このQuodlibet とは「ごたまぜ」、「寄せ集め」とか、「メドレー」という意味のドイツ語です。
過去の Quodlibet: 2002年 6月

学会参加の申し込みも済んで、一息ついたところです。次の学会は新潟、つまり酒どころ。日本酒党の私としては、是非とも行ってみたかった場所なので、楽しみです。こんなことを書くと不謹慎かもしれませんが、アカデミックな興味意外にも、研究を進めるモチベーションというのは存在するワケで、どこそこへ行きたい、というのは結構、学会参加を決める上で重要なファクター。嗚呼、ヨーロッパの学会で、私が発表できそうな学会、無いかな?

私、大学に籍をおいていた頃には、大学オケに所属していました。そのOBが集まって演奏会をする、いわゆるOBオケは、毎年開かれているのですが、今度、それに参加することにしました。私の同期の友人が誘ってくれたのがきっかけです。これが実現すると、約10年ぶりにオーケストラでラッパを吹くことになります。いつの日か、またオケで、というのは卒業以来の願望でしたが、こういう形で話が舞い込んでくるとは思いませんでした。これは誘ってくれた友人に感謝、です。

問題は曲なのですが、どうやら悲愴をやるらしい、とのこと。実は、学生時代に悲愴は2ndで吹いたことはあるのですが、2nd にしても手に余ったのを覚えています。チャイコフスキーは、吹けば吹いただけ鳴らせる気がして、金管奏者に取っ手は「無限地獄」が待っているので要注意ですね。(ワグナーも要注意。それに、悲愴はTp.もキツイけど、Tb.の方がもっとキツイかも?)。とりあえず、スコアをみて勉強しておかなくちゃ。

日曜日の市民バンドの練習は、ポップス曲を中心にした練習でした。私にはポップスのカン所、というのが正直言って良く分かりません。メリハリを付ける、というのは必要だとは思いますが、私がやると、「作っている」(=わざとらしい)メリハリのような気がします。それが正しいのかどうかは分かりません。それと、ある特定の音符を強調したりするのは、パートなり、バンド全体でまとまってやらないと、客席では分かりにくいように思うのですが、具体的な指示もないので、てんでんバラバラです。みんなそれぞれに何か考えているのかもしれませんが、私にはよく分かりません。40人いて、みんな何かを考えているのかもしれないし、何も考えていないのかも知れない。結局は、平均化されたものしか客席に届かない、ということになると、メリハリを望むのはお門違い、という気がします。もっとも、私はポップス曲では、下の方のパートの降ろしてもらっているので、そんなに目立たないとは思いますが。(2002/6/30)


22日(土)、私が所属している市民バンドで、依頼演奏会に参加してきました。場所はとある小学校。「音楽鑑賞教室」ということで、公式の(?)学校行事です。会場は学校の体育館。ここでマーチや、讃歌、ディズニーメドレー(岩井版)それに楽器紹介などで1時間ほど演奏してきました。

演奏する前は、子供達の反応はストレートだから、面白くない(というか下手な)演奏だったら聞いてくれないだろうな、とバンドの中でも言っていたのですが、何とか小学生の耳にはかなった演奏だったようです。オープニングは、その小学校の校歌をアレンジした(指揮者殿、アレンジお疲れ様でした ^_^)ものを吹いたのですが、小学生、一緒に歌ってました(笑)。楽器紹介でも、知ってる曲だと歌声が聞こえてました。なかでも、クラリネットの「おさかな天国」はウケてましたね。音楽鑑賞教室、という目で見ると、演奏中に歌っちゃうのはダメなんでしょうけれど、私としては、良い雰囲気で吹けたので、あの歌声に救われた気がしています。

ラッパの楽器紹介は「アイーダ」を吹きました。(ワールドカップ時期のお約束ですね)。さすがに知られた曲だけに、子供達から反応もあったようで、言い出しっぺの私としては胸をなで下ろしている次第。他のパートは、ちゃんと和音をつけたりして力作揃いだったのに、ラッパは4本のユニゾンだったので、ちょっとズルいかも?

全体としては、演奏席で聞いている限りまずまずだったのではないか、と思いました。難を言えば、今回の曲の中では、比較的安全牌と言われていた讃歌の出来が今ひとつだったことでしょうか。穏やかで優しい感じの曲ではありますが、メリハリがなくて聞いていても何だか分からなかったのではないでしょうか。確かに場所が体育館で、お互いの音の聞こえ方が普段の練習室とは違う、という状況ではありましたが、奏者同士の連携を取ることと、メリハリを出すためにも、新しいフレーズの始まりは、もっと積極的に吹く方がよいのではないか、と思いました。と、言ってる私も、結構イッパイイッパイだったので、自責をこめて。

やってみて素直に楽しかったと思うし、良かったなとも思います。人前で演奏するチャンスを持つ事は、大事だし、良い雰囲気で演奏できた経験を持つことは、重要ですし。それにしても、終わってから腰というか背中が痛くて...。疲れが背中にくるということは、トシだということなのか? 今回は、父兄の方々も来られていたようですが、中には私より若そうなお母さんとかお父さんも見えました。そういう現実からは目をそらすことにしよう。

音楽教室と言えば、山本直純さんが18日に亡くなられたそうですね。小澤征爾さんには、「ボクは日本の音楽の底辺を作るから、君は世界を目指せ」と言ったとか。コンサートでは、日本の童謡や唱歌をアレンジして、よく取り上げていたそうですが、そうした活動があったからこそ残った曲というのも、意外にあるのかもしれません。直純さんがいなかったら、と考えて、失っていたはずのものがあると気づくということは、やっぱり惜しい方が亡くなったのだと思います。(2002/6/23)


いろんな疲れがどっと出て、しかも仕事の都合もあって、なかなか更新ができませんでした。今も実験室で真空引きの待ち時間を使って書いています。

日曜日。レッスンでは、クラークのテクニカル・スタディーを取り上げました。この教本は、非常に簡単なパターンの連続で、例えば、ドレドレドレドレ....と延々と繰り返すといった感じの課題が、半音ずつ調を上げながら、沢山載っています。これは指の訓練のようにも見えますが、どちらかと言うと、息の使い方とか、唇の柔軟性を鍛えるのが趣旨のようです。

最初は、目先の音を吹くのに一生懸命で、まず、ド、次にレ、またド、という感じで吹いていたのですが、そうではなくて「ドレドレ」という塊で捕らえるようにすること、そして、吹くときには、イメージとしてドに行ったりレに行ったりしないd、自分の位置はどっしりと動かさないようにする、ということを教わりました。こうしてみると、確かに、安定して吹けるし、音にも慌てた感じがなくなるようです。

これは曲中でも考えると良いことで、レッスン後半のハイドンのコンチェルトでも、同じ事を言われました。音符1つ1つを吹くのではなく、塊として捕らえるようにすること。そのためには、吹く前にフレーズ全体を頭でイメージして、それから音を出すのだそうです。あらかじめ、吹き方をプログラムしておくと、気のせいか高い音になっても余裕と確信をもって吹くことができるようです。非常に単純なことなのですが、これで自分でも驚くほど音が変わって聞こえます。不思議なものです。

レッスン終了後にCDショップを覗いたら、シノーポリ/ドレスデン国立歌劇場管弦楽団(ドレスデン・シュターツカペレ)のベートーヴェンの第九のDVDが置いてあったので、かって来ました。これは、2000年1月に、NHKホールで行われたライブを収めたものです。

この演奏については、ネット上で見る限り、あまり良い話は聞いたことがありませんでした。何回か繰り返して見てみましたが、なるほど、ドレスデンの演奏にしては、つまらないミスが多く、アンサンブルにもちぐはぐな所が見られたように思います。ホルンは、あのダム先生がソロをとられていましたが、らしくないミスがあって、残念。(でも、ひいき目かもしれませんが、ソロ以外の部分でも、オケの中にあってあの音の存在感は、十分に堪能できました)。トランペットは、ローゼ教授ではなく(これは、このときの来日公演の別プロで、ローゼ教授がマーラー5番のソロを吹くため?)、あの「多くを音で語る」姿が収められていないのも、個人的には残念でした。独唱陣も、互いに競い合っているように聞こえるところがあって、ちょっとガチャガチャしているように思えました。特にソプラノが一杯一杯な感じがしました。この曲では、独唱陣も合唱も、「頑張ってます!」という演奏は似合わないですね。

ただ、ちょっとしたところにカペレらしい演奏が覗き見えていて、いろんなミスはあっても、見所はいろんなところにあるディスクです。伴奏に回ったときの弦の、何気ないフレーズにも歌があって、でも全体の中ではうまく消えているところとか、音量はそれほど出ていないのに、十分なフォルテが感じられるところなどは、カペレならでは。この光と影の作り方は、他のオケでは聞けない美点でしょうね。

このディスクには、シノーポリのインタビューと、リハーサル風景も収められています。リハーサル風景は、第4楽章の合奏が録画されていますが、この時の演奏は音楽の指向性が非常に揃っていて、良いです。それと、意外(?)だったのは、指揮をしながら合唱を一緒に歌っているシノーポリの声が優しくていい声だったのが意外。もっと名演を残してほしかったコンビです。(2002/6/20)


実験室で、ヘマをして、左手小指の先をひっかいてしまいました。本当にかすり傷なのですが、キーボードを打つにはやっかいです。ローマ字打ちだと、[A]が打ちにくい...。

日曜日。午後に亀山さんのアトリエで、マウスピースの調整をしていただきました。今までは、ロータリー用のマウスピース(ヤマハの15E4)を吹くのが体力的に辛いので、ピストンラッパ用のマウスピース(15C4)を使っていました。こちらだと、割合制御もできて、ある程度余裕をもって楽器を操れていたのですが、音質がどうしても硬いのが気になっていました。そこで、今使っているピストン用のマウスピースと同じものをもう1つ用意して、カップの形状の変更をお願いした、という次第。

金管楽器のマウスピースには、いろいろな構成要素があります。口が直接当たるのはリムの部分。これは基本的に今のままで良いので今回はいじらない事に。カップの部分の、首の部分の形状にテーパーをかけていくと、深みのある音になっていくようです。と、同時に、スロートやバックボアと呼ばれるパイプ状の部分の形状も、カップの深さに合わせて内径を調整しないと、とても吹きにくくなるそうです。マウスピースも、全体のバランスが大事なのだそうです。

調整に先だって、カップとバックボアがネジ止め式になっているお試し用のマウスピースをお借りして、いろいろな組み合わせを試してみました。その中で、丁度よさそうな組み合わせを探して、調整の目安をたてました。調整、というのは旋盤を使ってマウスピースを「削る」わけですから、基本的にはやり直しは利かないのです。

削ってもらったマウスピースと、削っていないマウスピース。2つを吹き比べてみました。自分では、よりロータリーっぽい音に近づいたと思っているのですが、実際のところはどうかは分かりません。少なくとも、亀山さんに吹いて頂いた時は、圧倒的に削った後の方が、音の圧力を感じられるようになりました。ほんの1mmも削っていないと思うのですが、これだけで随分違いがでるものです。改めてびっくり。

ただ、心配もあります。削ってもらったことで、以前よりも入れた息に対して、音になる成分の割合が上がったような気がします。今の楽器と、新しいマウスピースの組み合わせを、本当にうまく使いこなすには、もっと力配分を考えてやらないと、気持ちが空回りするばかりで「骨折り損のくたびれもうけ」になりそうな気がするのです。ただ、吹いた感じは、削る前のものに比べて極端には変わっていないので、なんとかなるのではないか、と思っています。しばらくは研究です。

ところで、亀山さんは、先日までチェコ、ドイツ、オーストリアに旅行(というか半分お仕事のようですが)に行っておられたそうです。あちらで写された写真や、コンサートのパンフレットなどを見せて頂きました。Schagerl の工房も訪問されたそうで、あちらの社長さん、職人さんと一緒に写っている写真もみせて頂きました。いろいろお話を聞かせて頂いた挙げ句、帰りがけに Schagerl のロゴシールまでもらってしまいました。ミーハーな私はすっかり舞い上がっています。(2002/6/10)


日曜日の午前中の練習で吹き過ぎたため、午後のレッスンのハイドンで、ハイトーンがしょぼい音になってしまいました。反省。

午前中の合奏練習は、酒井格(いたる)さんの「風の精」他の練習でした。(今、酒井さんのHPを見て気づいたのですが、酒井さんは私と同学年なんですね)。この曲は、ふくよかで羽根の様な軽さを持った音が似合う曲で、力で吹くのは似合わないですね。私はff位になってくると、どうしてもガツンと吹いてしまいたくなる方なのですが、今回は、それを自重しなくちゃ、と思っています。(f記号を見たら、条件反射的にスイッチが入るのは、そろそろ卒業しよう)。この曲は、オケに編曲しても似合わないでしょうね。A.Reedの「春の猟犬」はフルオケにしても良さそうな気がしますが、この曲は、風だけに Wind Orchestra の方がマッチしますね(苦しいか...?)

冗談はさておき、「風の精」のアーティキュレーションとか、フレージングを考えるのは、結構楽しい作業です。フレーズの力点の置き方を色々試していくと、何となくピタっとくるパターンがあって、そういうフィーリングが(私には)つかみやすいです。酒井さんの作品は、吹いていて楽しいです。

先日、購入したクーベリック/バイエルン放送響によるブルックナー&マーラーの9番を、一週間かけて聞いてみました。まずは、ブルックナー。クーベリック最晩年のライブ録音です。このディスクはヘンデルの合奏協奏曲とカップリングになっているのですが、このヘンデルがなかなかの聞き物。これは時間をかけて聞き込んでみたい演奏です。さてさて、問題のブルックナーは、聞いていて恐怖を感じました。終楽章のホルンの内声(?)の音程が微妙にズレているように聞こえて、それが協和音と不協和音の境目のあたりでフラフラしていて、不安になりました。曲の終わりの頃は、オーケストレーションも薄くなって、朝比奈先生曰く、「下手をすると、この辺りで野垂れ死に」のようになってくるのですが、この演奏は、まさに「危うい演奏」なのでは? このブルックナーは、生々しすぎて封印してしまいたい気分です。

次。マーラー9番。これは'75年の東京文化会館でのライブ。名演の誉れ高い演奏だけあって、マーラー9番がよく分からなかった私でも、何となく「とっかかり」が出来たように思います。ライブだけに多少の事故はあったようですが、熱くなる部分のバイエルン放送響は、重量感に富んだいい音出しますね(私好み)。

ちょっと余計な話。最近は落ち着いて家でCDを聞く時間がとれないので、聞くのはもっぱら車の中。そこでマーラー9番を聞いてました。作曲当時のマーラーの心情を反映してか、ある種「歪んだ」曲のように思えます。2楽章のワルツを聞いていると、「一回、整体でもかけてもらって、矯正した方が良いんじゃないか!?」と思います。(ポキポキっと、さぞかしいい音がするに違いない)。そこが良いんじゃないか、という声も聞こえてきそうですが...。

今日のレッスン終了後、CDショップを覗いたら、DVD「アンナ・マグダレーナ・バッハの年代記」という映画のディスクが出ていました。あのグスタフ・レオンハルトさんがバッハ役で出演した映画です。これは1967年制作の映画で、最近、DVDになったようです。細かい感想は、また後に。(2002/6/2)