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 目が覚めると音が聞こえた。それは朝に平野を渡る風の唸りにも聞こえたが、耳を澄ますと音階があったので歌だと分かった。
 ラヴェルのボレロ。シリウスが歌っている。
 きっと今朝初めて挑戦したドレッシングの味が殊のほか上出来だったり、或いは単に機嫌が良かったりするのだろう。
 何だか威風堂々と出航するマグルの豪華客船みたいだよシリウス。
 そのイメージはひどく彼に似合った。海の貴婦人と賞される豪奢で優美な船体。女王の名前など冠されていると益々もってぴったりだ。私の口元は自然に笑みの形になる。
 朝の陽は当たり前のように身の回りを照らしていた。部屋の中は白く明るく、どこにも影などない。目が覚めると友人の歌が聞こえ、それを聞いただけで大まかに彼の気持ちが分かる。そして私は彼のことを考えて1人微笑んでいる。
 
 いつの間にか後戻りの出来ない圧倒的な幸福の中に立っている事に、不意に私は気付いた。
 それは少し恐ろしいような気分だった。
 幸福は油断していた私を捕らえ、強固にこの身体を縛めている。最早解放してもらえそうには思えないし、おそらく私もそれを望んではいない。
 諦めて目を閉じる。それなりに困っているつもりなのだが、しかし唇は笑みの形のまま戻らない。
 ずっと覚えていたい、と私は珍しい事を考えた。
 記憶力の乏しい身には向いているとは思えないのだが、それでも、この先の一生何が起こっても、どれだけ年月が過ぎても、捕えられているこの気持ちと今聞こえてくる歌を忘れないようにしたい。 
 私は静かにそう決意した。





ハミングでボレロというのが間抜けていて何とも可愛い。
あの曲を聴くと人によって
宇宙空間での艦隊戦が浮かんだり、ナイスバディ兄さんが
踊り狂う姿が浮かんだり、車が走ったりラーメンが見えたり
すると思いますが、あの威圧的なメロディラインを
オーケストラではなく人の声で聞くとあら不思議
「ひたひたとやってくる幸福」というイメージに聞こえるので(私は)
ぜひ一度口ずさんでみてください。

ラヴェルの曲というのは
天才臭がむんむんして笑ってしまいます。
天才共め!大好きだ(笑)。

関係ないですが
ラヴェルでは私は「クープランの墓」という曲の前奏部分が
特別好きです。調子の良い時の頭の中って、丁度あんな速さなので
自分を暗示にかけるために何回も聞いたりします(哀)。
それと、乾いていてちょっと哀しくて、でもひたむきな感じなので
シリルのプロモビデオを(なんだそりゃ)作るときは是非BGMにしたい。

この話は出来ればボエム100に持ってきたかったのですが
そんな遠い未来なんて何がどうなるか分からないので発表。
2003/10/10



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