このQuodlibet とは「ごたまぜ」、「寄せ集め」とか、「メドレー」という意味のドイツ語です。

過去の Quodlibet: 2001年 3月


Å: アンナマグダレーナと言えば、バッハの2度目の奥さん(最初の奥さんは、バッハの旅の途中で、突然の病気で他界してしまっています)。そのマグダレーナ=バッハが語り手となって、在りし日のバッハの人となりを記した伝記小説である『バッハの思い出』は、今日では、他の女流作家による小説である、という結論が出ており、歴史的な価値はない、という事になっています。ともすれば、「まがい物=三流品」という図式をあてはめたくなってしまうのですが、かく言う私も、そう思いこんでいました。この本を読むまでは。

Å: 偶然、大学の書籍部で文庫本をみつけて読んでみました。どうせ、たいした内容じゃないだろうと思って。しかし、正気を保ったまま読むのは難しかったです。バッハに対する真っ直ぐな思いが全編に綴られており、バッハが音楽に対してどのような態度で向かっていたか、家庭の中でバッハがどのような父親であったかという点について、マグダレーナ自身でしか知り得ないのではないかという事も書かれており、それがあまりにあり得そうな話なので、とても創作小説とは思えません。 もちろん、史実に基づいた部分も相当あるとは思います。ラインベルガー教授の教えに敢えて背くことになるのでしょうが、それにしても話の端に織り込まれたエピソードのどれもが感動的でした。 今までつまらない我を張って、この本を読まずにいたのが馬鹿々々しくなりました。

Å: 講談社学術文庫から山下肇さんの訳で出ています。前述の礒山先生の「マタイ受難曲」は別にして、今年の私のイチオシの1冊です。音楽に特別な思い入れのある方、是非、ハンカチを用意して読まれることをお勧めします。 (2001/3/25)



Σ: 礒山先生の「マタイ受難曲」読み終わりました。バッハ以前の受難曲との比較や、聖書の記述に関する過去の論文の引用など、実に豊富な情報量、そして過度な情感に走らない冷静な見解。これで2千円というのは安い過ぎるのでは?  久々に、本を買って満足しました。古今東西で、マタイに関して語った本は多いと思いますが、それだけの魅力のある曲だということなんでしょうね。改めて CD を聞きながら、本と楽譜を交互に見比べて、バッハの世界に浸った春分の日でした。(そして、レオンハルト指揮のCDが欲しくなりました)。

Σ: その勢いにのって、Laboratory に楽譜をアップしました。マタイの中から10曲目のコラールです。今回は、見やす楽譜になるよう、PrintMusic! という楽譜清書ソフトを使い、さらに MIDI ファイルも作ってみました。この曲は、管楽合奏のコンサートピースにはなりにくいと思いますが、中音域が主体の柔らかい響きのするコラールですので、和声のトレーニングには良い材料だと思います。ただ、Flute には、音が低すぎる部分があったり、Horn には音が高すぎるところがあったので、適宜、オクターブの調整がしてあります。Tuba も音域的に問題がありそうな気がしますが、最後にチューバを吹いてから20年以上たってしまったので、記譜法を忘れてしまいました。関係者の方のコメントをお願いします m(_ _)m

Σ: PrintMusic! は、Windows と Mac の両方で動く、いわゆるハイブリッド版で、昨年の年末に渋谷ヤマハで購入したもの。これで1万2千円だから、まぁ、高くはないかな。このソフトも独特のクセがあって、慣れるのに時間がかかりました。今回は、XGworks で音符を入力--> MIDI ファイルを出力--> PrintMusic! で楽譜を清書、というスタイル。それぞれの良いところをとったというわけです。Lab. のページの MIDI ファイルは XGworks で作ったもので、フェルマータのあたりでテンポを揺らしてみました。本当は、フェルマータの後にもっと「間」をいれたかったのですが、方法がよくわからなかったので、中途半端になっています。素直にフェルマータの後に休符を入れればよいのかもしれませんが、それだと、楽譜の表記上、拍がズレることになるので、ちょっと気持ち悪いし...。研究の余地ありですな。

Σ: この曲そのものについても語りたいところはあるのですが、それは改めてページをもうける、ということにします。 (2001/3/21)


μ: 昨晩は雨。今日は昼頃から晴れる、という予報を信じて、出張続きでたまっていた洗濯物を片づけてから、練習に出かけました。期待通り、暖かな良い日和になったのですが、くしゃみが止まらず、目もかゆいし...。脱スパイクタイヤした札幌では縁の遠かった「花粉症」になってしまったかも? 室内や車内にいる分には問題無いのですが、外にでるとキツイ。今年は特に花粉の飛散量が多いらしいです。いやぁ、きつい事ですなぁ。おや、あなたも?

μ: 和声学は一度きちっと教わってみたいものの1つです。独学で、コードネームと、和声進行の基礎だけは触ったことがありますが、文章で読んだだけでは、どうも分かったような気にならないです。

μ: 和声進行には、基本的な禁則というのがあります。1つは、オクターブ進行を作らないこと。もう1つは、平行5度を作らないこと。私が読んだ初心者向けの本(対話風に書いてある)では、楽譜の例が載っていて、「こういう進行にすると気持ちが悪いでしょう」、という風に書いてあります。そう言われてピアノで弾いてみても、それほど変な気がしないので、なぜ、これが禁則なのかが分からなかったのを覚えています。(当時、私は工業高専生でした)。その時は、そういうルールなのだと天下りに覚えていました。

μ: 音の重ね方で、一番強い重ね方はユニゾンではないでしょうか。同じ旋律を、同時にオクターブを違えて同時に演奏するのは、非常に強い印象を与えます。ブルックナーの交響曲には多いですね。 顕著な例は交響曲8番の一番終わりの部分。オーケストラ全部が同じ音を出しているのですから、迫力があります。しかし、野暮ったい感じがするのは事実。のべつ幕なしあれをやられたら、確かにたまりませんな。 もうちょっと効果的に使っている例は、ドヴォルザークの交響曲8番の第1楽章の主題を、2本のトランペットがオクターブで重奏するところは好例でしょう。

μ: 上の2例は、オクターブが曲中で独立していて、特に強調したい場面で登場するので良いのですが、曲中で、突然、これが出てくると奇異な感じがします。文章中に突然ゴシック体が意味もなく現れるようなものでしょうね。

μ: オクターブはいわゆる完全音程。その他に完全調和音を取るのは、4度、5度音程。私は意外に思ったのですが、3度音程は、厳密には協和音にはなりません。オクターブの場合は、周波数にして 1:2 の割合になりますから、周波数の低い方の音(波)が1回振動する間に、高い方の音(波)が丁度2回振動するので、「唸り」は生じません。5度音程、例えば、ドに対するソの音は、周波数比が 2:3 になっています(純正調の場合)。つまり、ドの音が2回振動すると、ソの音は3回振動して、振動の周期が合うようになっていて、これも唸りは起こりません。周波数の比が単純な整数比になっていれば、音を重ねても余計な唸りが生じないですむ、ということになります。 ところが3度音程(長3度)の場合、例えばドとミは、周波数比が、4:5 になっています。これも整数比にはなっていますが、複雑すぎて、音が馴染みにくく、完全音程になりにくい。

μ: なぜ完全音程を取りにくいかというと、こうした物理的な理屈の他に、楽器が出す倍音と関係があるのではないか、というのが私個人の考えです。トランペットでは、ドの音を出すと、その音には、オクターブ上のド、さらにその上にソ、ド、ミ、ソ...という音の成分が含まれます。つまり、第3倍音のソが含まれているために、別な人のソを重ねてもなじみやすいのだと考えています。ミの音も、倍音列には含まれていますが、第5倍音ですから、馴染まないこともないけれど、音が遠いのでなじみにくいのだろう、ということです。ホルンは倍音列を多く含む楽器ですので、4本セットで和音伴奏をすることが多いのは、和音が濁りにくいという利点を生かしているのでしょう。

μ: 平行5度というのは、5度音程の2つの音が、5度の音程を保ったまま、次の和音に移っていくことを指しますが、これがなかなか曲者です。うっかりすると、"やっちまって"いることが多いです。 この平行5度を作らない、という禁則は、最初のうちは、なんで禁則なのかが良く分かりませんでした。周りを見渡してみても、基本的なルールだけに、世の作曲家は、曲中で平行5度を避けているためです。 私が知る限りで、敢えて平行5度を使っている曲は、ホルストの惑星の火星の第2主題。ホルンが強奏するおどろおどろしい旋律は、平行5度の妙にギラギラした特性を使った、確信犯的な用例でしょう。

μ: 火星の例は同じ旋律に5度音程を平行して重ねているので、分かり易いのですが、四声体のコラールで、各声部が独立した動きをとっているような場合はわかりにくいのです。ソプラノと、テノールの平行5度なんて、よほど気をつけていてもやってしまうと思うなぁ。楽譜をコンピュータに演奏させて、何だか野暮ったいなぁ、と思ってよくよく調べてみて、ようやく気付く、ということがしばしばあります。こういうのはどうやったら気付くようになるのでしょう?

μ: これは作文とよく似ているのかもしれません。例えば、「この文(が)意味(は)通じない」は、(が)と(は)を逆にすればすんなり理解できますが、このままだともの凄く奇妙です。こういう感覚を身につけるためには、何度も作文を繰り返していくしかないのかもしれません。(2001/3/18)



Λ: 今週は、水・木・金と群馬県へ出張。土曜日は法事があって埼玉へ。移動時間中に、何か研究論文を読むとか、実験の考察を考える努力をしてみたのですが、日頃の不摂生が祟って、すっかり熟睡してしまいました。無駄な努力であったか...。

Λ: 新幹線待ちの時間を使って、東京の本屋さんを覗いてきました。東京駅の大丸6Fの三省堂で、とうとう買ってしまったのが、礒山雅「マタイ受難曲」。バッハのマタイ受難曲を解説したもので、500ページ近い大著作。前々から気になっていたのですが、とうとう買いました。

Λ: マタイを聞き始めて11年。ようやく、楽譜を見れば旋律が浮かぶようになってきて、物語の全体像も見渡せるようになってきました。とは言え、私が持っている CD はリヒター指揮による輸入盤で、歌詞の対訳がついていないので、内容には今ひとつ踏み込めなかったのは事実。話の内容自体は、聖書を読んで押さえてはあるのですが、曲のどの部分が、物語のどこに対応するのかは殆ど分かりませんでした。

Λ: しかし、雑誌などに書かれているバッハのマタイ受難曲に関する著述を読んでみると、いろいろな仕掛けがしてあることがわかってきました。弟子達の裏切りや、キリストが捕らわれるシーン、そして、キリストがついに息絶えるところ...、など言ってみれば重大事件が次々と描かれます。それは直接的には、歌詞によって語られるわけですが、バッハがそうした描写を言葉だけに頼っているはずはなく、音楽的な仕掛けが施してあるわけです。それらは言われてみれば作為的であるようにも思えますが、非常に自然に埋め込まれているがために、うっかりすると気付かないで聴いていることが多いのです。

Λ: 私は性格的に理屈っぽいところがあって、そういう裏の理屈を知りたくて仕方がない方なのです。一番良いのは、理屈抜きに音楽を楽しむことができることだと思います。しかし、西洋の、300年以上も昔の作品で、しかも私は基本的に信仰する宗教がありませんので、予備知識無しでは、作品の表面しか捕らえられない可能性があると考えています。知識が広がるのは楽しい事ですしね。

Λ: 礒山さんの本は、時代背景や、他の作曲家による受難曲の引用などもあって、かなり網羅的に書かれています。これだけ調べるのは、それが職業とはいえ、かなり大変だっただろうと思います。まだ1/3 しか読んでいませんが、先を読むのが楽しみです。 (2001/3/17)


Ξ: やっとバッハの「羊は安らかに草を食み」を公開しました。アレンジという作業には、単純に原曲で指定されている楽器を別の楽器に置き換える transcription と、原曲にないパートを補なうなど、創作を含んだ arrangement と2種類あると思うのですが、今回のバッハのアレンジは後者です。 調も、原曲がB-dur だったのに対して、G-dur にしていますし、中間部には、原曲にはなかった声部を加えてみました。オーケストレーションのイメージとしては、A.リード編曲の「主よ、人の望みの喜びよ」が下敷きになっています。

Ξ: 実は、同じ「羊は...」は、A.リード氏が吹奏楽用にアレンジしているらしいのですが、そちらは私は聴いたことも、楽譜を見たこともありません。リード氏のバッハ作品のアレンジのうち、「主よ、...」は書き加えられた部分が沢山ありますが、「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」は、単純な transcription になっているようです。 リード氏の「羊は...」は、どういうアレンジになっているのか...。機会があったらチェックしてみようと思っています。

Ξ: 今回のアレンジ作業には、YAMAHA の XGworks 4.0 を使いました。私はこの他に Logic 社の Micro Logic や、FINALE のサブセットである PrintMusic! という楽譜清書ソフトを持っています。 しかし、Logic も PrintMusic! も、楽譜清書には適しているようですが、アレンジ作業では必須のパート間でのコピー&ペーストの機能が使いづらい事と、入力中に音を確認する機能が弱いようなので、今回はすべて XGworks にしました。 XGworks も 4.0 になってからスラーやアーティキュレーションが記入できるようになって、トータルで使えるソフトになってきました。しかし、難点は出力した楽譜の音符が小さいことですね。いろいろ試してみましたが、これでも一番大きいサイズになっているようです。見づらくてすみません。

Ξ: 楽譜の出力は、XGworks の印刷機能で postscript ファイルを作り、それを Ghostscript というプログラムを使って PDF ファイルに変換する、という方法を採りました。 最初は XGworks から直接 PDF ファイルを作っていたのですが、これだと、PDF ファイルを開く時に音符フォントが必要になるということが後から判明して、慌てて方法を変更しました。楽譜を絵として出力しているので、ファイルサイズが大きくなってしまうという欠点はありますが、Windows でも Mac でも Linux でも開けます。

Ξ: アレンジをしたり、楽譜を清書したりする度に思うのですが、これは並大抵の苦労ではありません。 私は好きでやっているので、どうって事はないのですが、これを飯のタネにしている人達にとって、自分の手がけた譜面が、違法にコピーされて使われているのは、耐え難いことではないかと思います。 やはり、その曲に取り組むからには、それ相応の代価を支払うべきです。 それが曲を書いてくれた人に対する最低限の礼儀だと思うのです。 (楽譜の値段そのものについては、いろいろ議論があると思いますが、その曲をやりたいと思うなら、お金を出すべきでしょうね)。 (2001/3/11)


Ω: あぁ、そう。今日は練習なかったのね。間違えて練習場に行っちゃった。朝からもの凄い雨(本当に凄まじかった)の中を1時間かけて行ったら、練習場はチビッ子に占拠されてました。もしやと思って、団の指揮者の方に携帯で確認したところ、「今日はありませんよ」とのこと。ふぅうん、そぉ。僕の勘違いね。そうだね。うん。

Ω: 楽譜を書いたり、編曲をしたりするのは、自分の趣味の中でも結構な位置を占めています。あくまでも趣味ですから、実用レベルであるかどうかは別問題ですが、自分でイメージして楽譜を書いて、それを実際に楽器で鳴らしてみる、というのは、かなり贅沢な趣味ではないかと思います。今は、先週末に名古屋で買ってきた楽譜をもとにアレンジを進めていて、もうすぐ完成する、というところまできました。

Ω: 曲は、バッハのカンタータ「楽しき狩りこそが我が喜び」のアリア「羊は安らかに草を食み(はみ)」。原曲は、フルート2本と痛奏低音に、アルトの独唱がのる、というもので、NHK-FM の「朝のバロック」のテーマ曲にもなっているもの。これを、Fl.x2、Cl.x2、Bass Cl.、A.Sax.x2、Hrn.x2、 Tp.x2、Tb.x2、Tuba という管楽合奏用に直しています。アルトのパートはコラール風(あくまでも「風」ですが)にして、オーケストレーションしています。

Ω: 和声の肉付けというのは、気をつけないと簡単に「厚化粧」のお化けみたいになります。管楽器ばかりの合奏では、和声学的には正しい和音の使い方をしていても、油断して和音を重ねすぎると、ゴテゴテして厚ぼったい響きばかりが印象に残ってしまい、爽やかな曲調が崩れてしまうのです。

Ω: 楽譜を書いてはコンピュータで音を出してみてチェック。第1稿は、私の性格を反映して、かなりドロドロしていました。うーん、こりゃいかんなぁ...阿鼻叫喚が聞こえてくるようだ...。

Ω: アレンジをしていて気付いたこと。この曲のリズムパターンは、伴奏のフルートが、8分音符+16分音符+16分音符が基本。そして旋律は、4分音符+8分音符+8分音符という動きが基本。どちらも、タータタ(ターティヤと読んだ方がそれらしいか?)、という組み合わせ。曲中では、これが逆にタタター、となる例外はない。自分のアレンジで、なんだか野暮ったいな、と思っていたのは、この逆パターンを入れていた、というのもあるらしい。 そこで、この逆パターンを解消したら、かなりスマートになった、という次第。

Ω: 逆パターンのリズムの代表例は、バッハのカンタータ140番「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」のテノールの有名な曲の頭のところ。この曲の伴奏には、16分音符+16分音符+8分音符、という組み合わせがよく使われていて、婚礼の時を静かに待つ花嫁の心情を映しつつ、厳かな祝福を与ようという気持ちを歌う、どちらかと言うと、しみじみとした曲。 これに対して、アレンジ中の「羊は安らかに...」は、どちらかというフワフワした曲。羊がのどかに草を食べていられるのも、領主様がこの土地をきちんと治めて下さっているがこそ。鳥も鳴いて天下太平、メデタシメデタシ、という感じ。 だから、「目覚めよ」のリズムパターンを、「羊は安らかに」に使うと、妙なことになるのは当然といえば当然。

Ω: こういう話は、どうでも良いと言えばそれまでだけど、自分の不用意なアレンジのおかげで思わぬ拾いモノをしたようで、得した気分ではあります。ところで、「羊は安らかに」の伴奏と旋律は同じリズムパターンですが、音の長さは倍違うわけで、言ってみれば相似形。うーん、こういうのをフラクタルと言うのだろうか。バッハ先生の曲なら、もっと遠大なフラクタル図形が隠されているような気がします...。さすがにバッハは奥が深い...。(2001/0304)