バースデーと贈り物6
「忘れ!」 目が覚めた瞬間にルーピンは叫んでいた。これまでの人生で一番、急速な目覚めだった。あまりに素早く目覚めたので軽い頭痛がしたほどだった。 「……てた」と彼は力なく付け足す。そう、忘れていた。いつか、こういう日が来るかもしれないという予感はあった。でも昨年ではなかった。一昨年も違った。今年の、今日だった。 彼は親友であり恋人であるシリウス・ブラックの誕生日を忘れていたのだ。 ルーピンは両手で顔を覆って出来る限り丸くなった。できればこのまま四つに畳まれて春までしまわれていたいと彼は願ったが、あいにくそう柔軟性に優れているほうでもなかったので、半分に畳んだ状態になるのですら難しかった。 そうやって動かずにいるだけで何故か20分が経過しており、ルーピンは仕方なく考えを巡らせる。 毎年シリウスの誕生日には彼の好きなメニューをルーピンが調理する習慣だった。好きなメニューといっても簡素なものなので、貯蔵してある食糧で十分間に合う。それはおそらく問題ない。 取り返しがつかないのはプレゼントだった。正真正銘忘れていたので何も用意ができていないのだ。こっそり暖炉を使って街へ調達に出掛けてもよさそうなものだが、ルーピンのプレゼントセンスのなさは深刻で、この数時間で助言もなしに相応しい商品を探し当てるのは不可能だと彼は判断した。 ではシリウスの喜びそうな魔法によるショーはどうだろうとあわてて考えるが、これもまた数時間でどうこうできる訳もない。歌ならば喜んでもらえるだろうか、シリウスの好きな歌、とルーピンは考えるが、彼の素晴らしい歌唱力を思い出し、申し訳なくなってその案を却下した。では詩は?いまから詩を1つ書いて贈るのは?しかしシリウスが長編小説を書き更に見事な装丁を施した図書をプレゼントしてくれた記憶が蘇ってルーピンは呻いた。 競っているわけではないので比べる必要は全くないのだが、たまにシリウス・ブラックの非人間的なまでに高い能力を思い出すと、ルーピンは自分とシリウスが親密な関係になったのを若干不思議に思うのだった。別に今更劣等感を持ったりはしない。何故ならどちらかといえば普通なのは自分で、シリウスが特別であるのを知っているからだが、なにをやっても完璧にできる人間からすると、何をやっても冴えたところのない人間というのはどのように見えるものか一度聞いてみたくはあった。しかしこの質問を卑屈なニュアンスなしに問いかけるには相当な言葉のテクニックを必要としそうだった。 「私がシリウスより優れている点といえば根気強さと寝付きの良さくらいのものだ」とルーピンは特に自虐的という訳でもなくそう考える。 とりあえず内心のパニックを少しも顔には出さずにルーピンは朝食兼昼食を作り、食堂に現れたシリウスに誕生祝いの言葉を述べ、味のしない食事をどうにかこうにか胃に収めた。 君の誕生日を忘れていたけどどうしたらいいだろうと本人に相談しないくらいの社会性は持ち合わせていたのでルーピンは沈黙を守った。彼の平静を保つ才能が役だったが、あまり本人の本意ではない発揮だった。 「申し訳ないけど今日は部屋のドアと窓とカーテンを閉じて、1日籠っていてくれると有り難いよ」 笑顔でそう宣言すると、シリウスは少し黙って、 「あまり張り切りすぎないでいいからな?」 と定まらない視線で答えた。過去の様々な苦難を思い出しているようだった。 そうして夜になった。夕食のメニューはマッシュポテトと牛肉の重ね焼き、茹でた野菜だった。まずはこの1年の健康を祈って彼等は乾杯する。 2人はしばらく次の旅行の行き先について検討しながら食事をしていたがひと段落ついたころにルーピンが立ち上がって小さく杖を振った。軽く眩暈のような感覚があってシリウスは身構える。 「ええと、その、申し訳ない」 彼は何故か恐縮しながらカーテンを開け放った。窓の下にはロンドンの夜景があった。下がよく見えるようにルーピンは角度を調整したのだ。家の。 黒い川の水面にゆらめく鬼火のような街の灯りの反射。炎の色に輝く時計塔。マグルの珍妙さの極まった巨大な丸い遊具。頑丈でいて優美な橋。 「もしかしてロンドン上空を飛んでいる?」 「イエス」 「この家が?」 「イエス」 「……全く気付かなかった」 「初歩の浮遊呪文で飛んでいるからね。午後からずっと唱え続けた。効果が微少だからかえって上昇の圧を感じなかったんだろう」 「お前は基礎の魔法をきっちり正確に何度も唱えるのが得意だからな。何回くらい唱えたんだ」 「さあ……あまり気にしてなかった」 「お前らしいな……いや待てよ。この家は飛行に耐えられるのか?」 「少し深めに土地を抉って一緒に飛んでいる。もちろん鏡面の魔法を張って。今のところは大丈夫なようだね」 「何に対する謝罪だったんだ」 「え?」 「申し訳ないって、さっき」 「ああ、うーん……。これを白状するのは非常に心苦しいんだけど、私は君の誕生日の事を……」 「忘れていた」 「えっ!いかにもその通り。……知ってたのか。でもどうして」 「どうしても何も、お前が朝一番に叫んだじゃないか、忘れてたって」 「君の部屋まで聞こえたのか!そんな大声を出したつもりはなかったんだけど……恥ずかしいな」 「お前にしては珍しく大きな声だったので、だいたい察した」 「だからさっきの謝罪は、十分な準備ができなかった事に対してだ」 「いや、いつも通り嬉しい。ロマンティックだし」 「怒らないのか?」 「怒る?なぜ。誕生日を恋人に祝われて怒る人間などいない」 「こう言っては失礼だけど、学生時代の君なら自分の誕生日を忘れられたら激怒しただろう」 「……確かにな。お前と暮らすことで謙虚な気持ちを学んだんだ。それに」 「それに?」 「……お前はいつかやるだろうと思ってたし」 「私も朝にそう思ったよ……言葉もない。それにしても君の欠点ってなんだろう」 「いくらでもあげられるが……誕生日に反省会をしないといけないのか?」 「いや、違って。君の最大の欠点と言えた短気が矯正されて、もはや完璧な人間になりつつあるのではと思ったんだ」 「大丈夫だ。まだまだ先は長い。それに俺の短気が少しでもマシになったとしたら、それはお前のおかげだ」 「君の役に立てたのなら嬉しいよ。あと短気な君も別に嫌いではなかった」 食事を終えて、彼等はいつもよりも少し上等なジンを楽しんでいた。強い植物の香りはどちらも好むところではあったが、とりわけルーピンのお気に入りだった。 輝く夜景と美酒、恋人との会話。年相応に落ち着いた2人の中年男性もさすがに上機嫌になり互いの話に笑い合った。にこにこと笑いながら「普段はあまり言わないけれど、私は」とルーピンが言いかけ、シリウスが恋人の言葉の内容を分かっているような期待するような気持で瞬きをした瞬間にそれは起こった。 2人の体が一瞬少し浮いた。 その1秒後に机とテーブルが大きな音を立てて床に着地した。2人のグラスの中の酒は、一瞬跳ねあがって撒き散らかされた。 彼等はしばらくぼんやりと見つめあっていたが、自分達が数十メートル落下したと気づいたのはシリウスが先だった。 「リーマス……その、強風でバランスが崩れたようだが大丈夫か?」 「ああ、なるほど」 彼は慌てるでもなく窓を開けて幾つかの呪文を唱える。 「……リーマス、今日の天候と風向きは調べたのか」 「・・・・・・」 ひと際優しい顔をしてルーピンはシリウスのグラスに少量ジンを注ぎなおし、「し、調べてないな……」とシリウスは悟って顔色を悪くした。 「大丈夫、そろそろ戻ろうと思っていたところだから」 彼は自分のグラスにも少量のジンを注ぎ一口に飲んでしまった。賢明な彼は再度の落下を警戒しているのだ。 「俺も杖を取ってきたほうがいいか……?」 さすがに自宅の食堂で杖が必要になる事態には、もうなるまいと思っていたのでシリウスの杖は自室にあった。ルーピンはしばらく考えて「まさか」と言う。彼を不安にするのに十分な間があった。 それから食卓の雰囲気は一変し、なかなかの緊迫感ある団欒となった。彼等は家鳴りがするたびに背筋を伸ばし、周囲を見回した。 どうにかこうにか家が元の場所に着陸した時には、緊張を紛らわせるために飲み続けた蒸留酒がすっかり回ってふわふわとした気分になっていた。 シリウスはしみじみとした気持ちで、今年の誕生日も世界にまたとない経験ができたとルーピンに感謝を述べ、 「お前のように刺激的な人間が、俺みたいな普通の男と暮らして退屈じゃないのか時々不思議になる」 と、いっそ澄んだ目で呟いた。 ルーピンは今朝に、平凡でとりたてて取柄もない自分を客観視したばかりだったので、シリウスが何を言いたいのか全く分からなかった。もしかして着陸の際に頭を打って混乱しているのではないだろうかと心から心配して 「誕生日おめでとう。頭は大丈夫なのかな?」 と尋ねたのだった。 一度くらい「プレゼントは私」をやってもいいと思うけど 私の脳内ルーピン先生は、それを言うくらいなら 1年失踪して来年のシリウスの誕生日に 「やあやあ誕生日おめでとう!素敵なプレゼントを用意したよ!」 って言う人。 シリウス、お誕生日おめでとう! 2020.11.03 |