69 もし仮にだが。シリウスはそんな話の始め方をした。「仮の話だ」もう一度彼は神経質に繰り返す。 シリウスが心の内で何度も吟味した話題を口にするとき、その声は普段よりトーンが低くなった。バイオリンの低音を思わせる話声をルーピンは非常に気に入っており、彼は「3人で暮らしていればよかった」と時折考える。そうすれば自分は話の輪の外で心置きなくシリウスの声を観賞出来るからだ。 しかしシリウスが美しい声で話をする場合、大抵ルーピンにとって心穏やかな話題ではないという致命的な問題がある。 「友人・知人を集めて小さなパーティを開くのをお前はどう思う?」 そう言って彼は魅力的に視線を上げる。見慣れている筈のルーピンですら幻惑される心地がした。 「君がそうしたいのなら別に構わないよ。ただ、私は人が沢山集まるのが不得手で、あまり役に立てないだろうけれど」 いや、お前は座っているだけでいいし、そんなに大勢は集まらない。そう言ってシリウスは名前を挙げた。彼等の恩師や、ハリーとその友人。数少ない仲間達。ルーピンのかつての同僚達。「仮の話だというのに、随分と具体的なんだね」と言いたいのを我慢して、ルーピンはにこにこと頷く。 「それは一体、どういう主旨のパーティーなんだい?シリウス」 シリウスはそこで言い淀んで困った顔をした。これに騙されて助け舟を出してはいけない、と益々強くなる不吉な予感にルーピンは拳を握る。 「1人1人説明するのは面倒だと思わないか?」 シリウスは緊張のせいか目的語を飛ばして語り、ルーピンに問われて大慌てでそれを付け足し、幾度か重複、逆行を繰り返しながら演説をした。曰く「2人が一緒に暮らしていることを」否「経済的な事情や便宜上ではなく一緒に暮らしていることを」自分達の愛する友人に説明する時期ではないのかと、故事や哲学者、統計の話を交えながら遠大にそれでいて早口に彼は語った。 「君は結婚式がしたかったのか」 冗談にしてしまうならチャンスは今で、以降は身の安全を保障しないという意図が十分に伝わるよう、フェア精神でルーピンは笑顔の種類を変えた。 シリウスの瞳が怯えで揺れたが、彼は口をつぐんでいた。可哀相だけれど(そして面倒だけれど)仕方がない、とルーピンは溜息をつく。自分が言い負ける確率はゼロだというのを彼は知っていたが、出来れば酷いやり方はしたくなかった。 1.社会的な規約に縛られなければシリウスが安心できないような部分が自分にあるに違いないと偏執的に思い込んでみせ、その反証で1日を終わらせる。 2.全部を冗談として聞き、ともかく笑う。それで1日を終わらせる。 3.結婚に関する恐ろしいトラウマを語り、身の上相談で1日を終わらせる。 その手段が酷いやり方でないかといえば意見が分かれるところだが、ルーピンは自分の精神の平安の為に負ける訳にはいかないのだった。ただ、若干の危険があるとすれば「少しの間我慢すれば彼は喜ぶ」という誘惑に乗ってしまう癖。ただそれだけである。 「シリウス私は……」 「もちろんリーマス、お前は耐えられないだろうから、目を開いたまま眠っていられる呪文を俺が掛けよう。お前が目覚める頃には全てが終わっている」 頭痛の前兆の、こめかみの辺りがチリチリとする感覚があった。この馬鹿な話を終わらせて自分の寝室で横になる必要をルーピンは感じた。 「その素敵な『結婚式』の間中」 ルーピンはどんなに怒っていても、声や表情にはそれが表れない。筈であるのに、シリウスはもうゴクリと息を呑んでいる。 「私は君に手を引かれて虚ろな笑顔を振り撒きつづけるんだね。そう、きっとずっとあさっての方向を見ているに違いない。お役所から人を呼んで誓約書でも一緒に書くかい?勿論君が手を取って私に書かせてくれるんだろう。バイオリニストかピアニストも呼ぶのかな?君が弾いてもいいね。その間私は壁にでも立てかけておいてくれ。それから……そうそう料理人も呼ぶだろう。君は優しいから私にも御馳走を食べさせてくれる。でも口を開きっぱなしの私は上手に食べられないだろうから、よだれ掛けを忘れずに。式の間はずっと付けておいてもいいよ。服が汚れるといけないからね。その式を見て人はどう思うかな。現代では絶えてなくなった『略奪婚』を見て、貴重な体験が出来たと喜んでもらえたらいいんだけど。それでも『やはりシリウス・ブラックはアズカバンで頭がおかしくなっていたのだ』と人から君が哀れまれるのは私には少し辛い。この際私がどう貶められようと問題ではないくらいに。ああ可哀相に、ハリーは心配するだろうね。何度も私に話し掛けるだろう」 シリウスは途中で口を挟もうと試みたがとうとう適わなかった。仕方がないので彼は仕掛け時計の人形のように無数に頷いた。 「一体君は私と暮らしたいのか、私の姿をしたこの体と暮らしたいのか、段々分からなくなってきたよ。後々問答する手間を省こう、私は君を愛している。けれど、君が私を愛しているかは正直検証の必要を感じる」 頭痛が始まりそうなので、済まないけれど自室に戻るよ、とルーピンは席を立った。しかし途中で彼は振り返る。 「どうしても『結婚式』がしたいのだったら、私を殺してからするといい。私は抵抗しない」 頭痛のせいなのか怒りのせいなのか、壮絶に青い顔をしてゆっくりと歩き去る友人に掛ける言葉もなく、シリウスは動かなかった。もし現在この瞬間に彼に黒い尾があったなら、それは足と足の間にしっかり巻き込まれていたに違いない。彼は明らかに脂汗をかいていた。 03年の夏に出した無料配布本に掲載したものです。 ボエムという長さでは明らかにないですが、 再録なのでなんとなくこちらへ……。 「それもう読んだよー」という方はごめんなさい。 あの折はわざわざのお運びありがとうございました。 お客様の6分の5の人はまだ読まれてないのですたぶん。 (計算が合っていれば) 2004/02/20 BACK |