バースデーと贈り物2
山荘をイメージしているのか、そのホテルのバーはともかく天井が高く、何もかもが石と木で出来ており、そして大きな暖炉に火が入っていた。古めかしい鉄枠の窓は大きいが、室内は薄暗かった。酒を飲むには時間が早かったので、そこにいる客はそれほど多くない。 ルーピンは窓際の席で1人、グラスをもてあそんでいた。珍しく帽子をかぶり、サングラスをかけている。余計な装飾品を身に着けることをあまり好まない彼なので、正直なところそれらを取り払って家に帰り、ソファでのんびりと横になったらどれだけ寛いだ気持ちになるだろうかという空想を100回ばかり繰り返していたが、大人なので実行はしていなかった。 後からやってきた金髪の男が自然な態度でルーピンの隣の席に腰を掛けた。ブルーの薄いストライプのシャツに濃灰のスーツ。鈍く輝いている磨きこまれた靴。 白に近い金髪、極端に薄い唇、深いアイホールのなかの水色の目。北欧系ということなのかな?とルーピンは考える。 「お1人ですか?」 金髪の男性は突然ルーピンにそう語りかけた。ルーピンは困ったように笑う。最近は久しく浮かべていなかった曖昧な笑み。 「……そのようです」 飲み物が必要かを尋ねてきたスタッフにメニューを指し示す男性の腕にはシンプルな指輪と腕時計がはめられていた。どちらも高級品独特の威圧感を放っている。ルーピンは思わずそれらの品物に見入った。 「……な用件で?」 「えっ?」 質問を聞き洩らしたルーピンに、彼はもう一度ゆっくりと発音した。 「ここへはどんな用件で?失礼ながら商用には見えない」 「友人の誕生日を祝うために来ました。ここで待ち合わせてるんです」 「友人?恋人では?」 「そうかもしれません。ご想像にお任せします」 「相手の方はまだ来られませんね」 「いま仕事で忙しいようです。どうしてもアメリカを離れられないというので、私がこちらまで来ました」 「あなたを放って仕事にかまけているなんて酷い恋人だ。仕事と私とどっちが大切なんだ、と言ってやるといい」 ルーピンは想像したのかくすりと笑った。しかししばらく考えたあと、彼の個性的な笑いの琴線に触れるところがあったのか、段々と笑い声が大きくなり、最後には俯いて肩を揺らし笑い始めた。 金髪の男性は驚きもせず、腕を組んでルーピンの笑いの発作が治まるのを待った。そうして憮然として文句を言った。 「ムーニー、真面目に」 「私に、そういう、小芝居の、才能はないって、知ってるだろう」 ルーピンは笑いを堪えるために片目を細めて金髪の男性を見て、声を出さずにシリウス、と唇を動かした。男性は肩をすくめる。 「確かに知ってる。けど3分でも無理なのか?」 「うん、難しい。ところでその顔は形状からして変えてある?それとも私の視覚が眩まされている?」 「前者だ。何しろ今回は生物だけでなく、無数のマグルの記録機械を欺く必要があったのでね」 金髪の男性、の姿をしたシリウスはグラスを持ち上げ、ルーピンのそれにかちりと底を当てて乾杯した。 「お疲れ様」 「うん、疲れた」 そう言ってシリウスは少しタイを緩めた。現在の容姿は少しもシリウスに似ていないのだが、注意して見ていると仕草や姿勢はシリウス・ブラックそのものなのだった。知らない人間に対する無意識の緊張がやっと解けて、ルーピンは椅子に背を預けた。 「君、いまウィスキーを飲んだけど……」 「口を付けただけで飲んではいない。大丈夫だ」 「ああ、ならいいんだ」 「……ところで衝撃的にサングラスが似合わないな……」 「えっ?うん……渡米する前からずっと掛けてるけどね。君の指示で」 「いつもより視界が狭くて今気付いた。お前の顔を見れば誰だってお前が誠実な人間だと分かるが、思うにそれは目に表れてたんだな。隠すと印象が不明瞭になる」 言いたいことを全部言ってしまうくせに、何となく相手を褒められた気分にさせるのはシリウスの特性だった。本人は勿論意識していない。 「私の顔の下半分の存在意義について、非常に考えさせられるご意見をどうも」 「不便だろうがあと少し我慢してくれ。現在の俺はテロリストで、お前はテロリストの恋人だ。人生何が起こるか分からないな」 「君はむかし大量殺人の犯人という身分の時もあったからね。きっとそういう、普通ではない職業を転々とする星の元に生まれたんだよ」 「大量殺人の犯人とテロリストは職業か?」 「収入を得れば職業なのでは?」 「死喰い人は暗殺で収入を得ていたのか……?そういえば考えた事もなかった……」 「私も考えた事がなかったし、よくは知らない。今回は報酬が?」 「一応魔法省から。しかし労働時間で換算すると馬鹿らしい額だぞ」 「魔法省はうまくやったと思うよ。人選は最高だった。君には気の毒だけど」 多くの魔法使いが望んでも得られない、途方もない魔法の才能をシリウスは持っており、そのうえ彼は完璧主義者だった。少々気難しいところがあるので仕事の依頼は簡単ではないが、省の役人たちはその点もきちんと心得ていた。彼の敬愛する数少ない人物、恩師や、災禍を逃れた遠縁の年長者、彼の愛する義息の友人やその父親からの頼み。そういう方向からの働き掛けにシリウスは驚くほど弱く、そして一度引き受けた以上、どんな内容の仕事であれ彼は完璧にやり遂げる。 そもそもは、マグル界の英国首相から英国魔法省への連絡が発端だった。 彼等は魔法を使ったテロ行為を懸念しているのだという。魔法界は狂った独裁者の支配を辛くも逃れ、数年前に男を打ち倒したが、独裁者と思想を同じくする一団との戦闘でマグルの都市の建物が損壊していた。もちろん魔法界は優先的に魔法使いを派遣し、修復作業を一夜で完了したのだが、以降マグル側は魔法による破壊行為をずっと恐れていたらしい。 魔法界には実際に狂えるテロリストを出してしまったという負い目があった。よってマグル側の(経済的に優位な国が幾つか集まり秘密裏にとり決めたらしき)要求を呑まざるを得なかった。 それが魔法使いによるテロ攻撃の模擬訓練だった。 しかし魔法界にとって、それはあまりにも難しい局面で、当然ながら魔法の威力を発揮しすぎてしまえば今後マグル界との関係の悪化は火を見るより明らかだったし、かといってあまりに魔法の力を過小評価されてしまうと、組み易しと見てマグル側がどんな威圧的な姿勢に変化するのか分かったものではなかった。 そして魔法界の幾人かの候補のうち、選ばれたのはシリウス・ブラックだった。強大な魔力を持ち、魔法での戦闘経験が豊富で、逃亡潜伏をしていた過去を持つ彼は人材として最適だった。 司法の未熟さから冤罪で長年投獄されていた彼だが、魔法界独特の大雑把さで、特にその件に関しては誰も触れずに交渉は押し通された。そうしてテロリストのシリウスが誕生した訳である。 テロを行う場所として、アメリカを指定され、シリウスは旅立った。3週間前の事だった。 「1人の魔法使いがアメリカでテロ行為を行う、という情報だけで、マグル側はどこまで防衛できるかを試したかったらしい」 「うん」 「1週間は猛勉強をした。あんなに勉強をしたのは久しぶりだった」 「本を同時に2冊読める特技を発揮した?」 「発揮した。インターネットも覚えた」 「ああ、私が覚えられないやつ」 「本のない大図書館のようなものだ。どんな本を閲覧しているか政府組織は監視できることがすぐに分かって、魔法で盗み見る術式を新しく作って実行した」 「何だかよく分からないけど、すごい事は分かる」 「もう今はひたすら眠りたい。それで自分の体でのびのびと散歩したい」 ホテルのバーで、シリウスの仕事の愚痴を聞いている、とルーピンは唐突に気付いた。まるで何事もなく卒業し就職した、普通の友人同士のように。仕事内容が少々変わっているけれど。 「どうした?」 「……いや、君が弱音を吐くなんて相当だなと思って」 「そうだな。もうこの変化は二度と使わない。重いし疲れるし」 「水にも弱いしね」 「そう。この国は我が母国ほど雨が多くないので助かったが」 「今日は君の誕生日だっていうのに災難だったね」 「まあ、たまにはこういう変わった日も悪くない。俺は変装をしていて、お前は似合わないサングラスをかけていて、ニューヨークのホテルで飲みながら窓の外を見ている」 「たしかに。忘れられない日になりそうではある。いい眺めだ」 「特等席だからな。そろそろ時刻だ」 シリウスは軽く片手をあげて窓の外を指し示した。ルーピンは笑顔になって下界に目を凝らす。 初めのうちは何の変化も見当たらなかった。しかし徐々に陽炎のように色彩が揺らめいて、形が出来あがっていった。赤とオレンジとゴールドとブルーの夕暮れのパノラマにも負けない、鮮やかで美しいもの。 「虹だ……」 「そう」 2人の眼前に広がる都市に、大小幾つもの虹が出現していた。自然現象ではありえない事だったが、しかし妙に子供の頃に見た虹を思い出させる、胸の痛くなるような懐かしい色をした虹だった。シリウスの魔法は昔からこんな風に、何故か美しいのだ。長年それらを側で見てきたルーピンだが、自分がシリウスの魔法に慣れる日が来るとは思えないのだった。 「……これは、水蒸気を使った?」 「いや、自然と同じ作用で虹を作ると、見る人間の位置によって虹のサイズが変わってしまうからな。実は太陽光によるものじゃない」 「サイズは重要なのか?」 「ああ」 にやりと笑ってシリウスは指差した。 「あの虹の根元にはニューヨーク市庁舎がある。そしてもう片方の根元にはタイムズスクエア……まあ繁華街だな。そしてあの大きな虹の端には発電所がある。そのずっと先が浄水場。ここからは見えないが空港から伸びた虹が、この建物を通り越して、向こうには球場がある。あっちにあるのは有名なビルで、そこから伸びた虹は証券取引所……経済的に重要な場所まで続いている」 「なるほどね」 バーに居合わせた他の客達が、窓の外の異変に気付き小さな感嘆の声をあげた。その場にいる全員がマグルの習性として魔法界でも有名になっている、小さな機械での撮影を始める。 「入れる場所には自分で入って魔法陣を描いた。入れないところには通勤中の職員の鞄にハンカチを隠し入れて、中に入った後で落としてもらうのを繰り返し、自律結合で魔法陣を作製した。使用したハンカチは実に853枚」 「すごい、いや、君の腕は平気なのかい?」 「平気ではないが、終わってからまとめて治療した方がよさそうだ。今頃マグルの諜報部の連中は施設の監視カメラを再生して、俺の顔を割り出し、衛星カメラの数時間前の映像で雑踏の中から俺を自動でサーチして、現在位置を特定している最中だろうな…」 「マグルの人達の技術は魔法よりも魔法っぽいね。まるで神の目だ」 「そう。魔法の力は一時的に圧倒的な威力を発揮するが、マグルたちの科学技術は恒常的な機能を有する。2つが合わさると完璧な……」 ぼんやりとそう語って、シリウスはルーピンと目が合うと言葉を途切れさせた。 「どうぞ、続けて。面白いアイディアじゃないか。君が一生をかけて今の言葉を実現させても私は驚かない」 「学生時代の俺ならそうしたかもしれない。合理的な方法があるのに効率の悪い状態に甘んじるのは我慢ならなかったから。でも魔法界の不便さや欠点の多さも、味のうちだと思わないでもない。今は」 「へえ?」 「俺も歳をとったのかもしれないし、何らかの影響を受けたのかもしれない」 「悪い友人の?」 「悪い恋人かも」 「誕生日おめでとうパッドフット。君の誕生日なのに素晴らしいものを見せてもらって済まない。ごく普通のプレゼントなら用意しているから、帰ってきたら渡すよ」 「ありがとうムーニー。しばらく潜伏しているから2週間ほど後になるが」 そう言ってシリウスはルーピンの右手を握った。すぐに振り払われると予想していた彼だが、ルーピンがそのままにさせているので、やがて手の処遇に困って下ろしてしまった。ルーピンは一連の彼の表情を横目でうかがって、随分かわいらしいなと考えていた。 「人前で恋人らしく振舞うのに抵抗がなくなったと考えても?」 「いや、その顔だと君という気がしなくて。気分的には知らない紳士に手をとられた感じがした」 「そちらの方を振り払うんじゃないか?普通は」 「そうかな。知らない紳士は別に恋人ではないし……」 「お前の理屈は分からない」 「別にいいよ。帰ったら本格的に諸々の愚痴を聞くから、それまで気を付けて」 ルーピンは身を乗り出してシリウスに顔を近づけた。ふと影が落ちて、シリウスが事態を理解する前に唇が微かにそして素早く触れて離れていった。 夕日が傾きつつあった。店内にも強いオレンジ色の光が差し込む。虹の写真がインターネットを通して知れ渡ったのか、人が集まりつつあった。このビルからが一番多くの虹が見えるのだと女性が話しながら飲み物をオーダーしている。 シリウスはずっと瞬きを繰り返しながら静かに着席していた。 ルーピンは待っていたが、やがてちょっと笑ってしまって額に手を当てる。 「何か言ってくれないと困る」 「……一生この姿でいる」 「それは違う。その姿のせいじゃないよ」 「丁寧に分かり易く説明してください教授」 「君は大変だったし、疲れているし、誕生日だし、でも相変わらず前向きで君らしくて、なんだかそういう……」 「丁寧かもしれないが、分かりにくいな」 「あとどんな味がするかなって」 「どんな味がした?」 「海っぽい」 「そのままだな。俺からもキスを返したいがそんな時間はないようだ。戻ったら続きをしようムーニー」 「ああ、うん。この店にももう?」 「少なくとも5人以上」 「勘が鈍ったのか、全然分からない」 「まあその方がいい」 会話を続けるシリウスの肩に手が置かれた。「ゆっくりと立ち上がって、手を頭の後ろで組みなさい」2人のスーツの男性がいつの間にか彼の背後に立っていた。目立たないようにしているが、右手には小さな銃器が握られているのがルーピンの角度からは見える。 シリウスは指示された通りに行動し、男達は彼の手首や胴体、腰に足と念入りに武器の有無を検め始める。シリウスがこっそりウィンクをしてきたのを見て、ルーピンは目を細める。ようやく肩の荷が下りるねと心のうちで呟いて。 政府諜報機関はシリウスを拘束する事に決めたようだ。しかしどういう罪状になるのだろうとルーピンは考える。こうしてみると虹というのは絶妙な選択だったと言えるだろう。少々無理はあるが、自然現象だと言い張れなくもない。 自然界にはない材質の、グレーの細い手枷でシリウスは両手首を背面でつながれていた。肘の部分を掴まれて、彼は連行されようとした。女性の諜報部員と思われる人物がルーピンにも声をかけようとした、その目前でシリウスの体は3箇所で折れた。 掴まれた肘の部分と、力の加わった腰と、膝。その衝撃的な出来事に、訓練を受けていて滅多に動じる事のない諜報員が小さく声をあげる。床の上にシリウスが、シリウスであったものが細かく砕けて広がる。灰のようなそれは塩だった。シリウスが依代として長期間操作していたのだ。 店内にざわめきが広がった。 注目は完全にシリウスに集まっていた。ルーピンは指示通りに指紋のついたグラスを持って(2人分の代金とグラス代を多めに机に置いて)暖炉に歩み寄り、一時的にネットワークに繋げてあるそこにパウダーを投入して魔法街の名を告げる。誰もルーピンの行動に気付かなかった。それは彼の才能だった。 1週間ほど魔法界の街で滞在してから、電車を多く乗り継いで戻ってくるように言いつけられている。シリウスは驚くほど用心深いのだ。 暖炉に入る直前に見た店内では、誰も微動だにせず床の上の大盛りの塩を愕然と見降ろしていた。マグルの小さなあの機械があれば、撮影してシリウスに見せられたんだけどとルーピンは少しだけ残念に思った。 翌日の朝、シリウスに酷評されたサングラスや帽子を取って長時間熟睡し、宿で目覚めたルーピンは、ハリーからのふくろう便を受けとった。いまマグル界はアメリカで観測された多重の虹の現象でもちきりなのだという。「シリウスでしょう?」と手紙には合計で7回も書いてあった。文中にも、末尾にも。虹は様々な写真がインターネットにアップされて、どこを見ても虹だらけだという。 無意識にその手紙についてシリウスに声をかけようとして彼の不在に気付き、唐突にルーピンは考えついた。 そういえば準備期間も含めるとかれこれ1か月、シリウスと離れ離れになっていた。それは滅多にない事で、ヴォルデモートが死亡して以降は皆無といってもよかった。シリウス不在の間は時間さえあれば昼夜を問わず眠っていたので気付く暇はなかったが、もしかすると自分は寂しかったのだろうか?と。 その通りだという気もしたし、違うような気もした。10秒ほど考えてみてもはっきりしなかったので、彼らしい鷹揚さでルーピンは考えるのをやめてしまった。 ハリーへの手紙の返事に、自分の口からは何も言えないが、とりあえず虹の写真は多く保存しておいてほしいとだけ書き記す。 しかしシリウスが戻ってきたら柄にもない自分の行動について「丁寧に分かり易く」説明できるような気がした。 もちろん忘れっぽい私が覚えていればの話だけど。心の内でそう呟いて、彼は朝食前にもうひと眠りすべく寝具を整えた。 それはよく晴れた秋の日のことだった。 シリウス誕生日おめでとう! 初回がSM、第2回がCIAとの闘い、 何か方向性が見えた気がする。 そして先生が自分からキスしてくれるという…。 積極的な先生、いいですね。ドキドキします。 シリウスはもっとドキドキしていると思う。 2016.11.03 |