Wish you were fear


 寝室に射し込む日差しは、もうすでに朝のものではなくなっていた。十分に暖まった部屋の中、硬い表情の男が2人沈黙している。
 ベッドの上にはシリウスがいた。上半身を起こして中途半端にシーツをかぶっている。露になった胸は裸だった。そして不自然に離れた位置にリーマスが立っている。乱れた髪で裸足。もうずっとそうしているのか、頬と唇から血の気が引いていた。
 リーマスが口を開きかけて閉じた。その瞳は動かずにじっと床を見ている。2,3度上下する肩。
「出血していると思う。手当てをさせてくれないか」
 シリウスはじっと黙っていた。暖かい色をした眼はシーツの皺を見ている。何も答えないシリウスに、努めて表情を変えないようにしてリーマスは言った。
「君の気の済むようにしてほしい。何でもいい。私がこの家を出てもいい」
 初めてシリウスの眼が揺れた。ゆっくりと、彼は顔を上げる。
「リーマス、俺は」





 稀な事ではあるが、リーマスが夜更けにシリウスの寝室を訪れる事も時折あった。
 そんな時の彼は、足音もなくドアを開ける音も閉じる音もさせない。夜が部屋に忍び入ってきたような風情で、するりと姿を現す。
 シリウスのパジャマのボタンをすべてはずして、ようやくリーマスは訊ねる。
「君を抱いてもいいだろうか」と。
 シリウスはそんな友人を見ると、人の真似をする化け物の話を連想する。彼のそののろのろとした問いは、どう考えてもシリウスの几帳面さの模倣だった。
 思えばその夜、リーマスは明らかに様子がおかしかった。話し掛けても返事はすぐに返らず、視点は神経質に揺れていた。
「喉が渇いていたんだ。水を飲みに行こうと思っていたのに、どうして私は君のベッドの上にいるんだろう……」
 心から不思議そうに首をかしげる友人に、何とも答えかねてシリウスはただじっと彼を見つめる。彼が月のうち数日、情緒不安定になるのは子供の頃からのことだった。口数が増えたり、集中力を欠いたり。しかし再会後の彼はその性質を隠す技術を身に付けていたので、シリウスも気付いていない風に振舞っていた。
「水を飲んでくるといいーマス。俺はこの悩殺的な格好のまま待っている」
「水は冷たいから……何か違うものを……」
 彼はかろうじて聞き取れるくらいの小声でそう呟いて、シリウスの首筋に唇を付けた。話を続けながら唇は上下する。
「ああ、やっぱりここで良かったのだったかな。水でなくて君だったかも」
「自分の欲求の種類が分から―――」
 リーマスが首筋に噛み付いたので、シリウスは言葉を途切れさせた。珍しい事だった。普段の彼は人の肩口に歯を立てる行為を嫌う。
「噛むと、肉や腱の動きがはっきり分かる」
 リーマスはシリウスの肩に顔を伏せて笑った。
「……そのユーモアは俺には理解不能だ」
「君の筋肉が緊張するのもすぐに分かるけれど、それとは別の話で。君の身体が、骨格をあちこちの腱と筋肉が引っ張り合いをして、単に動いているものだというのが歯から伝わってきて、可笑しくて」
「リーマス?」
「君も、私を噛んだ時にそう思った事は?」
「……ない」
「残念だな」
 そう言って、リーマスはシリウスの肩を噛んだ。愛撫と言うには強すぎて、シリウスは声を抑えなければならなかった。
「筋肉が硬い」
「……今日は『感想を言おうデー』なのか?リーマス」
「食べてはいけないものという感触だね。まさに。……どうてそんな顔をしているのかなシリウス。いくら君が白くて柔らかそうでも食べたりはしないよ。……今日は満月じゃないし」
「……様子が変だぞ。大丈夫か?」
「君とベッドの上でこんな事をするくらいには元気なようだ」
 それからも、リーマスはシリウスの身体のあちこちに触れてその都度笑ったり報告をしたりした。それは普段彼のよくやる冗談に非常によく似ていたが、しかし決定的に何かが違っていた。リーマスの表情はどこか虚ろだった。
 彼は解剖する動物のようにシリウスを扱った。同じ指、同じ唇で行われるいつもと同じ愛撫。けれど包む様な優しい視線はそこにはない。徐々に呼吸の規則を失い、背に縋りついてくる彼をただぼんやりとリーマスは見下ろしていた。
「汗の味がいつもと違う。何かを怖がっている?シリウス」
 答えようとして、手首を噛まれた。声があがるほど酷く。行為による喘ぎと苦悶の声の区別がつかないのか、リーマスは笑った。
 愛撫と痛みは交互に与えられた。快楽で軽減されるものの、それでも耐えられる痛みではなかった。シリウスは友人の名を呼んだ。そしてやめるようにと言った。しかし返ってきたのは口付けだった。そして手首を縛める恐ろしい力と。
 シリウスは体中を数十回噛まれた。首筋や手首、足の付け根、足首。どこも動脈をはっきりと感じ取れる箇所である。日焼けをしていないシリウスの肌は、すぐに醜い赤い痕を作り、幾つかは血が流れ始めた。
 挿入が繰り返され、やがて疲弊して指一本動かせなくなったシリウスの体に、それでも蹂躙は加えられた。
 リーマスは「喉が乾いた」という話を小声でしながらシリウスの身体を抱き続けた。






「感情を害している訳じゃない」
 シリウスはそう言った。彼の目には迷いがなかった。しかしリーマスは顔を上げようとはしなかった。
「私は昔から少し不安定なところがあると思う。今も治っていない」
「リーマス」
「それと……」
「言わなくていい」
「私の中の」
「言わなくていい。リーマス」
 もうすぐ満月だから。それでも小さく彼はつぶやいた。
「今度そういう状態になったら君には近づかない。君も注意してくれ。周期があるから分かるはずだ」
「何の話か分からない」
「済まなかった。シリウス」
「お前の罪悪感と話をせずに、俺と会話をしないか?」
「・・・・・・」
「それから、お前はどうしてそんなに離れて立っている」
「……シリウス、頼むから」
「頼むから?」
「自分の身を……もっと……」
「そうやって離れて立っているお前と話していると、学生時代に戻ったみたいだ」
 シリウスは手を伸べて彼を見た。視界に入ったその手のひらを、注視しないように彼は己を抑制しているようだった。
「来てくれリーマス。俺は動けない」
「駄目だ、シリウス」
「どうして。俺がお前を嬲りものにするのは良くて、お前が俺を嬲るのはいけないなんて、おかしな話じゃないか」
「君は決してそんな事はしなかった」
「いいや、したさ」
「意味合いが違う」
「同じだ。大丈夫、お前は頭が悪い。俺のほうが正しい」
「……よくもまあそんなこと……」
「リーマス、罪悪感の為に行動したいのか、俺の為に行動したいのか、どっちなんだ」
 彼はシリウスのその言葉にぴくりと反応し2、3歩ベッドへと近付いた。腕が横合いからかき抱くようにリーマスの身体を捕らえる。
「俺は正しい。お前はこれから数時間かけて散々自分を害獣扱いした挙句、俺の動けないうちに家を出て行くだろう。違うか?」
 何度も抱き合って慣れた腕の中にいるというのに、リーマスは身を強張らせ、額に汗を浮かべていた。
「それは俺にとって我慢が出来ない。お前の恐れている事と俺の恐れている事は違う」
 シリウスの唇の端は、切れて血が固まっていた。自分で噛み切るか、或いはリーマスが噛み切るかしたものだろう。しかし傷跡が開いて再び血が滲みだすのに、彼は頓着しなかった。
「私は君を傷つけたくないんだ……」
 懸命に距離を取ろうとするリーマスの手を掴み取って、シリウスは渾身の力で彼を拘束する。
「俺はお前を殴ったことがある。服を引き裂いた事も。全部忘れたと思っていたか?覚えている。もっと酷い事も」
「あれは君の所為ではない」
「ではお前の所為でもない。お前は逃げなかったのに、俺には逃げろと言う。その方が酷い」
 リーマスの身体から力が抜けて、途方に暮れたように彼はシリウスに抱きしめられた。
「君は何て物分りが悪いんだ……」
「調子が出てきたようだな教授」
「私は、君が私の名前を何度も呼ぶ声に酔った。あれは悲鳴だった」
「ああ、そうだな」
「君の肩や、手首の形は普段から綺麗だなと思って見ていた。もう少し顎の力が強かったら食い千切っていたかもしれない」
「光栄だね」
「シリウス……」
「それに」
 シリウスは低い声でリーマスの耳元に囁いた。
「いつもより感じた」
 あの状況で痛みと恐怖以外の感覚があったとは到底思えない。リーマスは目を閉じてシリウスの胸に額をすりつけた。彼の嘘はいつも稚拙だ。けれど優しい。優しい嘘だった。
「例えあのまま死んでいたとしても、それは俺の恐れることではない。リーマス、行かないと約束をしてくれ。でなければ俺は不安で、お前を放せない」
「・・・・・・」
「俺は少し眠りたいんだ」
「……分かった」
「俺の将来の幸福と、ジェームズの名にかけて出て行かないと誓ってくれ」
「……信用がないな」
「そんなものがある訳ないだろう。さあ、言うんだ」
「……君の将来の幸福と、ジェームズの……」
「聞こえない」
「ジェームズの名にかけて、この家から出て行かない」
「よろしい」
「……ああ、判断を急かしたな。この知能犯」
「当たり前だ。考える時間を与えれば与えるほどお前に有利になるんだから」
 シリウスは、幾分力の抜けた友人のうなじに手を回した。
「シリウス―――!!」
 驚いて彼の顔をとどめるリーマスへ、不思議そうに瞬きをする。
「何だ?俺はこれから眠る。就寝前のキスに、何故そんな悲愴な顔をする」
「どういう神経なんだ君は……」
「ファーストキスの時の女子みたいな顔をするな。そそられるじゃないか」
「ファー……」
「お前がこの家で暮らすとしても、俺が触れるたびにイタチのように怯えられては堪らない。いま我慢しておけばすぐ平気になる」
「・・・・・・・」
「それともお前はこのまま膝の上でいちゃつきたいのか」
 リーマスは一つ息をついて目を閉じた。瞼は不安定に震えていたが、シリウスは構わず唇を落とした。音のない柔らかなキスだった。
 そこでようやくシリウスは腕を緩め、リーマスはシリウスの膝に手をついて身を起こす。
「手当をさせてほしい」
「……いや。お前の芸を奪って申し訳ないが、喋っていられないくらい眠いんだ。起きたら自分で治すから」
「怪我の具合だけでも見せてくれないか」
「見てどうするんだ、助平。それより……目が覚めたら腹が減っているだろうから、何か作ってくれ。我儘を言ってよければここで食べたい」
「私の不味い料理でいいのなら喜んで」
「……不味くない……お前の作る食事は好きだ……」
 シリウスは頭を枕に付けて瞼を閉じた。目元に濃い影が出来る。
「どうして君は私の判断を片っ端から邪魔するんだろう」
「……お前の判断が間違っているからだよ……リーマス」
「私はどんどん自信が無くなってくる。何一つ決めたことを実行できない子供の気分だ」
「お前を説得するのに俺はいつも命懸けだ……大丈夫……まだまだチャンプさ」
「君にいつも覆されている」
「・・・・・・」
「シリウス?」
「・・・・・」
「シリウス。眠ったのかい?」
 応えは返らず、その不屈の人はどうやら眠りに就いてしまったらしかった。それはしかし当たり前の話で、彼は夜のその時から今まで眠っておらず、傷の手当も受けていないのだ。
 それでどうしてあんなに笑えるのか、冗談が言えるのか、暴行の加害者を恐れなしに抱きしめることが出来るのか。リーマスには何もかもが理解の外だった。
 彼はしばらく、不思議なものを見る目で青ざめたシリウスの寝顔を見下ろして立ちつくしていた。
 そして迷ったのち、指先で少しだけ彼の手の甲に触れ
「君は救いようのない馬鹿で頓馬だけれど、私はどうにも君に勝てないようだ」
 そう呟いて静かに退室した。勿論家を出るためではなく、彼の食事を作る為に。

 さすがに笑顔でこそなかったがその唇と頬には血の気が差し、もう殆ど普段の彼に近い表情が戻っていた。










Wish you were fear

Wish you were here
とかけてあるのですね。

あなたが怖がればいいのに。
というのと
あなたがここにいればいいのに。
というの。

元はピンク・フロイドさんの歌詞でしたっけ。
そのあとに色々な小説家さんが使用。
シリルのためにあるような一節ですね。
(既に何処かで使われているような気も
するのですが。御容赦!)

1年くらい書きかけで放置してて
永久お蔵入りにしようかなと思っていたものです。
故に、ちょっと過去にバックした話かもしれません。

や っ て も う た …(関西弁)
という瞬間は人生何回かはありますよね。
ええ、まあそう、珍作のアップでも性的なことでも
どっちでもよろしい(笑)。
自分という骨格を、愛情や欲望や衝動が
引っ張り合って動かしている感じが、結局します。
取り返しがついたりつかなかったり
人生更に楽しくなったり地獄を見たり…。

先生の、何年かに1度の大不調の時に
丁度当ってしまったらしいです。
一緒に暮らすって、そういうことですよね。
人間には必ず欠点というものがあって、
それが許せるかどうかは美点を愛するのと
同じくらい重要だと思います。

比翼の鳥という有名な男女(…)の例えを思い出します。
ここの2人はバンバン電柱とかにぶつかってそうですが
ヨロヨロと、それでも飛んではいるようです。

この場合の攻は先生で受がシリウスなのですが、
しかし男性のポジションはシリウスで
女性のポジションは先生ですね。
もともとリバ者でしたがシリルシリのお陰で
ますます受攻観が混沌としてきました。
フリーダム!(笑)
でも、不愉快になった人は
パラレルだと思って下さい。

2004/01/20


BACK