諍 い 2


 
 ハリーとリーマス、犬の姿をしたシリウスの3人は駅からの道のりを歩いて帰って来た。いつものように人間2人で荷物を分け合い、いつものように冗談を飛ばして笑い合っていたにもかかわらず、家に一歩入るとハリーは眉をひそめて「空気がとがっている」と不審気に言った。彼はこうやって頻繁に勘の鋭い所を発揮する。それを聞いたリーマスはにっこり笑って「お腹が空いただろうハリー、ちょっと待っていて」と言い残しキッチンへ姿を消した。真実を糊塗し隠蔽する、幼い頃から培われた彼の能力も、ハリーを相手にすると切れ味が鈍るのを自覚しているリーマスは素早く逃げたのだ。
 居間にはシリウスとハリーが残った。

「何かあった?」
 と聞いたハリーに向けられたシリウスの、わざとらしい驚いた顔で少年はもう答えを知ってしまった。
 −−−−ああ、喧嘩だ。
「どういう意味だ?」
「で、仲直りはしたの?」
「・・・・・・・」
 それから、クィディッチの話や授業の話をしようとするシリウスに、ハリーは辛抱強く原因を尋ねた。この家の大人2人はハリーがまっすぐに眼を見て要求すれば、例えどんな事であろうと最終的にはそれを必ず叶えてくれる。(その代わりハリーも滅多な我侭を言いはしない)
 シリウスはいかにも渋々という風に語った。
「脱狼薬の副作用が先月は特に酷かったんだ……」
 いつも真っ直ぐにハリーに向かっている視線は今は伏せられている。シリウスが少年に見せる態度としては大変珍しかった。今回の事が余程こたえているのだろう。
「それで俺は薬を飲まないで2人で山へでも行ったほうがいいのかと尋ねた。リーマスは笑って首を振るばかりで話にならない。狼−−−−」
「うん」
「……狼人間でない俺には想像するしかない。分かってやれる事が何も無い。それで俺は言った『こうやって無駄に心配しているくらいなら、いっそ同じ病気になったほうがマシだ』と」
 ハリーの右目がぴくりと痙攣して、彼は自分が殴られたような顔をした。
「それは……シリウスが悪いよ」
 低く、大人びた声だった。義父をいたずらに非難したりはせず、けれど事実として告げていた。そんな少年を見ていると、シリウスは自分の義息ながら彼の年齢が分からなくなる。20年以上も年の離れた子供と話しているようにはとても思えないのだ。
「ああ、そうだな。リーマスの顔色が真っ青になった。人間は逆上すると顔の色が本当に変わるんだ。目と目の間のこの辺りから……すうっと白くなって……あいつは口元を押さえた。多分吐きそうになったんだと思う」
「すぐに謝った?」
 シリウスは首を振り、今度は真っ直ぐにハリーを見た。
「あの病気に関して俺が無知だから軽軽しくそんな事が言えたんだとは思わないでくれ。俺は子供の頃からあいつが、どうにかこうにか病気と折り合いをつけて生きてきたのを見ていた。あいつの性格や考え方、生活や今の境遇に至るまで、あの病気に影響を受けていない物は皆無だ。あの病気はあいつの一部、いや大半だと言ってもいい」
「シリウス……先生はシリウスを噛むくらいなら……自分が、自分が死ぬほうを選ぶと思うよ。そしてもし死ねずに誰かを噛まなくてはならないなら、誰か……他の人を噛む。そういう気がする」
「うん。知っているよハリー。俺達くらい長く友人をやっているとだいたいの考えは分かるんだ。他の誰かを噛む事だってあいつには十分に苦痛だろうけれど、俺を噛まなければならないなら、リーマスは迷わずそれを選択するだろう」
 シリウスは一瞬痛みに耐えるような表情をした。それは普段の彼とはかけ離れて、ひどく貴族的だとハリーは内心思った。
「でもそんな絶望的な誠意は必要ないんだ。俺を噛めばいい。何度も言いたかった。しかし狼人間でない俺にはどの言葉が彼を傷つけ、どの言葉が彼を癒すのかですら分かってやれない。想像するしかない。今回にしたってそうだ。この部分だけは分からない事が多すぎて俺は……そういうのは俺みたいな性格の人間にはとてももどかしい耐えられない事だ。分かるか?ハリー」
「分かるかもしれない」
「リーマスには伝わったと思う。俺が金輪際その考えを改めるつもりがないと。そしてそれこそが彼を傷つけたんだろう。同じように俺にもリーマスの考えている事が分かった。『たかが友情や愛情程度を、この病気と引き換えないでくれ』という。俺を射殺しそうな強い感情だった。あの一瞬、リーマスは俺を憎悪していた。多分」
「それで先生は?」
「何も。リーマスは顔を覆っていた。そのまま無言で自分の部屋へ行って鍵を掛けた。出てこなかった。夜になって次の日が来て、昼になって、また夜になっても」
 ハリーはさすがに呆れてシリウスに尋ねた。
「謝った?シリウス謝ったよね?!」
「いや謝らなかった。俺はドアの前に立って、ひたすら話し掛けた。話し合いがしたかったんだ。分かり合えようが合えなかろうが、そんなのは関係ない。ともかく俺はリーマスと話がしたかったんだ」
「……シリウス、でも、それって方法としてまずくない?先生を相手にした場合……」
「でも俺は俺だ。俺のやり方で接したい」
 ハリーは上を向いて顔を覆った。自分だったら益々彼を追い詰めるような真似をせず、1日くらいはそっとしておいて、ゆっくり考える時間をあげるんだけどと思ったが口には出さなかった。
「ええと、先生は部屋から出てきてるよね、今。どうやって出てきたの?僕が帰ってくるから?」
「いや。2日目の夜、俺がドアを破った」
 ハリーの唇がワオという形に動く。シリウスは仕方がないのでもう結末まで語る事にしたようだ。
「部屋の中は真っ暗だった。たぶんあいつはずっとそうしていたんだろう、ベッドで横になっていた。暗い室内で、リーマスの眼だけが青く冴えて光を反射していた。こっちを見ていた」
「先生だったら、ドアを破ったりしたら……もうシリウスを許さないんじゃない?」
 恐る恐るといった感じでハリーはシリウスに尋ねる。この夏、2人を仲直りさせる為に全ての知恵と能力を惜しみなく使って奮闘しようという、孤独な決意がすでに表情に表れていた。
「いいや。俺は部屋に入っていった時、犬の姿をしていたから。そして首に『済まない』と書いたカードを下げていた」
 暗い部屋に、黒い大きな犬がためらいがちに歩いていくところをハリーは想像した。しかも首にカードが下がった状態で。
「それで?それで?」
「リーマスは『卑怯だ…パッドフット』と一言呻いて俺の頭を撫でた」
 リーマスが、犬の姿のシリウスをとても愛していて(もしかすると人間本人よりも)無尽蔵に甘いことを知っているハリーは口元を覆って微笑みを隠した。
「僕も先生と同意見」
「俺はこの術の習得に3年も掛けているんだ。何らかの役得があってもいいと思わないか?」
「例えば怒った友人と仲直り出来るとか?」
「そう。怒った友人と仲直り出来るとか」
 黒い犬はその時ばかりは本物の犬らしく、手の平を舐めたり遠慮がちに寝台に前足を掛けたりしたのだろう。そして元教師は黒い犬を抱きしめたのだろう。
 シリウスは立派な大人なのだけれど、友達との仲直りをこれ以上はないくらい幸せそうに話している様子を見ると、自分やロンが喧嘩をしているのと何ら変わりがない、とハリーは思う。

「さあハリー、これで足りるかな?」
 シリウスとハリーが思わず吹き出してしまったくらいのタイミングの良さで、リーマスがレモネードやパウンドケーキの載ったトレイを持って現れた。笑顔には一分の隙もない。
「遅いよ先生。餓死するかと思った」
 ハリーが言うとシリウスがウィンクをして返事をする。
「すまん、俺がもっと早口で喋れば良かった」
「君はね。もうずっと犬の姿でいるといいよシリウス」
 リーマスはそう言った。口調は素っ気なかったが、シリウスを見る目は優しい。ハリーは妙に嬉しくなって2人に言う。
「今日からは喧嘩しないでよ?休みの間のスケジュールは全部決まってるんだから。そんな暇ないよ」
 2人は口々に承諾する。そして少年は安心して予定表を取り出し、2人の保護者へ秘書よろしく読み上げて聞かせた。保護者達は上司の命令を聞くように真剣な顔で頷き、時折顔を見合わせて笑ったり、首を振ったりする。ハリーもつられて笑いながら、それでも発表を続けた。
 長い学休期間の始まりである。




考えてもみてください。犬の姿をした友人が
「ごめん」か何か 書いたカードを首から下げて
歩いてくるんですよ!その上で 「いや!許さん!」
なんて言える人間がこの世に何人いるでしょう!
卑怯だシリウス!その技は卑怯だ。


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