X心、喜ぶ

                                     喜
                                          @よろこぶ。うれしがる。
                                      Aよろこび。
                                      Bこのむ。
                                             (角川 大字源より)

 喜−前口上


読書を一つの喜びとしていたので
未だに沢山の本を買い込んでいる。
現役の頃は1冊数千円の本も気にならなかったが
さすがに年金生活者ともなると迷う。
そこで古本を買ったりするが
今では文庫本は3百円で9冊も買える
その点喜ばしい限りだが
本の有り難み感がなくなった。
案の定というか
電子書籍の時代に入って
ノート大のタブレットですべての本が納まるとなると
蔵書する喜び感も希薄になる。
映像文化で喜ぶのも新しい生き方なのだろうが
それになれるにはあまりにも老いて頑固になっている。


 喜@

生きるとは未知との遭遇と考え
その数増えれば人生充実するのだと考えてきた。
眼前にただ現れる未知も
教えられ強制される未知も
求め望む未知も
生きていればこそ遭遇するのであり
それを知ることこそ生きている証だし
人生の喜びにもなるのだと悟ったつもりだったが
年取ると新たにもの知ること煩わしくなり
知らずにいることにも喜びあると思うようになった。
未知なものを探し求めるよりも
既知のものを味わうことの方に良さ見いだしたのか
それが老いゆくものの冷めた悟りなのか
煩悩の中でさまよう今の私には分からない。


 喜A

新しい年迎える度に
1年を生きてきた喜びの度合いが強くなってくる。
年賀を交わし
「今、思うこと」書けるということ
このことこそ私が今生きていることと同義となっている。
近代哲学の祖デカルトが言った
「われ思う、故にわれ在り」が
まさに
「今思うことあり、故にわれ生けり」となって
私の喜びも大きくなるのである。
人生は中国の故事の「一炊の夢」のようだとも
マクベスの言った「歩いている影」とも
よく喩えられるが
私の場合はまさに「今、思うこと」の積み重ねだった。


 喜B

かつて大病で危篤状態になった時
不思議と意識だけは残っていて
死に逝くものの感じと思われる貴重な体験をした。
「血圧50」で周囲があわてる様をおぼろげに感じながら
そこには死の恐怖もなければ考えようとする気もない。
当然もっと生きたいと思う気持ちもなく
ただあるがままの自分を脇から聞いているようだった。
ところがどうだろう、その危機から解放された今
体に幾つも変調感じる身でありながらも
気にくわないことがあれば腹をたて
いろんなことしてみたいと思う自分を発見した。
それこそ生きている証なのだと喜びの実感走った。
そしていずれ涅槃の世界に行く身であるにしても
生かされている自分に感謝しなければとは思った。


 喜C

老眼で小さな文字読むのに苦労していたので
大きな字にしてくれる電子辞書が発売された喜びは大きかった。
その上に膨大なスペース取った各種の辞書類も
10センチ四方の薄っぺらな器具に収まっているとは
驚愕以外の何ものでもなかった。
更にはiPadなる電子書籍が販売され好まれるに至っては
その便利さ喜ぶ心にむなしさが加わった。
元々紙の本読んで糧を得てきた人間としては
そのために相当な空間占める書庫作った私の人生
いったい何であったのかと嘆くようにもなった。
そんな嘆きに拘るか
ボタン操作一つで済む便利さを喜ぶかを迷うのも
手足不自由で隠遁生活余儀なくされる私には
ささやかな選択ともなっている。


 喜D

毎回オリンピックが来ると
「がんばれ!日本」の声が不思議と出てくる。
国家意識が昂揚されるのは喜ばしいが
済んでしまえばどこ吹く風の日本の国民。
GDPの割に金メダルの数が少ないのも
政府を含めあまり一丸となっていなかったからか。
それとも「二位」でもよいする考えをよしとするからなのか。
それで思いだしたのが
外国からのトヨタ車のリコール問題。
トヨタの奢りの姿勢にも多々問題あるが
アメリカの日本車叩きに恐れをなして
政府も国民もひたすら静観。
「頑張れ!トヨタ」と喜々として応援する国民が
政府やマスコミを含め殆どないのが今の日本の特徴である。


 喜E

マスコミの態度なぜか気になる。
色々な情報提供するので喜んではいたが
全幅の信頼おけなくなった。
先人たちが築いた取材の権利に甘えて
今ではたいした努力もなく情報を
正義の味方ぶって喜々として伝えている。
御用学者や御用記者。
大衆におもねる御用司会者や御用コメンテーター。
一頃あった骨のあるマスコミ人は数えるほどになっていた。
というより彼らの登場しにくい雰囲気がたれ込め
国忘れたマスコミの欲惚けた経営主義によって
仕組まれ作られた情報が飛び交っている。
独り喜び悦に入っているのはそんなマスコミ人であり
読者・視聴者は知らぬ間にこけにされてきている。


 喜F

犬が人間を噛めばニュースにならぬが
人間が犬を噛めばニュースになるという報道の鉄則が
良きにつけ悪しきにつけ日本のテレビ界をも特徴づけた。
何かの変化があるとそれを喜ぶ人の方を選ばず
厭がる人の方を選んで放映する。
政局より政治だと唱いながら
好んで政局ばかりの放映しては喜び
だから日本の政治は三流だと悦にいっている。
よってたかって被告人にした大物政治家の誕生祝いを
映す必要もないのにわざわざ映し
小遣い稼ぎでしかないコメンテーターを使って
この政治家何を馬鹿しているのだと言わせる。
さも正義者ぶって己の利害で報道するその手法は
放送が始まり今になっても少しも変わっていない。


 喜G

かつて経済が活況を呈し
企業が大いに儲かっているという時
喜んだのは企業だけだけで
労働者に好況が少しも反映されてない事態が起こった。
何と企業は利益を従業員には回さず
ひたすら内部留保に回したということだった。
最近では官民格差のひどい中
独り喜んだのは公務員の方で
給与を決める人事院の勧告で
ワーキングプアや生活保護受給者が多出している時でも
公務員が喜びそうな勧告しか出さない。
聞けば大企業や平均年収の高いところばかりを基準にして
世間の平均値を出したらしい。
強者が弱者をいたぶって喜ぶ典型がここにかいま見られる。


 喜H

素直に考えてどうも分からないのは
米が主食の日本人なのに米作りする跡継ぎがいなく
今は年寄りによってしか米作りされてないということだ。
別に親子でなくても後継者がいなければ
確実にその産業や文化が廃れる。
どうして日本の若者は米を作ることに喜びを感じないのか。
どうして日本の若者は都会に出たがるのか。
戦後70年
日本の歪みは多方面に漏出し出してきたが
米の場合はその中でも象徴的なケースと言えよう。
後継者が育たないのはその個人にも
その在り様作った組織や制度にも問題があったのだろうが
その内に別に米を主食とせず
西洋の食べ物食べて喜ぶ日本人となってくるだろう。

  
 喜I

かつての首相の「最低でも県外」の発言が
シニカルな日本人の心を喜ばせた。
アメリカの基地は日本にはない方がいい。
さりとて沖縄県民には負担かけたくない。
その思いが首相をして言わせたのであろう。
日米安保で得して喜んでいるグループは
抑止力問題を持ち出して沖縄の重要性を持ち出すが
イージス艦持ちながらも自国守れない日本でもある。
で、アメリカの軍隊に守って貰いたいと思いながらも
わが県には来て貰いたくないと思う。
これを日本人身勝手な考えというか
それともやむを得ない考えと思うか
集団的自衛権の行使容認は戦争へ直結すると
考えるグループがいる限り頭の痛い話ではある。


 喜J

戦後長期自民党政権を選んできたのは国民。
その時自民党を選んだ国民は喜んだ。
余りの腐敗ぶりで民主党政権を選んだのは国民。
その時民主党を選んだ国民は喜んだ。
期待したほどの力なく再び自民党政権選んだのは国民。
その時自民党を選んだ国民は喜んだ。
日本を民主義国家と認める限りは
その都度選んだ国民の選択は絶対だ。
だから自分が選んだ人が当選をすれは喜び
落ちれば憂い今度はと次に期待する。
見ようによっては国民はその一喜一憂で
成長していくのかもしれない。
こうして日本が民主主義国家として成熟してくるなら
国民の真の喜びはそれからだろう。


 喜K

かつての日本は朝鮮を併合し
満州に傀儡政権を打ち立てた。
その時日本人は喜んだ。
それは日本のためでなくアジア全体のためであると
日本人は心から思い思わされていた。
翻って敗戦後の日本は
日本の領土に未だに外国の軍隊がいる。
しかも治外法権の上に進駐に対し経済的援助までしている。
何かあれば日本を守って貰えると
日本の国民は心から思い思わされているのである。
そういう思いになったのには
日本の大メディアが大いに関わっていた。
日本人の心を操作誘導することで
しめしめと喜んでいるのが今の大メディアなのである。


 喜L

人間は思い込みする生き物とはよく言われる。
これまでの歴史の中で
多くの嘘を真実と思い込んできた。
そんな嘘には
偶々に思わず飛び出た嘘もあれば
作られ仕組まれた嘘もある。
悲しませたり怒らせたりする嘘もあれば
喜ばせたり楽しませたりする嘘もある。
悪意であれ善意であれ
不幸になる嘘であれ幸せな結末の嘘であれ
人間それを真実と信じれば
それはそれでそれなりの喜び持ちながら死んでいくのだろう。
それは思い込みを許された生き物の
逃れられない夢のような権利なのである。

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