晩 餐 隅々まで触れた事のある体が、背広を着て目の前で食事をしているのは倒錯的で不思議な気がする、とルーピンは思った。 あの、千切ったパンにソースを乗せる仕草の何と優雅な事だろう。目を閉じれば昨日の、優雅とは程遠い行為が思い出されるというのに。 そこまで考えて、自分がどうやら不機嫌であるらしいと不意にルーピンは気付く。 その夜、彼等は珍しく都会のレストランにいた。たまにはいいだろうとシリウスがセッティングしたのだ。影を上手に演出した照明であるとか、あくまで控えめに鳴っているピアノであるとか、人間数人の力では移動できそうにない重量級の調度であるとか、全てが貧乏人の肝を震えさせる為にあるのではないかと彼が邪推してしまうくらい、完璧に上品な店だった。こういう場所に、シリウスはとても馴染んで見える。男性のみ2名の来店がぎりぎりマナーの範囲内であろうここで、少しも臆する事無く振舞う。従業員達にも何となく伝わるのだろう、彼はとても丁寧に扱われる。店の雰囲気のほうからシリウスへ擦り寄ってくるとでも言うべきか。この手の場所では、まるで自分がシリウスにしか見えない幽霊にでもなった気分を味わうルーピンである。 案内された一等良い席で、今シリウスはメインを口に運んでいる。いつものように乱暴にナイフを動かしてはいるが、彼の思惑は少しも成功していない。そう、自分をノーブルに見せたくないのであれば、もっと背を曲げなければいけないよ、とルーピンは心の中で批評する。そんな風に堂々と視線を据えないで、もっとだらしなく。その口元をぬぐう仕草なんか致命的だ。育ちが良いと大声で喚いているようなものだ、とも。 「料理が口に合わないのか?」 チーズが出たところでシリウスはルーピンに尋ねた。彼は慌てて答える。 「美味しかったよ。『ふくよかな香りと鋭い舌触りがどうのこうの』とかいう詳しい表現は出来ないけどね」 「お前が突然そんな事を言い出したら、俺は椅子から落ちる」 「私の口に料理は合うけれど、店に私が合ってない気がするな。情けない事に」 シリウスは心底不思議そうに瞬きをした。 「たかが物を食う店に、こちらが選別される謂れはないだろう」 「うん、コメントはしないよ。君が怒るから」 「さあ、デザートは断ってそろそろ帰ろうか」 「・・・・・・・」 「嘘だ。そんな眼をするな。自分の性別と年齢を思い出せ」 「君は糖分が足りないから、そんなに短気なんだよ」 いつも交わしているような会話が、ここではひどく甘く響く。周囲の適度なざわめきや食器の鳴る音、程よい音量のピアノや、声が絨毯に吸収される具合の所為だろうとルーピンは予想した。総じてこういう雰囲気をロマンティックと言うのだろうかと。 嬉しくなるくらい冷えた皿に盛られた、長い名前のデザートはルーピンの屈託を少しの間拭い去った。よかったらこれもと自分の皿を押しやるシリウスに、ここが自宅だったらねと、珍しく心底残念そうにルーピンは首を振る。 カード用にサインをしている、伏せられたシリウスの美しい目を観察しながら、ルーピンは珈琲を味わった。その液体は彼の髪や目と同じ色をしている。色だけではなく味や温度から得られるイメージに幾つか共通点があると、とりとめなくルーピンは考えた。 「リーマス、出よう」 「うん。異存はないけどせっかちだね君は」 「返事と矛盾するコメントはよさないか?」 「これはコメントじゃなくて独り言」 クロークで受け取ったルーピンのコートを、シリウスは彼の背に広げて着せ掛けた。少し目を見開いたあと黙って左右の袖に両腕を通して、ルーピンは小声で尋ねる。 「シリウス、考え事をしている?」 「ああ、うん。どうして分かった?」 「君、さっきから私をエスコートしてるよ」 シリウスは額に手を当てて小さく笑った。 「すまない」 「いや、いいよ。その考え事は私に関係あるのかな、ないのかな」 「すごくある」 「……何かあったっけ。ちなみに今日は私の誕生日じゃないよ」 「知ってるさ。俺が言いたいのは……いや、やっぱり店を出てから言う」 珍しく歯切れの悪い彼に、ルーピンは目を丸くして顔を覗き込んだ。その視線を避けるように、シリウスは大股で店員の開けたドアを過ぎる。背後でした「またお越し下さい」という小さな挨拶を掻き消す街の喧噪。 店内の統制された暗さと違って、野放図な闇だった。しかしそれはそれなりにきらびやかでもある。大量のマグルの車の光が恐るべき速さでやって来てはまた過ぎ去ってゆく。 「で?店を出たけど」 シリウスは背筋をピンと伸ばしてひたすら前方を睨んでいた。いつもより随分と早足で、ルーピンは小走りで追わなければならなかった。 ところが唐突に立ち止まる彼。2,3歩遅れてルーピンも歩みを止め、シリウスを振り返る。 「俺は・・・・」 「忘れ物かい?それとも食あたり?」 「俺はお前の事を愛していると思うんだが、お前はどうなんだろう?」 一際大きな形をした車がルーピンの横を走り抜けていって、彼の髪を揺らした。 シリウスは、思わずルーピンが謝ってしまいそうなくらい怖い顔していた。さすがにつき合いも長いので詫びたりはしないが、その台詞にその顔はどうかと思う彼である。 ルーピンは口元を覆った。そして次にぼんやりと空を見上げ、2,3度意味なく足下の地面を蹴ったりした。 「なんだその反応は」 「動揺」 「変わった動揺だな」 「私が感極まって泣き出したりしたら君だって驚くんじゃないか?」 「勿論責任を持って抱きしめるさ」 「ここで?」 「そう、人がウヨウヨいて、車もバンバン走っているここで」 「とりあえず泣かなくて良かったよ」 「そうだな」 シリウスは、それで?と言うように両手を広げて肩をすくめた。もう彼は先程のレストランでルーピンの向かいの席に座っていた男と同一人物には見えなかった。余裕や落ち着きや、空気のように纏っていた優雅さは失われ、試験前の子供にも似た不安そうな顔をしている。いや、学生時代の試験前ですら彼はこんな顔をしなかった。 ルーピンはゆっくりと瞬きをして笑う。 「もちろん私も愛しているよ。奇妙な事になったなあ、とは思っているけれど」 シリウスは胸の辺りを押さえて息を吐き出した。 「良かった。それ以外の返事だったらどうしようかと……」 「それ以外の返事だったらどうして私は君と暮らしていると思うんだい」 「同情とか、色々あるだろう」 「ああ、なる程。私がにっこり笑って『残念だけどシリウス――』とか言う訳だ」 「そう。そうしたら俺はここでしゃがみ込んで泣く予定だった」 「責任持って私が抱きしめたのかな」 「今から泣いてもいいですか?ルーピン先生」 「帰ってからにしたまえ、ブラック君」 向かい合って立っている彼等を行き交う人々が振り返って見ていく。背の高い男性2人が、あまりに楽しそうに話しているから注目を浴びているのだが、ルーピンはどう思ったのか慌てて前を向いて歩き始めた。 素知らぬ顔でついて来るシリウスに、鹿爪らしい顔で質問をする。 「……違っていたらごめん、もしかして君が食事に行こうと言いだしたのはこの告白の為?」 「仰る通りですルーピン先生」 「それじゃまるで―――」 プロポーズみたいじゃないか、と言おうとしてルーピンは『この話題はまずいぞ』と思いとどまる。 「騙し討ちみたいじゃないか。食事中はそんな事ひとことも言わなかった」 「緊張のあまり言いそびれた」 「まったく……」 どう考えても体裁の良くないその台詞を、晴れ晴れと言ってみせるシリウスの笑顔に、ルーピンは一瞬呆然とさせられる思いだった。 「困ったな」 そう言うと彼は片手を伸べてシリウスをとどめるような姿勢をとる。 「何が」 「君にキスしたい。今ここで」 「その手は何だ?」 「パターン的に、そう言うと君は『キスくらい、すればいいだろう幾らでも』と言って実行に移すからね」 「俺が?そんな真似をすると?」 「おや不当な侮辱だったかな」 ルーピンが腕を下ろすと同時に、シリウスはその肘を捕らえて素早く引き寄せ口付けた。あまりに急いだのでキスは唇の端に当たったが、彼はゆっくりとそれを正しい位置に戻す。 「もちろんするとも」 完璧に美しいウィンクを送られ、ルーピンは怒るわけにもいかなくなって微笑む。 「そういう事をしているとね」 キスの瞬間を目撃したのであろう人々が、ちらりちらりとこちらを振り返って歩いて行った。 「家に帰ってからキャンキャン鳴く羽目になるんだよ」 「おお怖い。温厚篤実なルーピン先生のお言葉とも思えません」 「鞭を惜しむと色々駄目になるらしいから。子供とか犬とか」 「まっすぐ帰って先生に鞭打たれるのも魅力的だが、折角だからバーへでも行こうか」 「……まるでデートみたいだね」 「その『まるで』と『みたい』を削除してくれても構わないが」 「うん、まあ……そう……」 ルーピンの視線はしばし夜空やビルの群の間をさまよい、やがてはシリウスの所へ戻ってきた。負けましたというような笑顔が浮かんでいる。 「デートだ」 「その通り。よく出来ました。腕を組んで歩くという難易度の高い技に挑戦してみるか?」 「それは無理だシリウス。ちなみにもし強行したら私は『強盗だ!』と叫ぶからね」 「愛し合っているのに『強盗』だって?」 ふざけて唇を尖らせるシリウスの肩に、ルーピンは軽く手を置いた。 「これくらいの距離が私は好きだな。それと相思相愛はそんなに気軽に口にしないこと。恥ずかしいじゃないか」 シリウスが小声で何かを言い、ルーピンは首を振った。それから彼の右腕が彼を引き寄せようとしたが、相手が素早く逃れて、笑い声が響いた。 雑踏の中に、楽しそうな2人連れの男性の姿はとけ込み、やがて見えなくなった。 その手の台詞を誰も一度も言っていない事に気付き ツッコミが入る前に慌てて書きました。 実は、しっかりホテルの予約がしてあったりして、 それが先生の笑いツボに入って、超高級ホテルの ロビーで、先生はシリウスにもたれかかって 笑いに笑います。さすがにしゃがみ込んだりは しなかったけれど、かなり目立ちました。 先生の笑いが収まるまで(所要20分) シリウスは羞恥に耐えて、彼を支え続けていました。 (しかしアンタ定収入ないくせにどうして クレカを持っている?) シリウスさん、ちょっぴり本来の調子が 戻ってきたようです。 BACK |