彼を思い出す梢



 彼等の家の庭には観賞用なのか実用なのか良く分からない草花が植えられ、背の高さや季節もあまり頓着されないまま適当に生成していた。そして彼等の家の敷地の外にも同じような具合に草花が生い茂り、立派な木が生え、時折気が向いた彼等によって世話をされていたので、外も内も境界の曖昧な様相を呈していた。
 ある日ルーピンが用あって庭に出ると、柵の外の楡の木の下にシリウスが立っていた。それはおそらく彼等が住んでいる家がここに建つ以前から生えていたであろう楡で、随分と風格のある枝振りをしている。ルーピンは側を通るときなど思わず目礼をしてしまいそうになる木だった。
 草についた虫を取ってやりながら、ルーピンはもう一度シリウスを見た。彼は先刻見た姿のまま動いていない。木の下でぼんやりするという行為は彼の気質にも容姿にも、酷く不似合いだった。ここからみていると、敵の乗る馬車が通りかかるのを剣を持って待ち受ける復讐者のように見える。
 ルーピンは少し考えた後、庭を出てシリウスに話し掛けた。
「何かの番をしている?」
 突然人間が目の前に現れた驚きを控えめに表して、シリウスは何度か瞬きをする。そうすると彼は緑の中に立つ異国の人形ではなくなり、愛すべき友人の顔になった。
「ああ、リーマス。不思議なんだ」
 先ほどから吹いている強い風に煽られて、さわさわと梢が揺れる。ルーピンの額に緑の葉が触れた。それを無意識に払ってやりながら、シリウスは首を傾げる友人に話を続ける。
「この木の下に立つと不思議にお前を思い出すんだ」
 私?というのは今、ここに立っているリーマス・ルーピンだろうか?と葉擦れの中ルーピンはジェスチャを交えながら幾度か質問を繰り返した。シリウスはその都度真面目に返事をする。その通りだ。俺の友人リーマス、お前を思い出すんだ。目の前にいる、たった今この瞬間でさえ。
 シリウスは犬が耳をそばだてる時の表情をして、真剣に考え込んでいた。正しい解答、あるいは納得出来る解答が見つからない限りは太陽がどの方角に傾こうと彼はここに立ち続けるに違いないと嘆息して、ルーピンは額に人差し指を当てる。
「匂いでは?私は自分では分からないけれど、この木と同じ匂いがしているのかも」
 それはもう考えた、とシリウスは首を振る。顔の横で揺れる細い枝を手に取り、鼻を寄せる。それから、ルーピンの髪と、首筋と、肩口にも同じようにした。その仕草は口付けをする時のものによく似ていた。
「では何か私がここで印象的なことを話したとか?」
 木登りの話をここでした、それから木の下の幽霊の話をした、あとは誘拐の話とユダヤ人のジョークの話をしたな、とシリウスは続けた。この男はこれまでの全人生の会話を場所別に分類して覚えているのだろうかと、正直ルーピンは気味悪く思った。
「ああ、キスもしたが。しかしそれは別にこの場所に限った事ではない」
 そう言って彼が意地悪く笑ったので、「何かけしからぬ冗談を仕掛けているなら、私は庭仕事に戻るよ」とルーピンも微笑んだ。勿論シリウスは否定をする。
 緑色の衣服からの連想ではないのか?又は枝の揺れる音が衣擦れの音に聞こえるのではないか?と考え付く限りルーピンは問い掛けたのだが、シリウスのお気には召さなかったらしく彼は首を振りつづけた。困ったルーピンはとうとう「殺してこの下に埋めたのでは?」と聞いた。
 その答えは少し彼を脅かしたのかシリウスは先刻より沢山首を振った。彼を慰めるように楡の梢がさわさわと黒い髪を撫でる。
 ルーピンは吹き出した。
 初めは微かだった笑いは徐々に大きくなり、やがては彼を立っていられなくなるくらいに揺すぶった。ルーピンはシリウスの足元にしゃがみこんで笑った。遠くから見ていれば、鳶色の髪の男が黒髪の男に許しを乞うている場面に思えたことだろう。それくらい一心に、ルーピンは小さく丸くなっていた。
 二人が暮らし始めてから、ルーピンの笑う理由となる事のめっきり多くなったシリウスは、いつもこの時間の自分の身の置き場に悩む。彼は友人が笑っているところを見るのは好きだった。しかし笑いの原因が自分である以上、彼の仲間には入りかねる。そしてルーピンの笑いの理由は大抵シリウスの理解の範囲外にあるのだ。そんな訳で彼が楽しそうに笑っている時間だけ、シリウスは幸福と不幸の中間の何か痒い時間を過ごさなければならないのだった。
「さあ、リーマス。お前のやっているのは随分と無礼な行為だぞ。散々笑ったのなら説明しろ」
 靴の先で靴をつつかれて、ルーピンは果敢にも「私は……」と言いかけた。しかし次の笑いの波がきたようで、続きの言葉はかき消されてしまう。
 ルーピンは、しばし時間をくれるようにと片手を上げた。息も絶え絶えで、とても喋れるようではない。
 シリウスの現在の状態を示す針が中間からだんだんと不幸の方へ傾き始めるなか、彼は眼前を飛んでいくモンシロチョウなどを眺めながら友人を待った。昔に比べれば彼は幾分待つことに慣れたといえる。
「私は、癖で…………」
 たっぷり3分間、ルーピンは口元を押さえて肩を揺らした後でそう言った。
「お前の癖?」
「私は、癖で、君の髪を、頻繁に撫でる……ああ、済まないシリウス……原因はそれだ……」
 力尽きて項垂れたまま、ルーピンはそう言った。
「それが一体……」
 心底不思議そうに問い掛けようとしたシリウスの髪を、葉を茂らせた楡の枝が撫でた。
 ぽかんと口を開けてシリウスは友人を見る。顔を上げなくても表情が分かるのか、ルーピンの肩が1度揺れた。
 シリウスの頭に触れるその重みその感触は、確かに友人の痩せた手のものだった。
「じょ、条件反射……確かマグルの間では、パ、パブロフの……」
 君は頭を撫でられると私を思い出すんだねえ、と最後の力を振り絞ってルーピンは言い、あとは言葉もなく肩を揺らすばかりだった。シリウスは2,3度何かを喋りかけ、けれどどの言い訳も自分の名誉を回復するものではないと気付いたのか唇を結び、頬の色を染めてルーピンを睨んでいた。
 シリウスが友人を楡の木の下に捨てて去らなかったのは、ルーピンが自分の脚に凭れて笑っていたからである。
 そんな彼の頭を、楡の梢はさわさわと撫でていた。




あー……夏が近付いてきたので
沸いたものを書き始めましたねえこの女。

2003.07.30


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