再会 そもそもは彼を見つけるために始めた旅だった。しかし資金は少なく、居場所に至っては見当すらつかない。リーマス自身、本気で彼に会えるとは考えていない節があった。 ただあまりに多くの事が一度に起こったので、心を整理するための旅。諦めも切り替えも共に得意な彼は、雑踏で旧友の顔を探す事もなく、焼き菓子を堪能したり夕焼けの中で子供の歌声を聞いたりする毎日を十分楽しんでいた。 けれどそれはドイツの、比較的大きな駅のある街での出来事だった。 起き抜けの朦朧とした精神状態で朝食を摂ろうとオープンカフェに出向いたリーマスはそこにシリウスを見つけた。 冗談のように唐突にそこにいて、まじめくさった顔でスクランブルエッグなど食べている。 完璧なテーブルマナーを躾られて育ったくせに、それを厭ってわざと乱暴にナイフとフォークを動かす癖は昔のままだった。 斜め後ろから見る横顔は幾分人間らしくなり、却ってホグワーツで再会した時よりも学生時代の顔立ちに近くなったようである。 リーマスは笑って旧友に歩み寄った。 「おはよう」 会えればああも言おう、こうも言おうと考えていた台詞がリーマスには様々あった。謝罪であるとか釈明であるとかその類の。しかし食事をしている彼を見るとどうでも良くなってしまった。 瞬間、さすがに驚いた顔をして手を止めたシリウスだったが、すぐに無言でリーマスの方へメニューを押しやってくる。 彼は笑いを噛み殺して、やって来たボーイに注文を告げると正面からシリウスを見た。黒髪の彼はちらりとリーマスを見上げ、素知らぬ風に食事を続けようとしたが、それは上手くいかなかった。ナイフがフォークの上を滑って皿を打つ。トマトがクロスの上を転がって石畳へ落ちる。彼は昔から自分の感情を隠すことが得意ではない。 「久し振り、とかそういう普通の会話は済ませたんだったかな、私達は」 諦めたのかナイフとフォークを置いて、シリウスは静かに答えた。 「12年ぶりの挨拶をする間もなく、誰かがいきなり抱きついてきた」 相手が何の話をしているのか一瞬把握できなかったリーマスだが、あの混乱の中の出来事を言っているのだろうと見当を付ける。彼はあの場面の記憶が未だ曖昧だった。帽子を取って握手から始まる挨拶をしている時間はなかったじゃないかと一応反論はしてみるのだがシリウスは肩をすくめただけだった。 「そういえば学校はどうした」 リーマスにとっては答えにくい問いである。 「ええと辞職したんだ」 更に何か言い募ろうとしていたシリウスへ片手を上げて、リーマスは簡潔に事実だけを喋った。 「そのことはもういいんだ。問題ないから。それより済まなかったシリウス」 「いや、すぐに治った。気にするな」 「治った?何の話だい?」 「お前があちこち引っ掻いたものだから体中傷だらけになったんだが……」 「それなら君だって私を酷く噛んだじゃないか。ちなみに私はまだ完治してない」 「もう年だからな」 「同い年のくせに。……いや、そうではなくて私が謝っているのはあれだよ。その、君の」 「何だ」 「君の無実が晴らせなかったのは私のせいだ」 「―――ああ、それか。それはお前のせいではない。奴が生きて逃げおおせたのはハリーの意志だ。そうでなければ俺達は奴を殺していた。そうだろう?」 「そう……だけれど」 「それに凄い逃げっぷりだった」 火のついたようなスピードで視界から消え去った懐かしい姿が脳裏に浮かんで、リーマスは微笑む。 「逃げ足には定評があったからね、彼」 「ジェームズがいればな」 リーマスはシリウスの顔を凝視するのをかろうじて堪えた。思ったよりも静かに彼はその名を口にしたので。 「彼がいればピーターを捕まえる事くらい易かっただろうなあ。行きがけの駄賃に私を叩きのめして、ディメンターを蹴散らし、きっとハリーを助けた」 「……ついでにリリーへ捧げる詩を推敲していたかもな」 「そしてこう言う『ああ我が下僕シリウス・ブラック!貴様の頭と手と足は何の為に付いているんだ!なんたる無様!無能!』あの無意味に自信たっぷりのいつもの顔で」 リーマスが彼の口真似をした時、二人が同時に思い浮かべたのは夜の直中に立つジェームズだった。かの人は、陽の下よりは闇の中の姿がより映える。世界中の悪戯を独り占めしているような油断のならない表情で、月明かりに瞳と眼鏡をきらきらと光らせていた彼。 「そして君はこう言い返す『黙れポッター!魔法いたずら仕掛人一番の小者め!図々しくも真打ちの、見せ場を邪魔するとはいい度胸だ!』」 「俺はそんな事言わないさ」 「いや、言うね。絶対言う」 「言わない」 「言う」 「言わない」 「言うよ」 「言わない」 子供の頃を模して、口を突き出した二人だったが、その頬には徐々に優しい笑みがひろがっていく。 「言うったら」 リーマスがテーブルの下でシリウスの足を柔らかく蹴った。蹴られた方は目を丸くし、そして吹き出した。 「幾つだお前は」 それから2人はぽつりぽつりと近況を語った。その言葉の端々から、お互いが驚くほど学生時代のままの価値観や好みに従って今も生活しているのだということが朧気に分かって、少々呆れたような表情や奇妙に嬉しい感情を隠さなければならなかった。 そのままの勢いで、彼らの間で伝説となっている過去の華々しい失敗を笑い、現在の自慢を得意気に報告し(それに惜しみない賞賛をおくり)、ずっと言い忘れていた礼を述べ(その件については記憶にないと正直に告げ)また笑った。ひとつ笑うたびに時間が逆回りして、話が終わる頃にはこのドイツの街で2人して子供に姿を変えているのではないかという気さえした。 あまりに友人が昔のままなので、ついこう言ってしまいそうだった。 『さあ、今日はこれからどうする?』と。 実は2人には、言いたいことがそれぞれにあったのだが話す勇気が足りずに周囲をぐるぐる廻っているような状態だった。シリウスが口を開きかけてやめた時リーマスは気付かなかったし、リーマスが意を決して息を吐き出した時シリウスがハリーの話をしたので言葉は相槌に変わった。 リーマスはそもそもシリウスを探すために旅に出たのだから、目的を果たした以上周遊はここで終わりの筈だった。もし今シリウスに『一緒に旅をしたい』と申し出てみたら彼は何と言うだろうかとリーマスは考える。カモフラージュには1人より2人連れの方が断然有利なのは確かである。しかし移動手段によっては足手まといになってしまう可能性もないではない。 シリウスはまさに現在精神的にも肉体的にもかなり参っていたので、理由は不明ながら旧友が目の前に突如現れた事は嬉しかった。そして逃亡しているとはいえ1人旅の不愉快さはこの数ヶ月で思い知った。もしリーマスに時間があるなら同行をという考えが頭をかすめたが、旅には危険が伴うことが予想される。それに彼にも生活があるだろう。新しい仕事、新しい友人、それにもしかしたら新しい恋人も。シリウスの誘いにリーマスの表情が俄に曇り「すまないシリウス……」で始まる謝罪の言葉を想像しただけで彼は気が重くなった。或いはなお悪いことにリーマスは自分の都合を曲げてまで同行しようとするかもしれない。それは避けたかった。 ギャルソンが、小銭で重くなったエプロンをちゃらちゃら鳴らしながら食事代を受け取りに来る。 「じゃあ、私はもう行くよ」 言うべきか言わざるべきかの逡巡と、シリウスが何か口にしてくれたら良いのにという微かな希望との間を瞬時に100回ほど往復して、とうとうリーマスは席を立った。 「君の無事をいつも祈ってる。心から」 シリウスは何も言わず黒い眼でリーマスを見上げていた。あまりにもそれが犬の姿の時の様子に似ていたので、まるで罪のない動物を捨てるような気分になってリーマスはつらくなる。 「元気で、パッドフット」 「ああ、お前も元気で。……いや、ここは払っておくからいい」 ポケットを探る彼を制してシリウスは札入れを取り出した。 「大事な資金じゃないか」 「もともとここは俺のテーブルだ」 「うーん……じゃあ甘えるよ。ボス・パッドフット」 シリウスは無造作に紙幣を掴みだして店員に渡す。万事にスマートな彼らしくなく、チップを渡す時、硬貨が落ちてカップに当たった。 リーマスは空を見上げた。風が吹いて髪が揺れる。 思いがけず目的を果たして旅はここで終わるようである。さてこれから一体どうしようかと考えてはみるが、すぐには思いつけそうもない。 旧友が無事でいると分かっただけで収穫だと、取りあえず気持ちを切り替える事にする。 ふいに何かが壊れる音がしてリーマスは我に返った。 席を見るとシリウスの姿がない。 物語の謎の人物のように忽然と姿を消すために、全速力で走り去ったのだろうか?いやいくら昔のままの性格だったとしてもそれはあり得ないだろうと彼は首を振る。 廻りを見回すと妙に皆がこちらに注目している。 リーマスは混乱しながらも彼らの視線を辿った。人々はリーマスを見ているのではなく、テーブルを見ているのでもなく、どちらかといえばシリウスの座っていた椅子の、さらにその下方の……。 目で追いつつ2、3歩前へ進むと、テーブルクロスの陰に隠れて今まで見えなかったものが視界に飛び込んできた。 人間の手である。見間違えようもなく友人の爪の形をした手。つまりはシリウスの手だった。 「シリウス!」 大声でリーマスは友人の名を呼び、駆け寄る。 シリウスは石畳の上に倒れていた。 無駄に長い身の丈と黒い服のせいで、地面に落ちた夕暮れ時の影のようだった。 ふいにあの知らせをーーーー一生の内で最低の知らせを受け取ったときの気分をリーマスは思い出した。あの時倒れていたのはマグルの死人達で、立っていたのはシリウスだった筈である。今倒れているのはシリウス・ブラックで、立っているのはリーマスだった。 目で見る世界の時間と心の中の時間が噛み合わなくなり、ガタガタと不愉快な音を立てる。親切な婦人が何か声をかけてくれるのが遠い昔のようで、遠い昔に「眠っている時の顔の方がハンサムだね、君は」と何気なしに言ってシリウスを怒らせたのがつい先刻の事のようだった。 膝をついて息を確かめる。彼は死んではいなかった。薄く開く眼。 「……ここから7キロほど北の森にヒッポグリフを繋いでいる……頼む」 「何?え?……ヒッポグリフ?」 言うだけ言ってしまうと、彼は満足げにがっくりと動かなくなってしまう。 もはや状況的にも時間的にもマグルを頼るしかないだろうと判断してリーマスは叫んだ。 「どなたか助けてください。彼は病気です!」 周囲の人々が手に手に小さな箱を持ち、それに向かって話し始めた。 あとで話を聞けば何ということはない、シリウスはあの時風邪をこじらせて肺炎を起こし、死にかけていたのだ。自分でもどうやら切羽詰まっていると感じ、もしここで死ぬのなら、その前にまともな物が食べたいと街中へさまよい出たらしい。そしてリーマスとの再会のショックで自分の体調をすっかり『失念』してしまったということだった。 リーマスは縦長のマグルの車に乗り(どういうジョークなのかカラフルなライトが点滅し、しかも彼が気絶しそうなくらい壮絶な音をたてながら走るという、事情が事情でなければ絶対に乗車を拒否しただろう素敵なシロモノだった)マグルの医療施設に初めて足を踏み入れた。どれも初めて目にするものばかりで、その場で知恵熱が出そうな珍しい設備の数々はさておき、最終的に告げられた医療費の額には真剣に卒倒しそうになった。『保険』というシステムの為だとは説明されても、詐欺にあった様な気分は消えない。幸いにしてシリウスが資産の一部を宝石として所持していたので事なきを得たが、そうでなければ別件でも手配されるところである。 白い壁やシーツのせいで異様に明るく清潔な印象の室内で、リーマスはゆっくりとした動作で病床の友人をのぞき込んだ。彼の今の容姿はとても病院のベットに似合う。そうやって横たわっていると、まさに余命幾ばくもない人間に見えた。 「朝食より、昔話より、まず私に言う事があったと思わないか?シリウス」 昔の彼なら反論しようとしてどんどん墓穴を掘ったものだが、今はただじっとリーマスを凝視するのみである。 「ビーキーの心配は仕方ないとしても」と、リーマスはつぶやく。やれやれ手強くなったぞという言葉を飲み込んで。 「すまない」 視線をそらせて俯いたシリウスが、おとがいに手を当てて眉をひそめたので、リーマスは相手が何かを言おうとしていると気付く。 友人の言葉を待って、彼は窓辺に腰を掛けた。 室内には遠くから子供の声、そして微かに虫の羽音が響いている。二人が黙るとその音が却って静寂を際だたせた。シリウスがようやく口を開いたのは、リーマスが見下ろしていた病院の中庭でボール遊びをしていた子が、やがて飽きて次の遊びを始めた頃である。 「ところでリーマス、話があるんだが」 「なんだい?今度は南に繋いだドラゴンの世話をしてくれなんて言うんじゃないだろうね」 「・・・・・・・・」 「続きをどうぞミスター」 「お前はそんなことは望まないだろうと思うんだが」 どこかで聞いたことのある言葉だなあ、とリーマスがぼんやり考えている間もシリウスはのろのろと続けた。 「お前が気ままな一人暮らしを楽しんでいるのは分かっているつもりだ。しかし……まあ……考えてくれないか」 ハリーに言った台詞の使い廻しじゃないか!と思い当たって吹き出しそうになったリーマスだが、口元を押さえて何とか誤魔化した。 「ああ、その話か」 「……まだ本題を言っていないが」 「うん。そうだね。手間が省けた」 「もしお前さえ良……手間が省けたと言ったか?」 「言ったとも」 「誰の手間だ」 「君と……私だよ」 「・・・・・・・」 シリウスがぽかんと、ある種無垢な表情で見上げてくるのを、リーマスは指を折ってカウントした。彼の表情にようやく得心の色が広がるのに5秒を要した。 「リーマスそれは」 混乱しているのと、悔しいのと、照れているのと、そして紛れもなく嬉しいのと。ぎっしり色の詰まったパレットのような表情をシリウスはした。どんなに痩せやつれて形相が変わっていようとも、リーマスは昔少年だった頃のシリウスの顔をその中に見つけることが出来る。くすくす笑いながら優しい声でリーマスは言った。 「君、昔に比べて頭の回転が遅くなったんじゃないか?」 今度は懐かしい昔のままの罵詈雑言を聞くことが出来たので、リーマスはアンコールをする。ただし心の中で。ここは病院で、シリウスは病人なのだ。彼は早く回復する必要がある。 次の旅のために。 リーマスは今後の相談をする為、シリウスの怒鳴り声がやむのをおとなしく待った。 な……長!たかがこれしきの内容で何事。 割るべきですよね、 すいません面倒で。 ドラマチックな物を書いたつもりでしたが 出来てみると地味ですね。発想が地味なんですねきっと。 もっと「パリの凱旋門てっぺんでスポットライトを 浴びて仁王立ち、 大音声で名を呼ばわりながら 飛び降りてくる。そののち 5分間2人で 浮遊シーンBYラピュタ」みたいなのを やれば良かった。 BACK |