箱 庭 このところずっと晴天が続いている。 毎日少しずつ湿度が下がっていって、とても暮らしやすかった。 彼は肥料を作る手を止め、眼前の、何が通るわけでもない道や誰の所有かも定かでない雑草だらけの土地を眺めた。 風が鳴っている。それと虫の羽音も。 彼もリーマスも、もうこんな辺鄙なところに隠れている必要はなくなったのだが、2人は今もずっとここに住んでいる。 もう運命も彼等を弄ぶのに飽いてしまったのだろう。今、シリウスは人生で一番平安を感じていた。 ハリーは彼の物語に決着をつけた。 シリウスやリーマスや他の沢山の人間が彼を助けたが、決着をつけたのはハリーだった。彼は血を流し、叫び、多くのものを失って、それでも世界を守った。 ジェームズ・ポッターが死亡した時以上の歓声で魔法社会は沸き立ち、その現象はマグル界でもちょっとしたニュースになった程である。 シリウスとリーマスは、ハリーを心から誇りに思っていた。 人の気配がしてシリウスが我が家を振り返ると、戸口にリーマスが立っていた。午睡から覚めたのだろう、笑顔というのではなく妙な表情が浮かんでいる。彼は立ち上がった。 「どうした?眠りすぎて馬鹿になったのか?」 「なんだか……」 そう言うとリーマスは突然シリウスに歩み寄り、彼を抱きしめた。抱擁というにはいささか余裕に欠け、泣き出した子供が親にしがみついている様に似ていた。 「おい、リーマス。俺がいくらハンサムで魅力的でも我慢しろ。自宅の庭で始めるのはマズイだろう?」 「君の冗談は面白くない」 茫洋とした表情で黒い髪に顔を埋めると、リーマスはひとつ深呼吸をする。 「どうかしたのか?」 「……分からない……何か、不安になって」 「珍しいな。よしよし、何だか知らないが大丈夫だ。ハンサムで魅力的なお前の恋人がここにいる」 シリウスは長い腕で友人の背を撫でた。リーマスは舌打ちをして笑う。 「OK。ハンサムで魅力的でおまけに悩みのない私の友人はここにいる。どうかしていたようだ」 「夢だな。いい年をしてまるで子供だ」 「ああ済まないシリウス。君と違って私は神経が細く出来ているもので」 「お前に神経を云々されたくはないね。昔の肝試しの時だって―――」 シリウスが少年時代の話を蒸し返そうとした時、抱き合っているリーマスの腕に力が込められ、そして耳元で驚きの声がした。 「何だ?」 「君の義息にして私の生徒があっちから歩いてくる」 「なんだって!?」 リーマスがシリウスの体と位置を入れ替えたので、彼の肩越しに遠くで手を振っている青年の姿がシリウスにも見えた。 「ハリーじゃないか。どうして?」 「私は今とても悩んでいるよ」 「何故?」 「突然離れるのもわざとらしいし、このまま待つのも照れくさいじゃないか」 シリウスは彼の額に額を付けて言った。 「毒食わば何とやらで今からキスするというのはどうだ?」 当然その案は、慎み深い彼によって却下された。 その家の周囲は見通しが良かったので、青年が彼らのところまで辿り着くのにはかなり時間がかかった。結局2人はああでもないこうでもないと言いながら、抱き合ったままハリーを待った。 「中庭でミュージカルでも始まったのかと思ったよ」 にっこり笑ってそこへ入ってきた青年は、腕を広げて2人を抱擁する。 「僕も参加していいかな」 ハリーとリーマスに挟まれる格好になったシリウスは、大仰に呻いた。 「おいおい、加減しろハリー。俺の華奢な背骨が折れてしまう」 今やハリーの背はリーマスとシリウスを追い抜き、雑踏の中でも際立って目立つほどまで伸びていた。父親の不思議な魅力と様々な才能、母親の鋼のような精神力を受け継ぎ、そしてシリウスの品格と温かい心、リーマスの優しさと穏やかさ、すべてを身に備えた世界で一番完璧な青年である(とはシリウスの談)。 「で、どうしたの?めずらしく家の外で仲良くして。何かの遊び?」 ひとしきり3人でスキンシップを計ったあと、気が済んだのかハリーは尋ねた。 「我等が教授殿は悪い夢を御覧になって、悲しくなったらしい」 シリウスが盛大なにやにや笑いを浮かべて答えたが、彼の意に反してリーマスは涼しい顔をしている。 「そう、覚えていないけどね。とても悪い夢だった」 「・・・・・・」 それを聞いたハリーの表情から人懐っこい笑顔が徐々に消えていった。緑の瞳が大きく開かれている。 「ハリー?」 ハリーはそっとリーマスの額に手を当てた。完全に大人の表情で、リーマスは目の前にジェームズが立っているような、同時にリリーが立っているような錯覚を覚える。 しばらくハリーはそうやってリーマスを見ていた。哀れみとも躊躇いともつかぬ不思議な眼をして。 「僕もさっき電車の中で見た」 「何を……?」 「同じ夢だ。シリウスがいなかった。そうでしょう先生?」 しばらく言葉を失ったリーマスだったが、急いで彼は首を振った。 「違う。シリウスはいた。いたはずだ……」 「いなかったよ先生」 我慢強くハリーはリーマスを見下ろす。 「……しかし」 「何の話をしているんだ一体?」 自分を間に挟んで交わされる会話、しかし内容がさっぱり理解出来ないのに焦れてシリウスは質問した。 「僕と先生が見た夢の話だよ。シリウスが死んだ夢」 臆面もない言葉に、リーマスがシリウスの肩につっぷして吹き出す。シリウスは生卵でもぶつけられたような表情をしてしばらく立ち尽くしていた。 「お前達は……俺が……その」 「それで先生も僕もすっごく悲しくなったんだよ」 「同時に同じ夢を?そんな事が?」 「やだな。どこの学校を卒業したのさシリウスは。そんなの全然珍しくない」 「なんだか酷い事を言われているような気がしてきたんだが」 「あの混乱の中で命を落とした可能性もあったって、先生と僕は夢で気付いたんだ」 「どうして俺なんだ」 「だって死ぬとしたらシリウスだよ」 「そうだねシリウスだね」 シリウスの肩に凭れたままだったリーマスがそっと答える。 「おいおい今日は父親虐待の日なのか?どうして2人がかりで苛めるんだ」 ええ?今日ほどシリウスを愛していると思ったことはないのに?とハリーは大声で言ってもう一度義父を抱きしめた。リーマスも笑いながら加勢する。 「その夢の中で、リーマスは泣いていたか?」 珍しく2人に懐かれて、まんざらでもない様子のシリウスがハリーに問うたので、慌ててリーマスは答えた。 「覚えていないけど、とりあえず君が死んだら直ぐにこの家を引き払って旅に出るよ。私は」 シリウスは額に汗をかいて口篭もる。ハリーは何も言わず微笑んでいた。 「何か……ショックを受けたりとかだな……」 「私は置いていかれるのに慣れているからね。そうだろうハリー?」 「うん、まあ、そうだよね」 少なからずショックを受けたのはどうやらシリウスの方であるらしかった。 しかしハリーは見た。 リーマスの右の瞳から、涙がひとつぶだけこぼれて、頬を滑っていくのを。彼と抱き合っているシリウスには、その涙は見えない。リーマスの唇が小さく動いて、それは「静かに」と読めた。ハリーは頷く。 目を逸らすと、荒れた土地が、大昔の映画のラストシーンのように広がっていた。馬鹿馬鹿しいほど遠くまで。明るい曇空が、柔らかくそれを覆う。ハリーはシリウスを挟んで向かい合ったリーマスの額に接吻し、そして背を向けている義父の頬にもまた同じようにした。 「で、今日はどうしたんだ?ハリー」 「ああ、うん」 「うん、じゃ分からない」 「ほら、マルタ島へ行こうって言ったじゃないか」 「今年は休暇が取れないとお前は……」 「取れたからここにいるんだよ。さあ、二人とも1時間で荷物をまとめて。チケットは用意したから」 さすがにシリウスとリーマスは言葉を失ってハリーをまじまじと見る。しかしその程度で恥じ入る青年ではない。 「信じられないハリー……。君って若い頃のシリウスに似てきたよ」 「おい、どういう意味だ」 「間に合うかな」 小さく呟いてリーマスはさっさと玄関へ向かった。途中振り返って「シリウス、君は?」と訊ねる。諦めて現地で全部買う事にする、と答えたシリウスに「とてもブルジョアっぽくて君らしいね」と笑って彼は家の中へと姿を消す。 「今年こそは『彼女』を家につれて来るかと思ったんだが」 もう着替えるつもりもないのか、友人を待つ体制に入ったシリウスは、少し悪戯っぽい笑顔でハリーに尋ねた。 「今更彼女を家に招待してどうするって言うのさ」 「リーマスと俺とでお前の話を披露するんだ。とっておきのネタもある」 「だって2人が僕の話を始めたら誕生の瞬間からの長話でしょう。その間、僕にホウキで空でも飛んでいろって言うの?」 「心配するな。ダイジェスト版だから」 昔話をする時の、2人の表情をハリーは思い出す。彼らの昔話は切ないくらいに優しくて鮮明だ。 「シリウスはさっきまで何かしてた?庭仕事?」 「ああ、そうだ」 「あなたが庭仕事をするようになるなんてね。しかも手袋を嵌めてするような作業を、こんな小さな庭で」 「始めてみたら、なかなか面白かった」 田舎の風景には似合わず、辺りから浮いて見える程ハンサムな顔立ちをした義父をハリーはゆっくり眺めた。 「シリウスは空から除草剤散布とか、そういう大味なのが似合いだと思うけどな。2人とも、もっと大きな家に引っ越してもいいんだよ?今ならどこだって行けるんだし。僕が探そうか」 いっそ放牧が出来るくらい大きな庭のある家。ハリーがそう言って首を傾けると、シリウスはゆっくり瞬きをした。 「いや、ここがいいんだ」 唇に、滲むような笑みが広がる。世界中の誰が見ても、彼がこれ以上ないくらい幸福の中にいると分かる笑顔だった。シリウスは、友人が忙しく立ち働く2階の窓を見上げる。 「うん。実はそう言うと思ってた」 ハリーは嬉しくなって義父の頭をひとつ撫でた。ついぞなかったことなので、シリウスは目を丸くする。 「幸せなんだな、と思って」 義息にしみじみとそう言われたシリウスは、少し考えたあと素直に「ああ、幸せだ」と返事をした。風が鳴って、沈黙が落ちる。 家の屋根を、庭の草を、屋外の2人をそして家の中で立ち働く彼をも等しく柔らかく照らす午後の明るい曇空。 荒れた地がどこまでも広がる風景の中、絵本の挿絵にあるような小さな家と小さな庭。父と子はそこに立ち、黙って2階を見上げていた。 目の前にいる人は 明日にいなくなるかもしれません。 永遠とか、絶対ではないのです。 謝意や好意は秘めずに伝えましょう。 今すぐに。 「サボテンの箱庭」尊敬するシブ様へ謹んで捧げます。 (なんじゃ藪から棒に?と思った方は2002年9月9日 日記を参照)尊敬禁止条例が出ちゃったんだもん!!(笑) 年末まで引っ張ってしまいました。テヘ。 そしてシブ様から絵を頂戴してしまったので またもや飾らせていただきます。@2005.05.22追記。 2人ともお幸せに!!※非タイトル 注:この話はサイト内のどこかにある 『beautiful days』という 話と対になってます。済みませんややこしくて。 単体で読めなくはないとは思うのですが自信ないや。 BACK |