「おい、お前。お前は俺たちの仲間なんだろう?なんでそんな格好をしているんだ?ちょっと待てよ!無視かよ!よそ者は随分礼儀知らずだな!言葉は通じてるんだろ?知ってるぞ!こら!待てよ」

 ……というのはルーピンの「翻訳」である。「翻訳」をしながら彼は、腹を抱えて笑った。

 空港を出ると、そこには犬がいた。敷地内で飼われているものか、勝手に入ってきたものかは分からない。けれど黒い、大きな犬だった。件の犬は怠惰に横たわっていたが、シリウスを見るなり起き上がり、そして暫く考えた後に一声「わん!」と訝しげに吠えたのだ。シリウスは風景に集中していたので、犬などには気付かなかった。代わりに一部始終を目撃していたルーピンが、親切にも前述の翻訳と共に友人に説明をしてやったのだ。
 その国には犬が多く住んでいた。最初におや、と思った2人だったが、少し道を行くうちに、尋常ならざるその数が彼等の話題の中心になった。白い犬、黒い犬、茶色い犬、ぶちの犬。彼等はみな一様に痩せており、木陰に伏せて暑さをやり過ごしていた。「君が一番大きくて、肉付きが良くて、毛並みがいい」とルーピンは心なしか胸を張ってそう宣言し、「もちろんそれはここの青年達と比較しての発言だろうな?」とシリウスに睨まれ、笑って誤魔化した。

 そこは熱心な仏教国だった。寛容さが一目で見て取れる、独特の顔立ちをした神の像が、とてつもない大きさで次々と現れ、2人を圧倒した。(どの神も曖昧な笑顔を浮かべているので、シリウスは「俺のよく知る誰かを思い出す」と感想を述べた)その神を安置する遺跡には他のマグルの文化のように偏執的な広大さや、偏執的な装飾や、偏執的な左右対称さは見られなかった。人が人に向ける尊敬を表すのに、程よい様子をしたそれらの中を彼等は黙々と歩いた。空の青と葉の緑、遺跡の土の色がブロックのように互いに頑固に主張し合い、がっちりと組み合う。太陽光線は殺人的に何もかもを焦がし、視力の容量を超えた光が、風景の端でちらりちらりとフィラメントのような輝きを見せた。一歩ごとに生命力を奪われる強烈な風景だった。或いはそこは生きた人間が訪れるのには相応しくない過去の亡霊のための場所だったのかもしれない。ただ光と無音があった。しかしそんな墓所でも犬達は平気なのか、いとも気安い調子でやってきて瓦礫の影や涼しい木陰に腰を据えるのだった。
 ルーピンは墓よりは犬達を見ていた。
 暑さも歴史もどこ吹く風で昼寝をする彼等からルーピンが目を離したのは、シリウスの気配が変わったのに気付いたときだった。
 シリウスは他民族に侵略され破壊されたという神の像を立ち尽くして見下ろしていた。執拗に頭部を砕かれた幾つもの像を前に、シリウスは低い声で呟く。「俺が彼等なら、侵略者の神聖な土地を倍の面積破壊して後悔させてやるんだが」
 尊厳を踏みにじられ、石くれと化した像はシリウスの心の繊細な部分を刺激したらしい。彼は語気を荒げたりはしなかったが、表情から笑顔が消えていた。
 ルーピンは彼の隣に立ち、しばらく考えていた。人間について。ここに生きていた人達の歴史について。自分達の人生に起こった事について。シリウスの怒りについて。何もかも根本で繋がっているような気がしたが、それは熱気による錯覚であるようにも思われた。
「仲間達と歌ったり踊ったり笑ったり」
 長い間黙っていたルーピンが突然そう言ったのでシリウスは驚いて友人を見る。
「そういう精神が保たれることこそが、彼等の宗教の本質じゃないかな」
 ルーピンの言葉にシリウスを気遣った部分はなかったが、シリウスはまるでべそをかいた子供のように慰められている自分を感じていた。ルーピンの人を慰めるやり方は子供の頃から変わっていない。彼は一生懸命長考し、自分の気持ちを述べるだけだ。それでも心を一瞬で変えられてしまうのは、彼が自分を見る眼差しの所為なのか、または条件反射的なものになってしまったのだろうかとシリウスは考える。彼の振る舞いの何もかもがあまりに昔のままなので、シリウスは友人をその場で抱きしめたいと思った。(本当にべそをかいていると思われかねないので、彼はそれを諦め、「俺は仏教徒には、なれないようだ」と呟くのみにとどめたのだが)
 遺跡の犬達はすべてに対して平等に無関心だった。暑さにも、遺跡の霊性にも、異国人の感傷にも。彼等は涼しい木陰でずっと眠っていた。
 午後の遺跡であまりに長い時間立っていた為か、ルーピンは暑気あたりを起こしてその夜に熱を出した。


 空港に向かう帰り道で、ルーピンは飽きることなく犬を眺めながら「沢山犬を見たので、目を閉じても犬が見える程だ。すごくいい旅行だった。ただ、あまりにも犬を見すぎてしまって、私の犬に会いたくなって困っている」と言った。シリウスはしばらく黙った後「家で待っているお前の犬?」と尋ねる。頷くルーピン。「彼がとても傷ついて怒っている夢を見た。早く帰って抱きしめてやらないと」その台詞を聞いたシリウスは憤然と自分を親指で指し示したが、ルーピンはただ笑って、異国の犬に視線を戻した。







BY にゃかむら

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