諍い3 私は世界に対して何も望まない。何も欲しがらない。ただ、感謝だけをする。だから私はいつも幸せでいられる。 例えば君がいつかここから去ってしまっても、側にいてくれた幸福な時間を私は思うだろう。それは君を傷つけ、裏切る事になるのか? 結局お前は何を失っても平気なのだ、とシリウスは私を罵った。 眉間にシワを寄せ唇は歪んでめくれあがっているけれども、それでも彼は美しい。いや、怒りの表情を浮かべている彼が一番美しいと言ってもいい。人を刺し殺すようなその視線を受けると、彼の指が背に触れるときと少し似た感覚を覚えて肌が粟立つ。 なんて鮮やかな感情を持って彼は生きているのだろうと思う。シリウスは少年の頃の喜怒哀楽を、そのまま今も隠し持っている。あの冷たい牢獄がそれを腐敗させなかったのだ。激しい怒りも人を思う強い感情も、全く昔と同じだ。 しかし私がシリウスのような心を持っていたとしたら、この歳まで生きてはこられなかった。純粋な怒りや悲しみで、自分の身を焼き尽くしていただろう。 君は私が君でないという理由で私を責める。 私は私なりの誠意と理由でシリウスを愛しているのだけれど。 私の感情は彼に届かない。そして、彼の感情も私に届かない。 シリウスの瞳が揺らいで、私を傷つける言葉を探していると分かる。もっと簡単で短い言葉があるのに、彼はそれを使おうとしない。「人狼にはひとの心が分からない」と。いっそ、そう言ってくれればいいのだ。君がその台詞で溜飲を下げる種類の人間であったなら、私も今こんな複雑な感情に捕われずに済んだのに。 私は君に言い返す言葉を持たない。君の言葉は概ね正しい。私は力なく首を振って呟く。「君が何を怒っているのか、私には分からないよ」と。その怒りに対する解決法はこの世に存在しないよ、と言うよりは幾らかシリウスに対して優しいだろうかと思って私はそう口にする。 彼は思いつく限りの非難を私に浴びせるが、どの言葉も私を傷つけるには至らない。却って致命傷を避けるような優しさと、それ故の苦悩が伝わってくるので私は辛くなる。沈黙が落ち、シリウスは私の肩を掴んで引き寄せ口付けた。一瞬見えた彼の、救いを求めるような眼がいつまでも脳裏に残った。怒っているのは君なのに、まるで泣いているみたいだよシリウス。 ああ善良な友人。大丈夫、君は悪くない。 君は正しく、君の望みはすぐに叶えられてしかるべきものばかりだ。 ……けれど私も悪くはないはずだ。そうだろう? 私はシリウスの背に腕を廻した。予想外の事だったのか、驚いた彼の呼吸と身じろぎが手のひらに伝わってくる。私は目を逸らせていた。 これほど感情がすれ違い、隔絶があるにも関わらず肉体はいつも通りきちんと反応する。シリウスも私も。それに哀しいような、けれど救われるような気持ちになる。 眠るシリウスの額をそっと指でなぞる。体のあちこちが汚れていて、シャワーを使う必要があるのは分かっているが、手足が重くて動けそうもない。噛んで遊んだ後に放置された犬のおもちゃというのはこんな気分がするものだろうかと妙に可笑しくなる。 シリウス。 神に「これを私に下さい」と望めというのか。あるいは君に「私のものになってくれ」と祈ればいいのか。 私にはそれは出来ない。私の平安は次の瞬間に粉々に砕かれてしまう。 私は君を愛し、君の幸福を希望し、君の願いなら可能な限り何でも叶えようと思う。君の命を、私のそれよりも重視している。 シリウス。それだけでは、いけないのだろうか。 「シリウス!!シメるぞゴラー!!」ですか? 「先生……ちょっと酷すぎます……」ですか? ほのぼのと、ゾッとするような感じの丁度中間くらいのものを 書きたかったのですが。「諍い」と合わせて読んでくださると 少し怖いと思います。 シリウスがやっているのは陰鬱な消耗戦だ。 彼の精神が限界まで傷ついて壊れるのが先か、先生の変化が先か、 結果は不明。それでもシリウスは逃げたりしないだろうけど多分。 明らかにシリウスさんの方がデリケートです。全てにおいて。 そしてわざわざ自分が一番不利になるタイプを選んで 恋愛をしている。チャレンジ精神か? 2003/04/30 BACK |