ニネヴェ図書館の科学史漫画その5 余談

なぜ円周は360度なのか?

 紀元150年頃。ローマ帝国統治下にあるギリシャ人、プトレマイオスが三角関数を完成させた。そしてこの時、彼は円周を360度に分割し、さらに1度を60分に、1分を60秒に分けた。多くの人は、分や秒というと時間の単位だと思うだろう。しかし、分と秒、これらは本来、角度の単位なのである。ともあれ、円周は360度になったわけだが、なぜ360なのだろう? プトレマイオスはその理由を明言していない。しかし、360は都合の良い数字であった。太陽は365日で天空を一周するから、一周を360分割すると、太陽の1日の運行は角度にしてほぼ1度になる。これは都合が良い。それにプトレマイオスは三角関数を求める時、円の半径を60と設定し、これに基づいて角度ごとの辺の比率を求め、三角関数を作った。つまり60を基本としたわけで、円周も60の倍数で分割されるべきだったのである。太陽の運行とほとんど対応する360は、60の倍数でもあって、理想的な数であっただろう。

 しかし、現代人には理解しにくい、もうひとつの理由がある。古代ギリシャ人は桁の概念を持っていなかった。このため、1以下の数を表現する時、彼らはどうしても分数を使用する。しかも何々分の1という具合に、分子が1である分数しか使えなかった。例えば、1.1756と言う時、ギリシャ人は1と6分の1と112分の1と表現せざるをえなかった。これは非常に煩雑である。ここでプトレマイオスが目をつけたもの、それが古代メソポタミアの数字表記であった。古代メソポタミア数学には桁の概念があって、これなら煩雑な分数を使わずにすむ。こうしてプトレマイオスは古代メソポタミアにならったし、それゆえに60進法を採用し、これゆえに角度は60の倍数となった。つまり、分度器が360度なのも、時間が60分、60秒なのも、それは古代ギリシャに桁の概念がなかったことが原因である。

 

 

 円周を360度に分ける。その起源はシュメール文明にある。ネットを検索するとこういう記述が非常に多く見つかる。これは「シュメール人の数学」室井和男 2017 共立出版の記述を引用し続けたものらしい。

 シュメール人が最初に円周を360分割した。これは良いとして、問題は、円周を360分割したのがシュメール人であるにしても、現代の私たちが使う360度はこれを直接受け継いだものなのか? ということであった。

 要するにシュメール人の360度と、私たちの360度は同一起源なのか、それとも別起源なのか? 現在の360度はプトレマイオスが設定したものである以上、この問題は、プトレマイオスはメソポタミアの360分割を知っていたのか、それを受け継いだのか? これが争点になるわけだが、ネットの記述はこういうことにまったく触れていない。つまるところ、室井氏はともかくとして、ネットの記述家たちは、現在の360度分割がプトレマイオスに由来するということを、そもそも知らないまま角度の起源を書いているように思われる

 では実際のところはどうであろうか? 

 結論をまず言ってしまうと、現在の360度はプトレマイオスが設定したものである。そのプトレマイオスがメソポタミアの360分割を採用した直接証拠はない。ただし、採用した可能性は思ったよりもある。古代メソポタミア数学と、ローマ帝国統治下のギリシャ人、プトレマイオス。この全く別の文化圏に所属する両者に広がる空白は、かなり狭めることが可能だ。

 2016年にScience誌に載った論文[Ancient Babylonian astronomers calculated Jupiter's position from the area under a time-velocitu graph] Ossendrijver 2016 Scinece は紀元前350〜50年ごろ、バビロンで書かれた粘土板の天文学的、数学的な記述を解読、報告したもの。そこで明らかになった粘土板の内容は、木星の運行距離を時間と速度を縦横軸とする台形で考え、計算する手順であった。

 そしてこの粘土板を読むと、「木星の1日の運行は0;12、60日後、木星の運行は0;9,30」と翻訳できる部分がある。バビロンの人々は60進法を使うから、この数字を現在の度、分、秒に(無批判に)当てはめると、木星の最初の運行は1日あたり0度12分であり、60日後には0度9分30秒であった、と読める。この値、実際の木星の運行にほぼほぼあっている。つまり、この数字を実際に現在の度、分、秒に当てはめても成り立ちそうである。そしてこの当てはめが成立しそうな以上、この時代のメソポタミアの人々は天空を360分割して、現在と同様、木星の運行を360度で測っていたと解釈できる。少なくとも、それっぽく見える。

 ただし1日あたり12分の運行を直接計測したとか、さらに9分30秒の運行を計測したとは(少なくと個人的には)ちょっと信じがたい。腕を伸ばした時の指先の幅がだいたい1度になるが、12分とはこの5分の1であるし、9分の端数である30秒とは12分の1である。そんな運行を指先や直角定規、あるいはそれに類する道具で見極めたというのはかなり怪しい。というか無理だろう。人間の目には焦点というものがあって、三角法で角度を測る道具である指先や直角定規に焦点を合わせると、星の像がぼやけるし、無限遠のかなたにある星に目の焦点を合わせると、今度は角度を測る道具とその目盛りが読み取れなくなる。

 だから肉眼を使わざるをえなかった時代の天体観測では12分とか、ましてや30秒のような細かい精度はまったく保証できない。一応解決する方法はあって、装置を巨大化すればいい。例えば人間にとって観測すべき無限遠と焦点がほぼほぼ同じになる大きさにまで観測器具を大きくすればいい。実際、中世の天文器具ははなはだ大がかりなものであった。例えばティコ・ブラーエのものとか。しかし、古代メソポタミアにそういうものがあったという報告はちょっとない。これは完全に私見だけども、以上で報告された粘土板で使われた数値。これは何日間かの木星の運行、例えば10日分などを計測して、それを日数で割って定数化したものではないだろうか?

 とはいえ、紀元前350〜50年ぐらいまでは360分割の天体観測が存続しているらしいこと、あるいはそう解釈できそうなことははわかった。問題は時代的な空隙だ。粘土板の年代を、一番新しい紀元前50年ごろという数字を採用しても、プトレマイオスの時代まで、まだ200年あまりの空白がある。ただ、これはあまり問題にならないように思われる。化石記録などでは、出土する記録が実際の存続と同一ではないことはよく知られている(まあ、確かに今でも化石記録=生物種の存続年代だと勘違いしている人はいるけども、そういう人と理解はここでは無視する)。化石のように埋没した記録は、そのほとんどが失われる。だから実際の存続時間よりも、ずっと手前で記録が途絶える。粘土板も同様であった。書かれた全ての粘土板が残るわけではなく、むしろそのほとんど全部が失われるだろう。そして実際よりもはるか手前で絶滅が起きたように見える。言い換えれば記録が紀元前50年に途絶えたとしても、360分割と天体観測はそれ以後も存続しただろう。そしてプトレマイオスはその著書「テトラビブロス」の中でバビロニアの天体計算に言及している。彼がバビロニアの手法を知っていたのは確かだった。プトレマイオスがメソポタミアの360分割を聞き知った可能性は思ったよりも大きいだろう。

 かようにプトレマイオスがメソポタミアでシュメール以来存続してきた円周の360分割を知って、それを採用したことは十分にありうる。ただし、直接証拠がない。

 だからこのように考えれば良い。

 現在の360度を設定したのはプトレマイオスであり、この時、彼は分と秒も設定した。その理由はメソポタミアの60進法を採用したからで、その動機は、桁の概念がある数字表記が当時はメソポタミアの60進法しかなかったからだった(この動機自体はアルマゲストにおける彼の発言「煩雑な分数を回避するため」から明らかであろう)。そして60進法を採用した以上、円周は60の倍数で分割されるべきだったろうし、彼は円を360分割した。この時、360にした理由は明言されていない。もしかしたらメソポタミアの360分割を採用した結果かもしれないが、直接証拠はない。だから現代の360度=シュメール起源と書くのは十分ではない。現在の360度はローマ帝国のプトレマイオスが設定したもので、彼がそれ以前のシュメールの360度を受け継いだのか、可能性としてはあるが、実際にはよくわからない。そう書くのが、より慎重で無難。

 さて、プトレマイオスは60進法を採用したので、角度の桁は60で繰り上がるようになった。1度は60分であり、1分は60秒。このように、分、秒は本来は角度の単位だったのだが、近代になって時計が発達すると、人は1時間も60分割して60分に、1分を60分割して60秒とした。こうして分と秒は角度だけでなく、時間の単位にもなった。

 しかし、分の表示が時計の文字盤に現れた17世紀当初は、1時間を48分割した時計もあったようだ。これは時計の精度の問題かもしれないし、あるいは時計の文字盤の十二表記、そのそれぞれを単純に四分割したからのように見える。時計職人の中には文字盤を三角法で60分割できる人もいれば、コンパスを使って円に内接する六角形を描き、そこから十二角形。十二角形を四分割して円を四十八等分する人がいた...ということかもしれない。

 ちなみに、漫画の欄外に書いたように、分を英語でminute(小さい)というのは、中世期に分を”小さな部分”と読んだのが由来。秒を英語で奇妙にも第二(second)と呼ぶのは、秒を”第二の小さな部分”と呼んだのが由来。こういう少し奇妙な呼び名になったのも中世西欧の人々が桁の概念を持っていなかったせいかもしれない。

 

 *なお、付け加えると、メソポタミアの人々が天空を360分割していたとしても、それが三角関数を用いて分割したプトレマイオスの360度と同じであったかは定かではない。というか、むしろ違うのではないだろうか? 

 メソポタミアの人々は円周率をおよそ3としていた。半径を60とした時に直径は120。円周率およそ3で円周は360。つまりメソポタミアの人々が考える1度とは60:1で、現在の1度よりもわずかに小さかったのかもしれない。

 ともあれ、プトレマイオスがメソポタミアの360分割を知っていたかどうか、それは追試が必要であった。そして仮に本当にプトレマイオスがメソポタミアの360度を受け継いでいたにしても、この時、多分、別物になったと考えることもできる。実用性を重んじたメソポタミアに対して、証明にこだわったギリシャ人である以上、プトレマイオスの介入は360度の意味や厳密さをまったく変えてしまっただろう。

 

 参考文献

 アルマゲスト 恒星社

 シュメール人の数学 室井 共立出版

 ギリシア数学史 T.L.ヒース 共立出版

 Ancient Babylonian astronomers calculated Jupiter's position from the area under a time-velocity graph. Ossendrijver 2016 Science

 

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