誕生日とプレゼント15
近年は誕生日を旅行先で迎えることが多かった2人だったが、その年の3月はちょうど旅行と旅行の狭間の期間に当たったため自宅で大人しく過ごしていた。 そういう訳でリーマス・ルーピンの誕生祝いは居間で行われることになった。シリウスの作った、干した果物と加工した肉、それと木の実で作った小さな、色々な種類のアペタイザーを楽しみながら、昼間からシャンパンを飲み、レコードをかけてでたらめに踊ったりした。なぜでたらめに踊るのかといえばルーピンが正確なステップを覚えていないせいなのだが、踊りはやがて「いかに優雅に相手の足を踏むか」というろくでもない遊びに変化し、彼等は年甲斐もなく熱中して歓声をあげた。 腕白な中年男性が夢中で遊んでいるうちに日は暮れて、シリウスは朝から煮込んでいる寸胴鍋の中身や、葉に包まれて焼かれるのを待っている肉の存在を思い出し、一時休戦を申しこむ。ルーピンは快く申し出を受け入れ、ソファで休憩をした。 シリウスがキッチンに戻ろうとしたとき、チャイムが鳴って彼がそのまま応対に出る。今日の夕暮れに来客があるとするならそれはハリーだった。彼からは心のこもったカードがすでに届いていたが、なにか別に趣向があるのかもしれない。 「覚悟が必要だな」 シリウスは居間を横切りながら呟いた。何年か前に2人揃って見事に騙されたハリーのいたずらを、シリウスはまだ警戒しているのだ。 ドアの開く音はしたがとくに会話の声は聞こえず数分が過ぎた。何かまた特殊な魔法だろうかとルーピンが重い腰を上げて玄関に向かうと、シリウスが鏡と向き合っていた。 開け放たれたドアの向こうの薄暗い風景、その前に立つ少し幼い顔をしたシリウスと、対面して立ち尽くすシリウス。しかしルーピンはシリウスが鏡の前に立っているのではないとようやく気付いた。シリウスの前に、彼に非常によく似た顔をした人物が立っているのだ。 「……ハリーだろう?」 シリウスはそう結論付けたようだった。 「ハリーの悪戯の才能は父親を越えそうだけど、でもあの子は死者を騙るような冗談をする子ではないよ」 と背後からルーピンはそっと告げる。 シリウスは死んだはずの弟、レギュラス・ブラックを前にしばらく無言で立ちつくしていた。 久しぶりの兄弟再会なので、席を外すと申し出たが却下され、せめてお茶を用意すると言っても必要ないと断られたルーピンは仕方なく話し合いの場に同席したが、相当な居心地の悪さに意気消沈していた。 この国の人々はおしなべて情動のストレートな表現を忌避する傾向にあるが、シリウスは本来は自分の感情に素直な性質だった。しかし現在の彼は背筋を伸ばし、全く何の表情も浮かべずにただ着席している。そうすると通った鼻筋が強調されて、彼はひどく酷薄そうに見えるのだった。子供のころにホグワーツで遠目に見たブラック家の人々をルーピンは思い出す。細い顎と切れ長の瞳、美しい髪と肌。皆一様に無表情だった。こうして見るとシリウスは、そして弟のレギュラスも、一族の特徴を色濃く受け継いでいるのだ。 「ご挨拶が遅れました」 緊張しているのか掠れた声で彼はそう切り出した。シリウスは眉一筋動かさない。 「歩けるようになるまで時間がかかりました」 返るのは沈黙ばかり。 レギュラスは気の毒なほどの震え声で時候の挨拶を述べたがそれでもシリウスは沈黙していた。冷たいあしらいに耐えて彼は何とか兄の近況を尋ねたが、シリウスは首をかしげただけだった。ルーピンが彼ならば、もうとっくに逃げ帰っていただろう。 またしばらく沈黙が落ちた。 魔法界が二分された暗黒の時代、純潔の血筋の魔法使いこそが世界を支配すべき優れた存在で、それに抗う魔法使いや、魔法すら使えぬ下等で凶暴な人種は制圧して管理すべきだと考えた一派がいた。 その主張は、ある種の人々を魅了し、家族や友人同士、夫婦が分かれて争う事態となった。名家であるブラック家は多くがヴォルデモート側に与したが、一族でも毛色の変わった人物とされていた人々がそれに反発した。本家の長男シリウスもその中の1人である。次男のレギュラスはヴォルデモートの忠実なしもべとして知られていたが、何事かがあって反旗を翻し、死亡したというのが世間の認識だった。 当時は親しい相手、あるいは血が繋がっている相手から密告されて命や財産を奪われる事が珍しくなかった。どちらの陣営も多くの血を流したので、その遺恨は現在も晴れたとは言い難く、シリウスの警戒も仕方のないことだった。 ヴォルデモートについた人々は、主の倒れた今もその思想と理想の実現を諦めていない。シリウスとルービンはその事実を知っている。明日の朝に互いが生きていると断言できない日々に戻るのは、できれば避けたかった。 シリウスは自分の大切な人々、義息や、パートナーに類が及ぶのを警戒しているのだ。 彼が無条件で弟との再会を喜ばないのはそういう訳だった。ルーピンは親友寄りの判断になっているのを自覚しつつもそう考える。比較的小型の食肉目に属する動物が、威嚇のために体を大きく見せるようなものだと。 しかし、ほんの少しの返事くらいは……とルーピンは胃のあたりを押さえた。レギュラスの言葉もとうとう尽きて食卓には先程から深海のように重い沈黙が落ちている。 もう直視もできぬつらさで、ルーピンは心のなかで海棲生物の名前を挙げて現実逃避を始めた。12種類ほど挙げたところでレギュラスは唇を噛んで次の言葉を絞り出す。 「実は今日来たのは、私が受け取るべきブラック家の資産について話をしたいと思って、ここへ」 シリウスは唇の片方をちらりとあげて、 「なるほど」 と首を傾けた。唇の片側だけで笑うのは彼が頻繁にやる表情だが、しかし、角度を少し変えるだけで人間の表情というのはこんなにも印象が変わる事をルーピンは知らなかった。シリウスが浮かべているのは侮蔑の表情だった。彼はこの技能を子供のころに家族から学んだのだろう。レギュラスは恥じ入った様子で肩を落としていた。 「ブラック家のすべての資産は、親族会で管理している。そしてその会は投獄されなかった血族で構成されている。当主がすべてを手に入れて采配するやり方は、不公平だし危険だ。私はずっとそう思っていた」 よそよそしい言葉遣いで皮肉を織り交ぜながらシリウスはそう説明をした。 「実は今、私は劇団の運営をしています」 ルーピンは反射的に彼の顔を凝視するのを堪えた。あ、やっぱりそうか、という気持ちと、学生時代の兄をモデルにして、性別を女性に変えたラブストーリーを舞台化して云々という話を今ここで……?という気持ちが半々ほどだった。シリウスがどういう反応をするのか見当もつかなかった。それにしても心臓に悪かった。額に汗が浮かぶ。部屋の中が薄暗くなってきたが、照明をつけるために席を立つのも憚られる緊張感だった。 「ほう」 ルーピンの見たところシリウスはかなり驚いている。が、大したもので態度には少しも表れていなかった。 「一族の多くが下賤の者と見做していた職だな」 「そうです。かつては私もそう考えていました。今は違いますが」 レギュラスは顔をあげて、ようやく真正面から兄と目を合わせた。同じ形をした横顔2つが対称を成している。 「今、劇団は急成長中で、資金が必要なんです。それで……」 レギュラスは果敢にも視線をそらさず続ける。 親族による金の無心。世間話ではよく聞く状況だが、まさか現実に自分が目にしようとは。しかもその資金はシリウスが女性となった物語の上演に費やされるのだ。ルーピンは何から驚けばいいのか少々迷った。 先日少し会話した様子から、彼は兄を尊敬しているように思えたし、劇団は盛況でおそらく借金はすぐに返されるだろう。芝居もなかなか興味深いものだった。しかしルーピンがシリウスにそれを説明するのが難しそうだった。随分時間をさかのぼって黙っていた事を話さなければならない。それよりはいっそ上演している芝居の内容を聞いてみるのはどうだろう。 ルーピンがそう閃いた瞬間、妙な音が鳴った。 その音がすると同時にシリウスが顔をしかめたので、ルーピンは「私の誕生日のために仕掛けておいた魔法が発動したのだな」と正確に察した。 空から、つまりこの場では天井から、優しい光が、蝶の鱗粉のような微細な輝きをこぼし螺旋を描きながら降りてきた。あとで聞いた話によればシリウスの視線の先にいる人物に光が降りるよう設定してあったそうで、発動時刻にシリウスの視線の先にいたのはレギュラスだった。まあ魔法界においてはよくある事故と言えなくもない。 光はレギュラスの胸に入り、そこにとどまって内側で輝きながら回転し、その動きに合わせて神秘的で懐かしい感じのするメロディが流れた。3人はしばらく呆然とその明かりを眺める。 「今日は私のパートナー、ここにいるリーマス・J・ルーピン氏の誕生日で、それはプレゼントになる筈だった魔法だ」 今度はシリウスが目をそらしながら発言する番だった。相当に辛そうだった。しかし謝罪はすべきだ、とルーピンが考えた瞬間「すまない」と、絞り出すように彼は付け足す。 あまりのことに、レギュラスは立ち上がって椅子から移動した。そうすれば胸の明かりが取れるかもしれないと彼は考えたのだろう。シリウスの魔法がそんな甘い設定になっている訳はなかった。彼は 2、3歩よろめく。 「それと夜明けまで、歩いた場所に草花が生える。そういう魔法だ」 彼の靴底が触れた場所から蔦や雑草、野花が伸びた。渾身の力で笑い声を抑えたルービンの鼻からかすかに息が漏れる。誰もそれを咎めなかった。 「……誕生日とは存じ上げなくて失礼しました」 社交を重んじる家の者らしく、レギュラスは光り輝きながらその点を記びた。 ルーピンは 「いえ」 と震えながらそれだけ言うのが精いっぱいだった。それ以上何か言えば、立っていられなくなるほど笑うだろう自分をよく理解していたので。 「伴侶への誕生日のプレゼントがこれなのですか……?」 せっかくのルーピンの努力をレギュラスが水の泡にした。どうしても言わずにはいられなかった彼の驚愕の叫びはルーピンの笑いのツボにこの上なく深く刺さったようだった。最初は兄のパートナーが床に倒れて号泣を始めたのかと思ったレギュラスだったが、少ししてルーピンが笑っていると気付いた。シリウスは何事も起こらなかったように黙って立っている。 「……兄上は、こういう事をなさる人ではないと思っていました」 「……俺も知らなかったさ。自分がこんな人間だとは」 動揺した弟の素直な評価に、シリウスはぽつりとつぶやいた。それは正真正銘彼の本心だった。 レギュラスは、それで憑き物が落ちたように冷静になり、ぽつりぽつりと、あの一件で親が投獄されて取り残され、生活のすべがない子供たちを集めていると語った。せめて飢えないように、できれば世を憎まないように、小規模な学習塾も同時に開催していること、手狭になってきたので大きな建物を用意するために資金が必要だが、面子が面子なもので銀行から融資はしてもらえないこと、しかし劇団はそれなりに人気があるのですぐに資金は返済できるだろうという見通し等を説明した。シリウスもさすがにその一連の話は皮肉を交えずに聞いていた。 笑い終えたルーピンに素知らぬ顔で手が差し出されたので、ありがたくそれを掴んで彼は立ち上がった。 結局、話し合いの結果レギュラスの申し出は、ブラック家が劇団に出資する形で適うことになった。もともと文化事業への出資枠というものがあり、まずは審査申請の日取りが決められた。 よければ泊まっていかれてはというルーピンの誘いを固辞してレギュラスは2人の家を退出したが、ぴかぴか光る明かりは遥か遠くどこまでも視認できたし、彼の靴跡には花や蔓草がどんどんと芽吹いて、道しるべとなっていた。 2人並んでレギュラスを見送っていたが、ルーピンは 「ちょっと惜しいな。あの魔法。とても楽しそうだった」 と告白した。固い表情をしていたシリウスは少し笑って「だろう?今回は、お前に叱られそうで叱られないスレスレの、お前の興味をひく魔法、という点が一番難しかったんだ」と胸を張る。 確かにその通りで、ルーピンは、キラキラ光りながら花を生やして、庭をいつまでもいつまでも歩き続ける自分が容易に想像できるのだった。春らしい良い魔法だった。 「それにしても緊張した。喧嘩になるかと思ったから」 「子供の頃のうちの食卓が」 「うん」 「いつもあんな調子で、それが嫌いだったのを思い出した」 「あんな調子……あまり消化によくはなさそうだ」 「ああ。ホグワーツに来てからは毎日楽しかった。食事が温かくて。誰も罵倒されたりしなくて。毎食驚いてたな」 「それ初耳だな。君ときたらマナーだけは王族みたいにしずしずと食事しているのに、喋っているのは山賊並みの悪だくみばかりだった」 「懐かしいな。今日は済まなかったお前の誕生日なのに」 「私こそ、あんなに笑ってしまって済まない」 「いつものことさ」 「さっきの話」 「ん?」 「今の君は、自分でも想像してなかった君だとかいう」 「ああ、そうだ。昔の俺なら恋人には薔薇を贈っただろう。贅沢な料理と永久に尽きない酒、そして千人の召し使いと百人の美しい賓客を揃えて夜通し踊りあかしただろう」 「今の君は1人で、恋人のために変てこりんな魔法を創造している」 「そうだな」 「最高だ。私は面白い人が好きだから、君はきっと私好みに変化したに違いないよ」 2人は肩を組んで家に戻った。シリウスが準備をしていた複雑なシチューは一切合切が形状を失い、混沌と化していたが、ルーピンは「こういう、ごった煮的な料理は大好物だ」と感想を述べたので特に問題はなかった。葉に包まれた肉はとりわけ美味で、すぐさまごきげんになったシリウスは、いつかその芝居とやらを見に行きたいものだと言い、ルーピンがいつかねと微妙に話題をそらした。力作の5種類のデザートを全て食べた頃、腹ごなしをしなければと、今度は比較的きちんとしたダンスをした。それからくだらない替え歌を歌ったり、くだらないもの真似をしたり。 珍しい客の訪れた誕生日であったけれど、結局彼等はいつも通りに楽しい1日を過ごしたのだった。 2021.03.10 |