U 老に苦しむ



                          門松は冥土の旅の一里塚
                          めでたくもありめでたくもなし
                                     (一休宗純)



前口上

お正月。
冥途の旅の一里塚。
来るたびに老いたの思いが強くなる。
親父の年はとおに追い越した。
死んだお袋との間の差は
次第に縮まってくる。
あっと言う間に還暦も通り越し
はや古稀を迎えてしまっている。
しかし平和な日本にあっては
平均寿命までには
これから10年近くも生きねばならない。
目出度さも
中くらいなりお正月
と、言ったところか。

@

そろそろ潮時という考え
人間に必要と思う。
食べ物にだって
賞味期限を設け
機械にだって
金属疲労を認めるのなら
人間にだって
引退時期考えるのは
当たり前のことだと思う。
でも人間にだけなのだ。
引退しても
次の人生考えられ
死に逝くときでさえ
あの世の生活考えられるのは。

A

古稀稀なりと言われても
当人結構不足をかこつは
まだまだ拘り心あるからなのか。
確かにこれ以上求める気持ちは萎えている。
社会に出て行く気迫も小さくなっている。
病気の後遺症と納得させては見ても、
こともなげに出来ていたことが出来なっており
年のせいとは言えない恐怖がある。
昔出合った人の名前を急には思い出せなくなった。
同時に二つのことが出来なくなった。
昔していたことまで忘れたりするようになった。
挙げ句にネクタイの締め方まで忘れるようになって
単に忘れたというより
記憶の箱が壊れたようなショックを受けた。

B

長寿大国日本において
ご多分に漏れず長寿の母を介護をしていたが
最後といってもよい知己の死による
母の落ち込みは無常観さえ覚えた。
私を含めまだ身内がいたので
絶対の孤独感ではなかったにしても
心を通わせた人の一人だにいない世の中を
独り生き抜いていくことの大変さが身にしみてわかった。
その意味で「惚け」というのは
自然が与えた格好の治療薬だ。
介護する身にとれば
惚けの仕草に何となく腹が立つのは
自分はまだまだ惚けていず
健常人以外のなにものでもないと思うからなのか。

C

自ら障害持っていて
介護必要とされているのに
それ以上に悪い母の介護をしてきた。
まがうことなく我が家も老々介護であった。
生存中の母は大量の下血で周囲やきもきさせ
旧知の死で気落ちしていたはずなのに    
ものの10分も経たぬのに
ケロッとしていた。
病の進行が早いか
惚けの進行が早いか
天のみぞ知るの思いであったが
同じ介護認定受ける私としては
まだ人生の煩悩残る中に
命の摩訶不思議さ感じざるを得なかった。

D

耳順の歳もとうに過ぎ
古稀にも届けば
物忘れひどくなるのは当然か。
体にあちこち不首尾が出ても
頭はしっかりしていると
意固地になっては見たものの
ある用あって隣の部屋に
行ったはよいが何しに来たかと
思うこと重なれば
それでも普通なのだとは言いにくい。
惚けた親が1分前のことまで忘れ
同じことしている様を見るにつけ
忘れることが人生の妙薬ではなく
我が身滅ぼす毒薬のように思えてくる。

E

よいこと覚えていたいと思えば
脳はしっかり記憶してくれよと思う。
嫌なこと忘れたいと思えば
脳の記憶なくなれよと思う。
そんなこと能天気に言えるのは
これから幾つも記憶増やせる若者だろう。
ところが脳の記憶の箱が朽ちだしたのか
つい今しがた何をしようと思ったのかを忘れはじめ
昔の強い記憶も薄れはじめるようになると
どんなつまらぬ記憶でもよい
どんな嫌な記憶でもよい
それが残っているということは
まさに己の生きた証しなのだと
記憶障害の母を見て思う。

F

親の介護はどこの家庭でも行う。
一緒に住んだ私は貴重な体験をした。
かなりの認知症と
末期癌で予後少ないことを告げられる中
自分が全く判らなくなるが早いか
激痛と戦うのが早いかと不埒な心配していたが
あっけなく亡くなってしまった。
体調悪い時には「これなら死んだ方がましだ」とか
穏やかな時には「いつ死んでもよい」とかよく言っていたが
不思議にも長く生き続けたが
遂に来たその時には私の腕に抱かれながら
次第に呼吸をしなくなり仏のようになっていく顔は
介護する子供の気苦労を案じているかのように
「もう何もしなくてもいいよ」と伝えているようだった。

G

心地よい組織に属し
さんざんいい目をし
ついに定年きて組織を離れてみると
自由という名の牢獄にいる気持ちになる。
組織にいて
組織で決めた何かをして
充実した一日が過ごせたのに
組織におらねば
何かする仕事は自分が自分に与えなければ
一日が過ごせないと思ってしまう。
それもまあいい方で
その内に何もしなくても
一日が過ごせている自分に気づいたならば
これが世に言う「惚け」の始まりというものだろう。

H

第二の人生を送るとか
余生を楽しむとかの文言も
生活が保障されている上での話となれば
心地よげに響く。
現役で力一杯働いた当然のご褒美と
当事者は独りよがりに思いこむが
近頃しきりに聞こえてくる
年金は当てにならぬの話に
何となく不安がよぎる。
定年制という年齢によって差別され
現役を終えた身になって
頼りの年金までも奪われて
第二の人生、楽しい余生の謳い文句も
そらぞらしい念仏のように響く。

I

老いてきたせいか
病気の後遺症なのか
気力枯れてきたのか
動くにしても
考えるにしても
今までの3倍の時間を必要とするようになった。
大事なことしていると思うのなら
それでも無駄な時間と思わないのだが
日常生活をする上でそうなのだから
私の力も衰えたものだと思う。
でも一番苦しいのは
他人はそれを同情してくれても
腹の中では力はなくなっているなと思って
社会的に期待しなくなってしまうことだった。

J

今まで尊敬していた人は誰か。
今も尊敬する人は誰か。
これにはっきり答えられる人は
まあそこそこのことはやってきたし
これからもやれるだろう。
しかし年取っても
そこそこのことやってこなかった人は
自分の無力恥じてなかなか答えにくいものだ。
でも今の若い人にそんなこと言ったら
嫌われる以上に怒られるだろう。
プライバシーに触れるなよとか
そんな人いないよとか
関係ないよとか言われる
世の中になってしまったんだからなあ。

K

本との出逢いは人との出逢いよりおもしろかった。
遊ぶものが少なかったのと
元々本好きであったのか知らないけれど
性書から聖書に至るまで読んで
今の私が出来上がった。
「結局、お前はどんな人間なんだ」と
人から問われていろいろ答えてきたが
このごろは考えるのがめんどくさくなって
「吉田兼好」と「安藤昌益」と「山本周五郎」を足して
3で割った人間になりたかったのだと言っている。
年取った人に言うと多少は分かってもらえたが
二十歳前後の人に言うと
「それって、誰?」と怪訝そうにされて
何だか置いてけぼりにされたような思いだった。

L

病気の後遺症と老いで
遂になったかもの忘れ。
物忘れの自覚あれば
認知症ではないと医者は言うが
昔の知人の名前がすぐ出てこなくなり
ついには30年以上も通勤の駅名まで
一瞬忘れるに至って
さすがに驚き不安になった。
昔は物忘れは笑い話の種でしかなかった。
今は物忘れほど真面目な話はない。
つれて生老病死語るお釈迦さんの気持ちが
何となくわかってきたつもりになるのも
古希迎えその当事者になっても
悟りの気持ちにもなれぬ凡人だからなのだろう。

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