。

麻酔がよく効いてくれて、親知らず周辺をオペする痛みはなかったです。が、問題の親知らずが、あまりに見事に根付いていたようで、なかなか抜けず。下の歯なので、歯にグイグイと力がかかると、顎が持っていかれます。もー、顎が外れるかと思いました...。結局、親知らずは3分割され、めでたく摘出終了。抜いた歯を見せてもらいましたが、抜くのが惜しいくらいしっかりした歯でした。(てっぺんのところは虫歯気味でしたが)。

手術はお昼に行ったのですが、その後、尋常じゃない痛みが...。これも痛み止めの薬が効いてくれて、精神崩壊は免れました。が、体全体に力が入らず。学生さんが持ってきた実験レポートを半分貧血状態でみたまでは頑張ったのですが、このままでは実験室で事故を起こしそうなので、半休を頂いて帰宅しました。もー何もする気になれません。(と書いているこの文章は後日書いたものです) (2003/5/26)


今日のレッスンでは、リストの愛の夢、シューベルトのセレナーデ、ブラームスのワルツを取り上げました。原曲はピアノ、弦楽合奏だと思いますが、これらのイメージを損なわずにトランペットで表現するというのは難しいですね。

と、最初は考えていたのですが、「いかにそれっぽく吹くか」、ということよりも重要なことに気づきました。結局、「唄」なのではないか、と。スラーがついているからとか、強弱記号の指定があるから、といった目に見える情報に惑わされてしまって、肝心なところの気配りができていないからギコチナイ演奏になっているのではないか。先生からは、もっとフレーズを大きく取った方がよいのでは?、というアドバイスをいただきました。楽譜の先をもっとみて、フレーズを吹き始めたときは、フレーズの終わりまでを見通して吹くように、と。そこで、シューベルトは、テノール歌手が(しかも傷心の)せつせつと歌うような風景を思い浮かべてみました。手馴れた歌手は、フレーズをブツ切りにして歌うようなことはしませんからね。そう思って吹いてみると、あぁなるほど、シューベルトは、たとえ器楽曲であっても、唄を作りたかったのではないか、と。パイパース連載のN響オーボエ奏者、茂木さんのエッセイでも、「ベートーヴェンの第9の4楽章の、歓喜の主題を引き出すまでの過程には、歌詞がついている」というお話がありましたが、その話、大いにうなずけます。

その他に頂いたアドヴァイスとして、「フレーズの頂点を「点」で捕らえないで、音符にわたってピークを作っていくほうが良い場合がある」、ということも教えて頂きました。(ピーク付近で抜かないで、緊張を維持するということ)。唄うって、面白いですね。(2003/5/25)


6月号のPIPERSに記載の、元東京都響クラリネット奏者、山本洋志先生による記事で、私が考えていたことと同じような記述を見つけました。山本先生は、全国各地の吹奏楽部の指導に飛び回っておられます。現場で行われている、非合理的な練習法について、いろいろ書かれていました。おや、と思ったのはチューニングに関することで、「チューニングに15分〜20分なんてもんじゃなくて、40〜50分もかけている。これは考えられない」。 「口の形が『出たとこ勝負』になっているから、永久に音が合わない。だから一時間もチューニングに時間が掛かってしまう」。 結構、あてはまる現場って、多いのではないでしょうか。

山本先生の記事を盗み見て書いているわけではないですが、私の考えを書きます。同一人物が、同じ楽器、同じマウスピースを使って、同じぶんだけチューニング管を抜いた状態で、同じ音を同じピッチを狙って吹けば、そんなにピッチはズレるはずはないと思います(もちろん、似たような温度で)。それは、数学の方程式が、同じ境界条件で解けば、常に同じ答えをだすのと同じことです。同じ442Hzなのに、昨日と今日で1cmも管の長さを変えないとあわない、というのは非常にヘン。

どうして1cmも管を動かさなければならないか。それは境界条件が安定していないからではないでしょうか。1つはフィジカルな面の条件、もう1つはメンタルな面の条件。フィジカルな面というは、口の形、息の圧力、などです。メンタルな面というのは、頭の中でなっている音。この音のイメージがずれていてはどうしようもありません。メンタルなピッチは、フィジカルなピッチよりも重要かもしれません。特にラッパの場合は、管の長さとは関係なく、いくらでも変な音が出ますからねぇ。

上に書いた境界条件を安定させれば、ピッチは安定するはず。それにはどうしたらよいか? 山本先生曰く、それがロングトーンの練習なのだと。なるほど、なるほど。そういえば、中学生の頃は、「なるべく長く音をのばす=ロングトーン」という教わり方をしたように思いますが、長くのばしている音がきちんとした音でなければ、意味はないですね。「なるべく音が揺れないように」、なんて注意を受けたりすることもありましたが、そんなことよりも美しい音のイメージで吹くことを心がけた方が良いように思います。ただし、中学生に美しい音で吹け、なんて言ってもわかってもらえないでしょうな。そういう時は、それなりのキャリアのある人が、側で吹いてあげるのが一番でしょうね。基本的に、想像もつかない音、というのは滅多に出ないものですし。

別件ですが、この号のPIPERSには、バイエルン放送響の主席Tp奏者、ハネス・ロビンさんのインタビュー記事も載ってますね。ロータリー、ピストンの使い分けや、ドイツタイプ、ウィーンタイプについても書かれていて、非常に勉強になりました。バイエルン放送響、生で聴いてみたいなぁ。(2003/5/20)