吸血鬼の棲んでいる館になど、訪ねてくる人間は滅多にいない。ゆえにこの家の住人は私と彼の2人きり。今までもこれからもそれは不変であろうと思われる。
 なのでそんな必要はどこにもないのだが、しかし私達は居間や食堂にいる間は、友人同士であるかのように振舞う。
 適度に抑制された会話。礼節ある態度。相手と体が接触しないよう自然に距離をとる、他人同士のごく普通の気遣い。
 私も彼も、キスなど一度もしたことがないという顔をしている。
 彼の衣服を取り払った姿など、見たこともないという目。
 喉の奥から漏れる声も、希う表情も、まったく知らない素振りで私達は食卓につく。
 どちらもが、その素知らぬ顔にユーモアを感じているのを知っている。しかし笑い出すのを堪えながら、私達は上手に会話を続ける。

 どちらも昨夜と同じ人間とは思えない。遠慮や言葉の修辞や芸術についての薀蓄、そういうものをかなぐり捨てて私達は抱き合う。無理な姿勢、詰まる呼吸に頓着せず、却って強まる腕の力。名を呼ぶわずかの時間すら惜しむ勢いで、私達は長い片想いの時間を取り戻そうとする。
 長年よき友人であった我々ではあるが、表情や性癖など、知らない部分がこんなにも沢山あったことに、毎回驚かされる。
 快感が高まると、私は彼に噛んでも構わないかと尋ねる。私を組み伏せている彼は頷き、髪をかき上げる。下半身がつながったまま、私は彼の首筋に牙を立てる。セックスをしている時の彼の血の味は、南の国の花のような味がする。それと私の肌を焼く太陽の光の味。彼は非常に彼らしく、性行為のすべてを楽しんでいることが血の味から分かって、その率直さが益々愛おしく、私は彼の背を抱く手に力を込める。私が得ている快感と、彼が得ている快感が喉の奥で混ざる。
 「ずっとこうしたかった」と彼は途切れ途切れに囁く。そして彼の恋心に長い間私が気付かなかったという恨み言を少し続ける。それはこちらにも反論があるのだが、しかし残念ながら私はそれが言える状態ではない事が多い。

 夜明け前、私達は棺桶の前で別れる。もう半分眠りかかっている私に、彼は笑う。「毎回末期の別れのようだ」と。横たわる私に、彼が口付けをしたのが感じられる。私はどこか遠い国の花の夢を見る。

 次の日の私はいつもより少し遅い時間に目覚め、そして食事の際、彼にいつもより多く食事を摂るように勧める。それくらいしか変化はない。彼は夕方に読んだ本の内容を語り、私は夢の内容を語る。お互いに多大な関心をもって相手の話を拝聴する。昨夜の汗や血や息遣いを感じさせるような事柄は一切ない。

 ただ、食事の終わりがけに、彼のシャツの襟元の汚れに気付いた私がそれを指摘し、「それは気付かなかった。ありがとう」とまだ少し血の出ている首筋に手をやり、彼が静かに礼を述べる、そんなやりとりを時折する事がある。














2008.08.08


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