このQuodlibet とは「ごたまぜ」、「寄せ集め」とか、「メドレー」という意味のドイツ語です。
過去の Quodlibet: 2002年 3月

ここ数週間は、いつもに増して忙しくて、このページに書けそうなネタはあったのですが、なかなか時間がとれなくて更新できずにいました。Quodlibet の名の通り、ゴタゴタと書いていきます。

28日の晩に、私が高専時代にお世話になった方たちと会って来ました。これも1月にあった、「アレルヤ」の演奏会がきっかけで、メールを交換するようになり、こうして会ってお話できるようにもなりました。学生の頃は、こういう形で、こういうメンバーで集まってお話をする、というのは想像もしなかったのですが、会って話をしているうちに、間にあった10年ちょっとの歳月が埋まってしまったような気がします。今回のメンバーは、みんなオーケストラで演奏している(又はしていた)人ばかりで、音楽の話は尽きる事がなく、まさに「あっという間」の楽しい時間でした。学生の頃、部活が終わってから、こんな感じで部室周辺に残っておしゃべりをしていたのを思い出します。わたしなど、及びもつかないくらいこだわりを持った人達で、音楽の事で語れる人が身近にいた事は、やっぱり幸せな学生時代だったと思うし、今の時間を幸せというのだろうな、と思いました。

ところで、この日に集まった方には、このページは複雑過ぎる、ということでした。ううむ、これでもセーブしているのですが。

29日。帰宅途中に、東京の銀座ヤマハに寄ってきました。目的は2つ。一つは、私の楽器のロータリーが不調になってしまったので、その調整をしたかったこと。症状は、時々1番キーが押された状態のまま戻らなくなることがある、というもので、予め電話で問い合わせたところでは、一時預かって分解調整になるかも、ということでした。(それは地方在住の私にはイタイです)。それに、GW後半には、楽器を担いで旭川方面へ行く予定があったので、Schagerl君が動かないのは切ないものがあります。ダメモトで、ヤマハに駆け込んだ次第。。運良く、リペアの方にその場で診て頂くことができました。Schagerl の場合、ロータリー部をあけるのに特別な工具が必要だそうで、今回は軽い調整だけ、ということでしたが、オイルを差して、若干のネジ調整をしたところ、ずいぶん軽く動くようになってくれました。ヤレヤレ、です。ついでに調整してくれたリペアの方と、楽器のことでお話をしてきました。楽器の職人さんとお話するのって、楽しいですね。

目的のもう一つは、言わずと知れた楽譜の調査。こちらはあまり実りがなかったかも...。吹奏楽の楽譜で、グレードが1とか2くらいの楽譜で、耳に馴染んだ曲があれば買って来ようかな、と思っていたのですが、店頭に並んでいるのは、ずいぶんと格好の良い曲ばかりで、空振りでした。某出版社からは、誰でも知っているような曲の楽譜がいくつか出てはいたのですが、アレンジに「?」が付くようなものだったので購入はしませんでした。街角でちょこっと演奏するのに丁度よくて、値段の割りにアレンジがしっかりしている曲って、無いですかねぇ?

ガッカリしつつも、手ぶらでは帰れず(?)、2つ買い物。1つは合唱曲集。これは高校生向けの教科書の副読本だと思うのですが、良い曲が入っていそうだし、安かった(780円!)ので何かに使えるかと思って購入。もう1点は、R.Strauss の「アルプス交響曲」のポケットスコア。Hi-D を含むこの難曲。さぁ、吹けるようになるのに、何年かかるかしら...。

銀座の5丁目通りは、お休みの日は歩行者天国になります。ここは大道芸を見せてくれる人たちが多くて、結構な人だかり(50人位いたかな?)になっているところが何カ所かありました。その中で、ジャグリング(ボーリングのピンみたいな物でお手玉をするアレです)をみせる若者がいて、その周辺はずいぶん人が集まっていました。あまりに人が多いので、小さい子達は、お父さんに肩車をしてもらって特等席から見物、という親子が数組。印象的だったのは、5歳くらいの女の子でしょうか、お父さんの肩車でジャグリングを見ている目が輝いていたこと。好奇心が目に乗り移っているような感じで、もうすっかり熱中して芸を見入っていたのです。学生には、講義室でも、研究室でも、こういう目をして欲しいなぁ、と思ってしまいました。(職業病かしら)。

私の大好きなアンサンブルグループ、カナディアンブラスの新譜CDを買いました。今回はルネサンス期の音楽を集めた曲集で、声楽アンサンブルとの合奏も含まれています。詳細を書くと、まだCDを聞いていない人にはネタバレになってしまうので詳しい事を書きたいのですが書けません。が、どうしても書きたいので1つだけ書きます。アレグリの「ミゼレーレ」は、ある礼拝堂に秘蔵される曲で、楽譜は門外不出。ただ、モーツアルトがその演奏を聴いて採譜してしまった、というエピソードのある曲だそうです。この曲のある部分で、人声と、Trp の音が完全に溶け合って、筆舌しがたい響きを作っています。ライナーノートはカンディアンブラスのメンバーが書いたものが付いていますが、この部分の演奏効果については狙っていたもので、心憎い事が書いてあります。音と音を重ねて、まったく新しい別の音を生み出す、というのは合奏の最大の楽しみの1つだと、私も思います。それを具現化してくれたCDだと思います。(2002/4/29)


土曜日。筍(たけのこ)堀りに行ってきました。昨年まで、私と同じ研究室におられた先生が、ご自宅に竹林をお持ちで、筍堀りに招待して下さったのです。土にまみれて2時間ほど掘ってきました。土に触れる、というのは、情けない話ではありますが、実に久しぶりでした。草やら、花やら、虫やら、あぁ、そういえばこんな動植物があったよなぁ、と。子供の頃は、当たり前だったんですがねぇ。採った筍は、何とか自分で灰汁抜きをして、おいしく頂きました。

合奏の練習中の雰囲気、というのはいろいろ意見があるとは思うのですが、基本的には楽しく、そしてある程度の厳しさがあった方がよいな、と思います。今日のバンドの練習は、なかなか良いさじ加減だったな、と思いました。特に、「曲の出(で)」の部分にこだわったのは大事な事だと思います。吹き始めがキチッと出来ていると、良い緊張感が生まれて、その後もうまく進んでくれるのですが、吹き始めでズッコケてしまうと、緊張感が無くなってしまい、ホワホワした気合い抜けした音しか出ないのです。一度曲がスタートしてしまうと、その途中から集中力を高めていく、というのは難しいのですが、そんなに難しいことをしなくても、吹きはじめでダメな音が出ていたら、やはり、ダメ出しをして、仕切り直した方が、結果として良いように思えます。

大学オケ時代に、ベルリオーズの「幻想交響曲」を取り上げた時の話。この曲は5楽章構成のうち、第2、3楽章にはラッパの出番はありません。合奏でもヒマと言えばヒマではあります。でも、考えようによっては、目の前で木管群のソロが聴けるのですから、ラッパの席は特等席です。そして定期演奏会本番。私が在学当時の木管セクションは実に達者な方々が揃っていて、ミスらしいミスは殆どなし。ほぼ、完璧な演奏をしてくれたのです。後ろで聞いていて、これは只事ではないな、と思うと同時に、ようしこちらも、と熱くなったのを思い出します...。若かったね、と笑ってしまうような話ですが、あの場に立ちこめた心地よい緊張感は忘れられません。こういう体験を出来たのは、幸せなことだと思います。

レッスンは楽器を鳴らすための息づかいについて、指導をして頂きました。先週は、「高音域になってくると、体の外側だけで音を出しているように聞こえるので、体の中心から息を出すようにして」というコメントを頂いていましたので、そこを気を付けながら吹いたのですが、今度は、「体の中の息のエネルギーと、顔の部分の息のエネルギーが合っていないように聞こえる。体の中から、途中で息が止まらないようにしてください」と言われました。これはあくまでもイメージの話ですが、確かに、苦しそうな音が聞こえるときは、体のどこかで息の流れに「ミスマッチ」が起きているようです。なるほど。息づかいを覚えるというのは、管楽器奏者の必須課題ですが、なかなか難しいですね。 (2002/4/14)


ロードワークを始めました。といっても、日曜日だけ、3km弱を軽く走るだけですが。午前中にバンドの練習、午後にレッスン、夕方にロードワーク。私はどちらかというと、体を動かしていないと頭も止まるほうなのです。(論文を書いていても、しょっちゅう廊下をウロウロしているし)。暖かくなってきたし、走るのも、良いよね。明日の筋肉痛はお約束でしょうけど。

とどまるところを知らない私の衝動買い。DVD2題。まずは、バーンスタイン/ロンドン交響楽団(LSO)によるマーラーの第2番交響曲。これはすでにLDとして発売されていたもののDVD版。最近、この時期(1970年代初期)のバーンスタインによるマーラー全集のDVDボックスも出たようですね。(私はボックスが出る前に分売版に手を出してしまったので、地道に買うことにします)。

この演奏は、私にとっては忘れられないものです。この演奏は昔、NHKの衛星で放映されていて、私にはそれが最初のバーンスタインのマーラー体験でした。最初に見たときは、何だか、よく分からなかった。ただ、終楽章に聞いたことのあるような旋律が出てくることと、合唱が入る曲だ、という程度の印象しかありませんでした。友達に、マーラーは凄いらしい、という話を聞いて、ものは試しで聞いてみた、という程度のことだったのですが...。

時は流れ、私は学指揮の役を頂きました。最初は右も左もわからず、やがて、自分の知識のなさ、能力のなさに、頭を抱えるようになりました(今も能力はないですが)。自分、という人間を分析してみると、当時の心理状況というのは、今になればよく分かります。当時、私のなかにはカベがあって、そのカベの中でもがいていました。そのカベというのは、自分は「常識だ」と信じていたもので、指揮というのは、音楽室のカベに書いてある図形を振らなければナラナイ、とかね。(あぁ、恥ずかしい)。だから4拍子とか、3拍子、というのは、アレですよ、音楽室のカベに貼ってある図形以外はないと思っていました。

あれは基本なので、間違いではないにしても、実際、現場に出てみると、応用問題が待ち受けている。そこで音楽室の表に<<縛られた>>知識がオールマイティーに通用するハズはなく(まぁこの程度の知識しかなかったら、そりゃカベにも激突するわいな)、やがて頭を抱えるようになっていました。そんな日々を送っていた、歳の暮れ。学校の寮が閉まって、正月の帰省で実家に帰ったとき、ふと、あのマーラー2番のビデオを思い出したのです...。

画面に映るバーンスタインは、跳ぶ、跳ねる、震える、叫ぶ、唸る、両手でタクトを振る、...。どれも、自分のカベの外側の、遙か向こう側で音楽を作っている。出てくる音がもの凄く生き生きしていて、疲れていた心にストレートに入ってきたのを聞いたら、無性に泣けてしまったのを思い出します。音楽を聴いて涙を流す、なんてそれまでは無かったのですが、私にはこの曲が最初でした。それと同時に、あぁ、指揮って、こんなことをしても良いんだ、と思ったら目から涙と一緒にウロコが落ちた気がしました。指揮の表現方法はいろいろあるのでしょうけど、音楽を振る、というのはこういうことなのか、と思ったものです。

思い出話が長くなりました。あれから10年以上経って、改めて見てみました。昔きいた音と、音質が違って聞こえたりして、自分の中で美化していた部分があったみたいですが、やっぱり僕には特別な演奏でした。あの当時、バーンスタインのこの演奏に出会っていなかったら、今も音楽を続けていたかどうかは、相当に疑問。もう一言だけ加えるなら、日曜日の朝から、涙目になってバンドの練習に出かけた、と書き添えておきましょう。

もう1題、2002年のWPh、ニューイヤーコンサートのDVDのお話は、また後日。(2002/4/7)