128 シリウス・ブラックはその部屋に駆け込んだ。 丁度男が天井の金具にロープを引っ掛けて、そしてリーマス・ルーピンを吊るしている最中だった。 吊られた彼の周囲には6、7人の男達がおり、仕事をようやく終えてほっとしたような表情を全員が浮かべていた。 ルーピンの顔には酷く殴打された跡があり、意識がないのであろう彼は一切の抵抗を示していない。 ぞっとするほど静かな顔をルーピンはしていた。 (彼がまだ生きている事をシリウスは知っている。何故なら彼は死なないと約束をしたからだ。「彼は約束を守る。彼は約束を守る」シリウスは無意識に唇を動かした) 抵抗出来ぬように砕かれたのだろう彼の杖が床にあり、そして彼の右腕は明らかに左腕より長くだらりと下がっていた。肩の辺りにぎざぎざの大きな切り口があるので、原因は恐らくそれだろう。彼は杖を放さなかったのだ。そして業を煮やした男達は多少平和的ではない方法で彼の右腕の自由を奪った。もしかすると、切断出来るならそうしたかったのかもしれない。傷は途中で放棄したようなそんな乱雑な印象があった。肉とも脂肪とも判別のつかないものが見えている。褪せた草の色をした見慣れた彼のコートは、袖の周辺部分のみが誰か酷く趣味の違う別の人間の服のように赤かった。 白い肌をしている彼の内側に、こんなにも赤い色をした血が巡っているのを不思議な事だとシリウスは考える。 細い喉がロープによってさらに細く絞められている。ぎゅっと寄った首の皺。 足の先は地に着かず、頼りなく揺れている。 そして彼の体に、唾を吐きかけらた跡があるのを認識したとき、 シリウスの精神は急速に現実感を失った。 彼の事を短気な男だと、友人達は過去にそう言った。彼等の言葉は全く正しく、シリウス・ブラックは短気な男だった。そして情緒不安定で、己の精神を抑制するのが苦手でもあった。 尚悪い事に12年間の投獄が、短気だ情緒だというレベルよりももっと根本の何かを決定的に破壊した。彼の精神は、すぐさま専門医に掛からねばならぬ程度には狂っていた。それを周囲の庇護と友人の尽力によって何とか均衡を保ち暮らしていたのだ。 あるかないかの微かな正気。勿論そんな物は簡単に失われてしまう。 怒りと恐怖は相性がよく、容易に混ざり合う。 シリウスはその2つの感情に打ちのめされ、痩せた体は強大な怒りと恐怖に支配された。 眼球が震え視界が上下に振動した。 頭部からの痺れが速やかに下方へとおりていき、触感という物が消え失せた。 喉の血管が膨張し、呼吸が出来なくなった。 気管を患った年寄りの立てるような、ひゅうひゅうという異様な音が自分の喉から漏れるのを彼が自覚したのは一瞬。 日頃、あたりまえのように自分のものだと思っていた身体がどこもかしこも思い通りに動かず奇妙な症状を示すのを見て、シリウスは満月の夜の友人をふと連想した。そして1秒現実に立ち返って、そしてルーピンを見、また混濁した意識に沈んだ。 自分の腹の中に怒りのための内臓が1つあり、そこから黒く熱い血液が巡っているようだった。 「どなたですか?」 そう問い掛けながら男達は全員杖を握った。シリウスが室内に入ってから5秒のことだった。彼等が何者なのか、何を問い掛けているのかをシリウスは最早理解していなかった。 ともかく吊られている彼を下ろさなくては とシリウスは考えた。彼の呼吸が止まってしまう。 シリウスはロープを切ろうとした。しかし手が震え眼球が震え、魔法は方向を失い、ロープを握っていた男の手首が飛んだ。飛び散った血は想像していたよりは少なかった。しかし自分が致命傷を負ったのだと自覚した男は、必死の形相で止血している。 シリウスはルーピンの体が床に打ちつけられぬよう、空気に緩衝の役目をさせ、そして止血の呪文を唱えた。左手でそっと首筋に触れ、彼の肩についていた唾をぬぐう。 即死の呪文の詠唱が周囲で始まったので、彼は5つ、同時にそれを妨害した。彼の狂気は、奇妙な事に魔法を行使する最高の条件を作り出した。熱狂と集中。 彼等はシリウスの髪を撫でるルーピンの指の細さを知らない。 彼等はシリウスを教え諭すときのルーピンの声がどんなに落ち着いていて優しいかを知らない。 彼等はルーピンがどれ程忍耐強く理性的な人間かを知らない。 ルーピンがどんな人生を歩んできたか、彼がどんな人柄であるかを一切知らぬ人々は、こんな風に彼を扱う事が出来る。まるで物のように。まるで豚のように。 シリウスが友人に対して捧げる愛情や尊敬は、当然ながら何の助けにもならない。彼はその事実に絶望した。 周囲で起こるすべての呪文を無効化しながら、シリウスは室内の人間を見回し「人数が多すぎる」と、麻痺した頭で考える。 即死の呪文では全員を殺しきれない、と。 彼は唐突に窓の外を見(何人かの男がつられて視線を動かすような、そんな激しい動きだった)、そこから見える向かいのビルの屋上の貯水槽をアクシオで喚んだ。 窓を壁ごと裂いて、それは魔法の力に忠実に飛んできた。弾丸のように。 コンクリートの台座基礎部分が、植物の根の如く付き従ってきて恐るべき仕上げをする。 最初の一撃で、その場に居た人間はチェスのコマのようにばらばらと払われてシリウスの視界から消えた。 シリウスは倒れている友人に破片が当たらないよう注意しながら、巨大な空調室外機を、広告の看板を、照明塔を次々と部屋に喚び込んだ。 彼は絶叫するように呪文を唱え、涙を流し、全身で震えて頭を揺らしている状態だったが、魔法は1つも損なわれず人間はおろか部屋の外郭を曖昧にするほどに全てを破壊した。 「では代償に彼等を豚のように扱っても問題なかろうリーマス?!」 誰も存在せぬ室内でシリウスは叫んだ。しかし意識のない彼の友人は問い掛けに答えない。 シリウスは膝をつき、涙を流しながらルーピンを抱き寄せた。震える手で幾つかの必要な治癒の術を掛けようとするが、どれも上手く効果が表われず彼は嗚咽を漏らす。母を看取る無力な子供のように、彼はルーピンの髪を撫で、額に額を合わせ、そして何度も小声で名を呼んだ。 ダンブルドアの要請でルーピンを救出に来た魔法使い達は、負傷したリーマス・ルーピンを抱きかかえて泣いている1人の男を見つける。 医療所へ搬送するために魔法使い達がルーピンの体に触れようとすると、彼は意味の通らない言葉を発しながら抵抗しようとした。 杖も持たぬ黒髪の男を、気の触れた浮浪者だと彼等はその一瞬思った。 マグルの、魔法界の、どんな力をどのように使えばこうなるのか、想像が難しいほどに様々な物質と色彩がグロテスクに混ざった部屋の中で、黒髪の男は立ち上がることも出来ずただ泣いていた。 と、いうようなことが、 お互いに何回も何回も何回もあったと思います。 人間には、自分の死より恐ろしいことが幾つもある。 この作品中で、人は死んだかもしれないし死ななかったかもしれない。 まあそんな感じでひとつ。 (相手はマグル向けの工作で自殺を偽装しているのに、 シリウスはそんなの超お構いなし…後でどう処理するんだろう) ポエムとは言い難い長さですが これを「幸運と血の話」の後ろに入れるのはちょっと…(笑) 死と破壊のサイト…みたいになっちゃうのでこちらに。 2006.05.30 BACK |