バースデーと贈り物4
シリウス・ブラックにはファンが多い。 その人気は母国に留まらず、海を越えた外国にも及んだ。各国魔法界のファンたちはシリウスの写真や映像を収集し、スピーチがあれば駆けつけ、彼の直筆の手紙や愛用の小物などを入手しようとした。 優れた容姿と魔法の能力、魔法界きっての有名人ハリー・ポッターに一番近しい人物である事、恐ろしい牢獄で12年囚われていた過去、誰よりも勇敢にヴォルデモートと戦った事など、彼の人気の理由は枚挙に暇がなかった。 しかし彼は己の名声には一向に頓着せず、辺鄙な場所で幼馴染と暮らしている。 シリウス・ブラックがマグルの世界に居を構えている事は魔法界で知らぬものがおらぬ程有名な話であるが、当然ながら彼はごく親しい人物や公的機関、信頼のおける転送サービス以外には住所を明かしていなかったので、自宅訪問をするファンは皆無に等しかった。 しかし完全にゼロでもなかった。 どういう伝手を辿ったものか、明らかに彼のファンの男性または女性が、感極まって敷地の外で立ち尽くしているのを年に1度か2度ほど、シリウスの幼馴染にして同居人にして恋人のルーピンは目撃した。 彼が非礼な人物に対しては容赦のない態度で接するという話はかなり有名になっているので、ファンの人々は敷地内には決して入ってこない。 シリウスが丹精して育てた入口の薔薇のアーチなどをしげしげと眺めたり、そっと触れたりしている。 名所遺跡でもない自宅に、感極まった様子で立ち尽くす人がいるのはかなり奇妙に感じられたが、門の外の「ファン」に気付いたルーピンは、なるべく彼等の邪魔にならぬよう家の中で息をひそめるのだった。 ルーピンがその人物を最初に見掛けたのは日没の頃合い、魔法界の者もマグルの者も不思議と同じように見える、フードを目深にかぶる例の格好をした彼は、他のファンがよくやるようにしばらく庭の薔薇を眺めていた。 アルンウィックキャッスルという、マグルの作りだした品種の古風な色合いをした豪華な花弁はシリウスのイメージによく似合っている。 シリウス・ブラックと夕暮れの薔薇という、児童文学のタイトルになりそうな時間を楽しんでいるファンと思しきその人物の集中を破らぬように、食料品の入った袋を持って戻ったルーピンは極力こっそりと庭を大回りして家に入ろうとした。 「シリウス・ブラックさんはご在宅ですか」 そのファンの男性の声は緊張で少し震えており、思わずルーピンも動揺して彼は今夜所用で帰宅が遅くなる旨を要領悪く語った。 「あなたはここへ週に何度くらい通っているのですか?」 男性にそう尋ねられて、ルーピンは速やかに理解した。 幼馴染で同性の魔法界のセレブと、恋愛のすえ一緒に暮らすなどというドラマチックな人生を送っているようには到底見えない地味な、よく言えば堅実そうな自分の容貌をルーピンは自覚している。 客人は、ルーピンのことをシリウス・ブラックに雇用されているハウスキーパーだと勘違いしているのだ。 「毎日ですよ。ここに住んでいるので」 にっこり笑ってルーピンは答える。その返事に何一つ嘘はなかった。彼はここに住んでいる。 客人の気は済んで、夢も壊れず、私も嘘はついていないし、八方丸く収まった、とルーピンはそう考えた。なので翌日の朝食の話題として何の気なしに友人へ一部始終を語った。 残念ながらシリウスの反応は、想像したものとはかけ離れていて、ルーピンを大変驚かせた。 「それでは仲裁を始めます」 ハリーの言葉を合図に、2人は深々と頭を下げた。大概の行き違いは話し合いで解決を図ってきた彼等だが、膠着するとハリーに助言を求める習慣があった。ハリーはそろそろ若者とは言い難い年齢に差し掛かり、気軽に動ける身分でもなくなってきたらしいのだが、この義理の父と恩師のカップルからお呼びがかかると、必ず日数を置かず顔を出すのだった。「だって、シリウスたちの喧嘩が面白くなかった試しがないから」と、彼は礼を言う2人に笑顔で答える。 「先生、申し訳ないけど、一通り話を聞いたうえで判断すると、今回は、ええとシリウスに分があります」 露骨に晴れやかな笑顔になったシリウスとは対称的に、ルーピンはやや呆然として「えっ」という短い声をあげた。 「私の何が悪かったのか、済まないけどさっぱり分からない……」 「うーん、悪いのとはちょっと違うし、非常に微妙なケースだから、言語化が難しいんだけど」 「俺も、嫉妬心のない人間に、どう説明すればいいのか分からなかった」 ハリーは眼鏡の奥で眼を閉じて3秒黙り、再び淡々と会話を再開する。 「シリウスが外出先でお腹を壊したとするでしょう」 「えっ?なにか悪いものでも食べてしまったんだろうか」 「先生そこは重要じゃないんだ。それで腹痛のせいでアニメーガスになったまま人間の姿に戻れなかったとします」 シリウスはその例え話がどこへ行きつくのか察したようで、不安そうに「ハリー……その話は適切だろうか?」と尋ねた。「シリウス。たぶん先生には一番通じると思うから我慢して」と義息は冷静に一蹴する。 「人間の姿で薬を飲んで休んだ方がいい気もするけど、まあ、分かった。腹痛のパッドフットがいる」 「そして偶然通りかかったご婦人がいます。そのご夫人は常々、美しくて大きい、賢い犬を飼いたいと思っていました」 「パッドフットそのものだね」 「そして、シリウスを彼女は見つけます。大きくて美しくて賢そうな犬。でも弱っている。病院に連れて行かなくては。そして先生に声を掛けます。この犬の飼い主はどこにいらっしゃるのかしら。あなたは違いますよね?さあ、先生は何て答える?」 「いいえ、私が飼い主です?」 「「それだ!!」」 ハリーとシリウスは同時に大声をあげてルーピンを指さした。驚いた元教師はまばたきをする。 「え?何?どれ?」 「正確に言えば先生はシリウスの飼い主ではない。「いいえ、飼い主ではありません」と答える事もできるけど、先生はそうは答えない。でも「シリウスのパートナーではないんでしょう?」という意味の問いかけは、先生は否定しない。その理由は?」 「それは……シリウスは後で本人の口から幾らでも否定できるけど、犬のパッドフットは言葉が話せないから、代わりに私が……」 「でもシリウスは不在で、その場で説明はできなかった。あとで自分の口から説明はできると先生は考えた。それと同じくパッドフットは体調が戻り次第、ご婦人の家から逃げ出すことはできるよね」 「うん……それは……」 「それは?」 「……夫人が理想通りの美しい賢い犬と、一緒に暮らせるという夢を……」 はらはらしながら見守るシリウスの目前で、目を閉じ眉を寄せて考え込んでいたルーピンの瞼が開いた。ゆっくりと彼は口を開く。 「分かった……」 「リーマス大丈夫か?人間が1日で学習できる範疇を越えてないか?」 「ありがとう、能力一杯一杯だけど、でも平気だ。つまり私には……シリウスに憧れる人たちすべてに、ある種の義務が……?」 「そう。わりとみんなは本能的にそれを知ってて、自然にやってる」 「そんな。1分たりとも気が休まらないじゃないか……」 「リーマス、なんだか生まれたての子鹿みたいになってる」 「そんな可愛らしいものではないけど、気持ちの上では結構近いかも。シリウス、私はたぶん大変な義務を怠ってきたみたいだ……。色々な人にみだりに夢を持たせてしまって済まなかった。今まで君が千回くらい怒っていたのも無理はない」 「俺の気持ちとお前の理解が100%合致しているかと言えば、そうではない気もするが、そもそも人の心を完全に理解する事など不可能だからな。ありがとうリーマス」 「……いま礼を言う前になにか長い詩を」 「気にしなくていい」 「うん、じゃあ僕は仕事に戻るね」 「こんな時間に?今夜はここに泊まって、明日戻ってはどうなんだ?」 「ふふ、シリウス何か母っぽい。その言い方。来週から家族旅行に出たいから、今週中に全部片付けるんだ。大丈夫」 「忙しいのにすまなかったね」 「たぶん父さんがいたら喜んでやっていた役割だと思うから、僕は嬉しいよ。あなたたちにはずっとずっと仲良くいてほしいし」 全ての爪がきっちりと短く揃えられている繊細な印象の指で眼鏡の位置を直して、ハリーは暖炉へ行き先を告げ、職場へと帰っていった。 去る彼を見送って小さく手などを振っていた2人だったが、やがてルーピンが真顔になって肘で隣のシリウスをつついた。 「シリウス、いまの……」 「ああ、あやうく悲鳴が漏れるところだった。まったくジェームズそのままだったな」 「日増しにジェームズに似てくるね」 「というか、確実にハリーはジェームズの年齢を追い越しているのだから、我々の記憶が上書きされているのでは?なにしろもう長い間、俺達はあいつに会ってない」 「うんまあ確かに。ジェームズがいなくて残念だね、面白いくらいそっくりなのに」 「いやもう絶対「鏡を磨く人」とか「近眼の人の視界」とか、へんてこな芸を山盛り見せられたと思うから、俺は遠慮したいな」 「それ、結構面白そうだと私は思うけど……。いやそれよりも今日から心を入れ替えて頑張るよ。なるべく君の恋人然とした挙動を心掛ける。恋人らしく……」 「むしろ俺が楽しみになってきたな……早く誰かに来てほしい」 こっそりと呟いたシリウスに、不吉な事を言わないでくれ、とルーピンは抗議するのだが立場の弱さを理解しているので、その声は自然と小さくなるのだった。 機会は思ったより早く訪れた。 秋の日の夕暮に、またもやフードを目深にかぶったその人物は現れた。その日もシリウスは不在をしていて、はてこの人は相当運が悪いひとなんだろうか、とルーピンは考える。 運の悪いその人物は玄関から顔を覗かせたルーピンに会釈をして、薔薇に再び集中し特に何も問い掛けてはこなかった。しかしそうすると自分がハウスキーパーではないと伝えたいルーピンは少し困るのだった。なにしろ「申し遅れましたが私、実はシリウス・ブラックの恋人です」 などと見知らぬ人に言える人間は少ないし、ましてや初めてその手のアピールを試みようとしているルーピンには到底無理だった。 家政夫ではないということを自然に伝えるには?ルーピンは思案する。「最近冷え込みが厳しくて毎日寝てばかりいます。シリウスにはよく文句を言われますよ」事実ではあるし自分が家政夫でないとは伝わるかもしれないが、自分が恥ずかしいばかりだし、何より突然そんな風に話しかけてくる人物は不気味ではないだろうか。そもそもこの男性は本当にシリウスのファンで、彼に恋に似た気持を持っているのか?単なる庭木の好きな人ではないのか?思案するルーピンの首は少し傾いた。 「シリウス・ブラックさんは今日はお戻りになられない?」 「……えっと最近、あっいえ、シリウス?今夜はもうすぐ戻る予定にしています」 その返事は彼を驚かせたようで、赤い唇がぽかんと開いて彼は黙った。 「では彼は誕生日をこんな家で過ごすと?」 こんな家、という言葉にあまり良くないニュアンスがこめられているのには、さすがのルーピンも気付いた。しかし大邸宅とは言えないがシリウスが手を入れている趣味のいい家だった。ささやかなプレゼントも用意している。準備した食事もきっと彼を楽しませるだろう。こんな家とは?と純粋に意味が気になって、彼の説明がなければルーピンは質問をしてしまうところだった。 「彼は華美を好んだ。趣味のいい衣装、美しい取り巻き、次々に届けられる花、センスのいい音楽、山と積まれるプレゼント、誰にも真似のできない魔法による企み」 まさに少年の頃のシリウスそのままの形容だった。あまりにも正しいので、あの恐るべき乱痴気騒ぎが見えるような気すらしてルーピンは目を細める。パーティーは何日も続いて、自分はそれを部屋の隅で眺めていた。 昔のシリウスは今とは違っていた。人の好意に対して驚くほど残酷で、けれどそれを楽しんだり、誇示したり、思春期の少年らしいところも持っていた。傲慢なくせに寂しがりやで、怠惰なくせにとびきり優秀だった。無能な人間と醜いものを心から憎悪していた。自分と暮らしている彼も根本のところは同じかもしれないが、今のシリウスはそのすべてを楽しんでいる。自分の短気も、寂しさも、無能への憎悪も。 「こんなマグルの世界の片田舎で、誕生日を迎えるなどあり得ない」 この人はきっと、昔のシリウスを知る人なのだろうとルーピンは考えた。しかし男性は現在の彼を知らない。彼はもう、珍しい品種の薔薇の花束を喜ばない。美しいファンたちとの大騒ぎも昔ほどは好まない。魔法による悪戯は今でも得意だが、それは主に旧友相手にしか発揮されない。そして彼は、ルーピンからのプレゼントを開けて心から笑い、そして嬉しそうな顔を見せる。どうしてか男性に対して申し訳ないような気持になってルーピンはうつむいた。 あのプライドが高く、星のように傲慢で残酷で、貴石のように強く美しかったシリウスはもういない。他ならぬ自分が変えてしまった。自分との暮らしで彼は変容した、とルーピンはあらためて認識した。それは嬉しいような、寂しいような、不思議な感傷だった。 「しかも1人きりで」 使用人を人間にカウントしないところからして、彼はおそらく富貴層の人間なのだろう。ルーピンは今度こそきちんと否定する事ができた。 「私がいるので彼は1人ではないです。……恋人と2人で誕生日を祝うのは、それほど変わった行動ではないと思いますが」 ルーピンにとってその発言は、一生分の勇気を振り絞った、マグルの月面着陸に等しい快挙だった。にもかかわらず、男性はまったく感心した様子もなしに激昂して声を荒げる。 「……リーマス・J・ルーピン、あの貧乏人か!?」 「えっいかにも私はルーピンですが、貧乏人!?」 そういえば子供の頃に実家は困窮していたし、簡単に職が得られなかった時代は贅沢な暮しをしていなかったがそれが貧乏という事だろうか?と考える彼のつむじからつま先まで、温度が変化しそうなほどの視線を注ぐファンの男性に、ルーピンは落ち着かない気持ちになった。男性は呆然と呟く。 「なぜ、彼はお前を……お前と……」 よく言われます、とルーピンは心の中で返事をするにとどめる。ちなみに怪しげな魔法でシリウスを洗脳している説と、シリウス・ブラックは監獄で発狂してしまった説が2大メジャー憶測である。 「彼は正気なのか?」 さすが2大メジャー説だけあって、人から問いかけられる率は高いのだった。どう説明したものかと思案するルーピンの前で、興奮した男の頭からフードが外れる。 現れたのは美貌だった。 唇は珊瑚の色。目元に濃い影を落とす睫毛と髪は漆黒。瞳は雪の降る冬の空のような神秘的な色をしていた。思わず引き込まれそうになる大きな眼。作風が特徴的な作家が作った陶磁器人形のような顔だった。ルーピンは彼によく似た人物を1人知っていた。他の誰でもない、長年共に暮らす親友にして恋人の、決して見飽きる事のない美貌。 「……レギュラス・ブラック……?しかしあなたは……」 死亡した、というのが世間の認識だった。彼は呪いの杯を飲み干して湖に沈んだ。その筈だった。 「意識と記憶を取り戻し、こんな風に歩けるようになるまで何年もかかった」 動揺を表情には出さず、落ち着いてふるまえるのはルーピンの長所だった。そのお陰で彼はあの動乱の時代を乗り切り、生き長らえている。しかしそれにしても限度というものはあった。 「それはその、よければ家の中で彼を待ってはどうでしょう。彼も喜ぶと―――」 「お前の許可など要らない。会いたければ会う」 気分を害した時の表情がよく似ていた。確かに彼等は兄弟なのだ。言うべき言葉が何もなくなって立ちつくすルーピンに「兄には話すな」と言い置いて、彼は去った。最後まで毅然としていた。 この家でシリウスが家族の話をする事は滅多になかった。ヴォルデモートの一派に傾倒していた弟を、シリウスが現在どのように思ってるかをルーピンは知らない。ルーピンもまた家族の話をしなかった。互いにそれでいいと彼は考えていた。 シリウスは変わった。ならば家族への感情もまた変化しているのでは?血の近い家族が生きているというのは、彼にとって朗報なのではないか?ルーピンは玄関に腰をおろした。 1人の人間と離れ難い関係になり、思い合って長年暮らすというのは、互いを互いの力で変化させる自由があり、そしてその変化を見守る事ができる。それは幸福であり、特権なのと同時に、責任も生ずるのだ。自分はあまり深く考えなかったけれど、と彼はそう悟る。 もう1度、昔のシリウスを思い出して感傷的な気持ちが蘇ったところで、視界に靴が2つ揃っていた。見上げると眼前に立つシリウスが気がかりそうな表情で見降ろしていた。 「まさかこの気温で居眠りをしていたのか?」 「いや、幾らなんでも。そろそろ帰ってくるかと思って君を待ってたんだよ。おかえり」 動揺を表情には出さず、落ち着いてふるまえるのはルーピンの長所で、それはシリウス相手でも例外ではなかった。普段の笑顔よりも小さくはなく、大きくもなく、丁度同じ。シリウスは笑顔を返した。 今年のプレゼントはちょっと自信があるんだ。とルーピンは扉を開ける。話すにしろ話さないにしろ、先ほどの出来事を本日中にシリウスに伝えるつもりはルーピンにはなかった。それは今日がシリウスの誕生日であるからなのか、それとも他の理由によるものなのかはルーピン本人にも分からなかった。 「俺は繊細なので、心臓に悪いのは苦手なんです教授。お手柔らかに」 軽くルーピンの頬にキスをして家の中に入るシリウスの唇は、秋の夜の温度をしていた。 小姑がうちにやってきた! そういえば私の書くシリウスって なんか原作とは、かなりかけ離れてきたよなあ… って思いながら書いていたら変な話になりました。 まあ変でない話のほうが少ないけども。 シリウス、お誕生日おめでとう! 2018.11.03 |