92 「ジェームズという鉢植えの植物があったとする」 シリウスは手の中でまばたきをしている小さな生物をしげしげと眺めながら言った。小さな生物はあまりにも小さくてくにゃくにゃだったにもかかわらず、きちんとくせっ毛で緑の眼をしていた。 シリウスの姿にも、気質にも、乳幼児は似合わないと誰もが思っていたが、案外そうではなかった。彼は長い指で繊細に小さな生物を扱い、抱き上げる時も頭を撫でる時も大人を相手にするように丁寧に「触っていいか?」「撫でていいか?」と小さな生物本人に尋ねた。その姿は誰よりも乳幼児のことを知り尽くした人のようで、危なげがなかった。 「その植物を株分けしたらこれが生えてきたようなもんだぜ?人間ってのは増えるんだ!」 普通の夫婦にそれを言ったら家から叩き出されるんじゃないだろうか?とリーマスは思ったが黙って笑った。シリウスの性格を知るここの夫婦は怒らないだろうから。そして自分も。 彼等はポッター夫妻に頼まれて留守番兼子守をしていた。2人にとってそれは煩わしい用事ではなく、どちらかと言えば二つ返事で喜んで!と言いたくなるような頼み事だったので、いつもいそいそと応じるのだった。 「最近、ジェームズ達はよく出掛けるね」 先週もシリウスとここで数時間を過ごした。その2週間前も。夫妻は2人にお礼と、沢山の都会からのお土産を持って帰ってくれた。別に彼等の出掛ける理由が何であれリーマスはちっとも構わなかった。親類同士の付き合いでも、2人っきりのデートでも。考えたこともなかった。だからシリウスにそう尋ねたのは、世間話の内のひとつのつもりだった。 「そうか?」 「2人とも何も言っていなかったから、危ない用向きではないんだよね」 「ああ。そうだとも」 ハリーをあやしながらシリウスはそう答える。 返事のタイミングも、声も、表情も。何一つおかしくなかった。自然だった。 しかしリーマスにはそれが嘘だと分かった。 嘘。というよりはこの場合、リーマスに対してシリウスが良心に呵責を覚えるほどの大きな隠し事をしている、という表現の方が正しい。リーマスは得たくもないその確信を唐突に得た。シリウスはジェームズの外出が頻繁でないとは決して思っておらず、彼等の外出の理由を知っており、おそらくそれは自分達の対抗しているあの危険な人物に関することで、そしてそれを何故かリーマスに隠しておきたいのだ。 シリウスは酷い嘘を幾らでも平気でつく男であるが、友人に嘘を付くのは下手くそで、何より彼本人がそれに苦痛を感じるタイプだった。 どこがおかしいとは言えないが、すべてが少しずつおかしい。少年の頃にそう言ってシリウスの嘘を看破したら、彼は真っ赤になってむくれていた。 いまシリウスはハリーを膝の上に置いて、友人である自分に嘘をついている。そう思うとリーマスは彼が気の毒になった。シリウスはどんなに苦しく感じているだろう、と。 「ああ、うん。先週もここに来たしね。別に全然構わないけど。ハリーに会えるのは楽しいし」 「そうだな。奴らだってたまには2人きりになりたかったりするんじゃないか?」 その言葉は、普段の彼と比べると完全に精彩を欠いていた。あのシリウス・ブラックがこの手の話題に何のユーモアも皮肉もまじえずにコメントをするなど有り得なかった。そう、彼は動揺が動揺を呼び次々ドミノ倒しを起こす種類の人間なのだ。今も昔も。 リーマスは魔法使いではあるが、神ではなかった。なので誰より信頼する大切な友人の内の1人である彼が、何故自分に嘘をつくのかは分からなかった。それが良い理由の嘘であるのか。悪い理由の嘘であるのかすら。しかし彼にこれ以上つらい嘘をつかせたくはなかったので、話題を変えようとこう言った。 「最近何か変わった事はないかい?パッドフット」 けれど、その問いはリーマスの与り知らぬ理由で、シリウスの屈託の中核を刺したようだった。シリウスの左瞼がかすかに痙攣した。 シリウスは痛恨の一撃を受けた人の表情でリーマスを凝視した。リーマスも後悔と共に少々狼狽して彼を見た。 シリウスはリーマスが自分の嘘に気付いた事を見て取った。リーマスはシリウスにその事実を読みとられた事を知る。嘘が合わせ鏡のように互いの正面と後ろ姿を連続して映している。そんな取り留めない連想をリーマスはした。先程まではハリーとシリウスと3人で楽しい午後を過ごしていた筈なのに、どうしてこんな事に?と彼は混乱する。 リーマスは今この件に関して何の動揺もしていない。しかし今日の夜に自分はショックを受け、1週間後には更に思い悩むであろうと、彼は知っていた。自分の感情の癖と、友人に対する信頼の度合いからすれば当然の予測だった。 ここで、シリウスの正面に座って彼の目を見て、どうして嘘をつくのかと詰問するのが正しいんだろうなとリーマスは少し考える。 「いや、特にはないよムーニー」 気の毒なほど痛々しい声でシリウスが答える。 聞くに堪えられなかった。なのでリーマスは 「そうか。詰まらないな」 と、そう答えた。 リーマスさんはここで間違えた。 取り返しのつかない間違いだった。 誰にだって間違いはあるし、 これに関しては共同責任ではあるけれども、 とりあえず取り返しだけはつかなかった。 友人っていうのは、不愉快なことがあったとき、 原因追及とかディスカッションとかそういう 楽しくない時間も共有しなくちゃいけない関係だと思う。 相手を切ったり、見なかったことにしたりの方が楽だけど、 それが出来ない関係だと思う。 友人を持つというのは、そういう面倒くせー時間をも 持ってもいいという選択であるので、 それを選ぶ時はものすごく慎重にならなきゃいかんと思う。 私?16歳です(笑)。 2005/01/10 BACK |