彼の見る悪夢3


 

 私は子供の頃からよく悪い夢をみた。あれは大変苦しいものだ。ただ眠っていただけだというのに全身汗まみれで、呼吸も鼓動も死ぬのではないかと思うくらい早い。
 夢の中で私は必ず人を噛む。昔は友人達を、最近では時折ハリーを。
 夏の休暇で帰省しているハリーを、事故で或いは請われて又は無理やり、ありとあらゆるパターンで私は噛む。目が覚めて夢と現実の区別がついていない私はすぐに死のうと思い刃物を探す。 しかし冷静になって自分がハリーを噛んではおらず、彼は今何百マイルと離れた安全な場所で眠っていると理解できても、まだ死のうという気持ちが心のどこかに残っている。

 今も昔も夢の中で私はシリウスを噛む。
 大抵夢は律儀に同じところから−−−−私がシリウスを組み伏せいているところから始まる。
 シリウスの頬や首筋に掻き傷があり、私達は争ったのだという事が分かる。
 私は低く唸って彼を威嚇している。人を噛めるという喜びに目は爛々と輝き、牙が鳴った。
 シリウスは私をじっと見上げ、どんなに私が噛む事を欲しているかを理解する。夢の中の彼は黒犬に姿を変えるという手段をとらず、妙に現実の彼を思わせる仕草で目を閉じ、首を傾ける。それは本当にぞっとするくらい現実にありえそうな行為で、起きてから思い出すと私は顔を覆わずにいられない。
 獣の私は涎をたらして容赦なくシリウスの右肩に噛り付く。衣服も髪も構わず一緒くたに。
 シリウスは苦痛に顔を歪める。
 それは恐ろしい愉悦だった。性交とは次元の違う快感が体を貫き、五感の全てが酩酊する。悦楽の果てが見えない。
 自分が叫びの屋敷で己を噛み、暴れまわって耐えていたのが何だったかを知る。そしてどうしてあれほど苦しかったのかを。
 薄い肩の皮膚が私の牙でねじ切れ、脂ののった肌が血を小さな粒状にはじいている。眩暈のするような美しさだった。シリウスの苦悶の表情。
 私はずっとこうしたかったのだ、という確信が浮かぶ。
 世界中の誰よりも、彼を噛みたかったのだ。
 シリウスを。
 誓って私は今まで一度も人を噛んだ事はない。
 しかし夢の中で私はそれを死ぬ程後悔する。これが味わえるのなら、これから何十人、何百人噛み裂いても構わないと。
 シリウスと一緒に。

「大丈夫か」
 驚くほど近いところからシリウスの声がして私は身を震わせる。もう取り返しのつかない体になってしまった友人へ、どんな顔をすればいいというのか。
「シリウスすまない私は−−−−」
「いや、今はちょうど目が覚めていた」
「何の話をしているんだ……」
 余りに彼が平仄の合わない事を言うので私は黒い瞳を凝視する。そうしてようやく、自分が夢を見ていたのだと理解する。
「それは夢だ、リーマス」
「……そのようだね。ああ……」
 私が顔と右の肩を交互に見るので、彼はすぐに気付いて夜着をめくって肩を見せてくれる。月の明かりで白く光っているばかりの肌には傷一つない。 私は傷のない右の肩に思うさま額を押し付けて嘆息する。うめき声さえ漏れる。そしてあらゆる物に感謝する。
「シリウス、私はもう……」
 疲れた。もうずっと昔から疲れていた。私の感情とはまったく無関係に月へ服従するこの身体に。私の知性や尊厳や、何か人間らしい暖かい気持ちを蹂躙する病に。
「夜に考え事をするな。碌な事にならない」
 ……ああ、そうだね。その通り。
「これから20数えたら立って、キッチンへ行って暖かい物を飲もう。砂糖の入ったものがいい」
「……学生時代みたいだ」
 私はシリウスを噛んではいない。シリウスはこの呪われた病に感染してはいないということを今はきちんと認識している。シリウスは人間の姿で傷ひとつなく、私に何か優しい言葉をかけてくれる。
「数えるぞ」
「ああ」

 けれどまだ。
 死のうという気持ちが心のどこかに残っている。



あとがき:(また身も蓋もない)
友達が「夜にうなされた方が受というのは
斬新なシステムだ」と誉めてくれたんですが、
「違……」いや……そ、そうなのか?(動揺)

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