〜アジア横断編〜

探鳥日記 韓 国

(2001年4月23日〜5月5日)


4月23日(月)(晴/プサン(釜山)〜キムハエ(金海):30km)

 4月22日18時、下関港発。愛車のジムニーで僕と自転車を港まで送ってくれた友人に見送られ、フェリーはゆっくりと日本を離れてゆく。この3年半、一日も欠かすことなく思い描いてきた旅が、今、始まった。
 韓国語の聞こえる雑魚寝の大部屋で一夜を明かし、翌朝8時30分、プサン港着。魚臭い海風の中、荷物を満載した自転車を押して上陸。快晴の韓国へとこぎ出した。外国とはいえ、店先の看板の文字がハングルになったことを除けば、日本のどこかにありそうな港町に見える。海上には見慣れたウミネコやアマツバメ、街路樹ではヒヨドリが鳴く。建物や街灯の色づかいのセンスが少し違うなあと感じ始めるころには、ビルの谷間を飛び交うカササギや、庭木のダルマエナガに気づいた。
 目に見えるほどの差はまだ少ないけれど、実感とはうらはらに、きのうまでとは全く違う場所に僕はいる。「島」を出て「陸」に立っている! 足元の大地は、中国、東南アジア、インド亞大陸を越え、はるかヨーロッパまで続いている。そしてそこには、さまざまな鳥や虫や人の暮らしがある。・・・ということは、地図や図鑑で知った。それを今日から、自分の目と脚で、ちゃんと確かめていこうと思う。(写真:始まりはプサン港から)
4月24日(火)(曇のち晴/キムハエ〜マグムサン(金馬山)温泉北:65km)

 9時出発。国道14号線を西へ進むが、交通量が多く不快。トングプ(東邑)から北へ折れて田園地帯に入ってからは気持ちよく走れた。チューナム湖へ。ここは世界のトモエガモの80%が越冬するとのことで野鳥園になっていて、小さなゲストハウスがある。行ってみると、退屈そうに野球中継を見ている管理人ひとりと、メーカー不明のフィールドスコープ1台。のぞいてみるとおそろしく見え味が悪いくせに、かなり遠くのカモに視界を合わせている。そのうえ、動かそうとしたら咎められる始末。スコープの意味ないのである。
 北進してマグムサン温泉を通過、ナクトンガン(洛東江)の河原にテント泊。(写真:季節はずれのチューナム湖で、とりあえず鳥を見てみた)
4月25日(水)(晴れ時々曇/マグムサン温泉北〜ノンゴン(論工)西:90km)

 かしゃかしゃとカササギがテントのまわりで騒ぐので起きた。8時出発でナクトンガン沿いを上流へ。日本は国土が南北に細長く川が東西に流れているので、河川延長が短い。韓国も国土は南北に長いけれど、川も南北に流れているので、長く、広くゆったりと流れている。川砂はパウダーみたいに細かい。農耕地の広がる田舎を走る。畑にはネギや麦とスイカ。山すそは果樹園になっていて、それより上はほとんどが松林だ。日本でありがちなスギ植林は全くない。気候がよく乾燥しているのだろう。農村を走っていると、いまだに牛を農耕に使っているのに、その向こうにはハリコのような高層マンションが突然建っている、という景色に時々出会う。牛舎の前では、韓国では 留鳥のジョウビタキがさえずっていた。高速国道9号線・星山インターチェンジ近くの畑にテント泊。(写真:はたらく牛)
4月26日(木)(晴/ノンゴン西〜キムチョン(金泉):90km)

 朝テントをたたんでいるとき、畑に立ててある竿のてっぺんにきれいな夏羽のノビタキをみつけた。時々場所を変えては必死にさえずっている。8時過ぎ出発、国道はどこも車が多いので農道を選んで北上。ビニールハウスの黄色いウリが旬で、農家がいそがしく収穫していた。ためしにひとつ買ってみると、ちょうどポカリスエットくらいの甘さで疲れた時にぴったり。乾いた農耕地にはキジが多い。首に白い帯のある亜種だ。
 これまではフェリー乗り場でちょっとだけ両替したお金を使ってきた。数日過ごして物価の感覚がわかってきたので、出国までに必要な金額をクミ(亀尾)の銀行で両替。西進して、キムチョンのヨグワン(旅館)泊。(写真;場末のヨグワンに泊まる。)
4月27日(金)(晴/キムチョン〜ヨンドン(永同):50km)

 8時半出発。峠越えの日なので、まあ急がず行こうと思い、チクチサ(直指寺)に寄ってみた。どっかの偉い坊さんが悟りを開いたところらしいのだけれど、そんなことより社叢林のほうが僕にとっては価値がある。ふもとの大駐車場では何かのイベントをやっていて観光バスの列と人ごみ。寺の方はそれほどでもなく、遠足の小中学生が少し。仏閣はライムグリーンを基調に細かく彩色されていて、本堂と門の間にあざやかな布飾りを張りめぐらす。祈り方は五体倒地。思わず見入ってしまう。寺の裏には、シマリスのようなリスとヤマカガシのような蛇がいた。リスはホオジロ類の地鳴きのような声で「ツィ・・・ツィ・・・・」と強く鳴く。蛇はコブラみたいに頭をぺちゃんこにして威嚇した。峠を越えてヨンドンに近い農村にテント泊。山間部は稲作をしているので、景色はますます日本に似てくる。(写真;韓国の仏閣は原色!)
4月28日(土)(曇/ヨンドン付近〜チョンジュ(清州):85km)

 韓国でどこでもいる鳥といえば、スズメ、カササギ、ダルマエナガ。ダルマエナガはちょっとした茂みや河川敷きの下草、道路脇の法面から庭木、花壇などいたるところにいて、落実などをついばんでいる。黒いつぶらな目と薄茶色の羽色が、野ネズミみたいにかわいい。ふつうのエナガもいるけれど、これは林の中に住み分けている。「ピーウィーウィー」という声を、女の子が甘めに「ねぇねぇねぇ」と呼びかけるようなイントネーションで鳴く。「ジィジュクジュク」というような前奏を入れることもある。日本の鳥でいうと、ホオジロみたいなステイタス。もちろん韓国にはホオジロもいるけれど、今日までにまだ1羽しか見ていない。 16時、チョンジュ着。今夜から雨とのことなので、ヨグワンに泊まる。(写真;“だるま” エナガ。ころっとしてる。)
4月29日(日)(曇時々雨/チョンジュ:0km)

 天気予報どおり朝から雨だったので、宿に連泊を決めた。市街地の東側にあるサミル公園に行ってみた。アベマキっぽい落葉紅葉樹の林で、キツツキ類が鳴き、カラ類がさえずっている。フィールドガイドは、OXFORDの「A Field Guide to the Birds ofChina」を使っているが、これによると韓国ではハシブトガラが留鳥。コガラの分布は日本と中国にはあるのに、間の韓国では冬鳥となっている。コガラいないのかなあ、と思いながら散歩したのだけれど、よく観察できたのは全部ハシブトガラだった。
 実は韓国はインターネット大国で、この街にも24時間営業のカフェがある。大学生のアルバイトらしい店員は英語が話せたので、日本語が使えるようにしつらえてもらって、しばらく遊んだ。宿に戻って自転車を見ると、パンクしているうえに後輪のスポークが一本折れていた。そういえばきのう、あぜ道で棒っ切れを巻き込んだなあ、と思い当たる。暗くならないうちに修理。(写真;典型的な地方都市の郊外、だだっぴろい道路と建設中のマンション)
4月30日(月)(雨のち晴/チョンジュ〜ヨンジン(龍仁):75km)

 6時に起きて外を見ると雨だった。しかも結構な降りだ。テレビをつけると、天気予報は「午後から回復」と告げた。10時ごろ薄日がさし始めたので、自転車に荷物を積んでいると、宿の女将さんが食事を食べていけと身振りする。小さなちゃぶ台に器をびっしりと並べ、23歳の娘さんと釣り好きの弟さんを交えて4人で囲んだ。銀の箸に銀のさじ、みんなで同じ料理をつつく。毎日食べている家庭料理がおいしくないはずがない。韓国語がわからないことなんかお構いなしに女将さんが隣から一方的に話しかけてくるので、一段落したところで娘さんのほうに向き直り、真顔を作って「Speak English, please!」と言ったら、はじめ娘さんがけらけら笑い、そのあと4人でげらげら笑った。
 11時前出発。晴れると暑くなった。休憩は日陰を選ぶほどで、腕まくりしたところは真っ赤に日焼けした。午前中の雨の遅れを取り戻そうとペースを上げる。ヨンジン近くにテント泊。(写真;正統派韓国家庭料理、メインディッシュはプルコギ)
5月1日(火)(曇のち時々雨/ヨンジン付近〜ソウル(京城):40km)

 7時30分出発。ソウルを目指して北へ向かう。そろそろ田植えのシーズンが近いようで、水を引いた田んぼがちらほらあって、旅の途中のタカブシギが餌をついばんでいる。
 ソウル市に近づくにしたがって交通量が増え 、車線が増え、路上駐車が増え、歩行者が増えて、とうとう自転車に乗っていられなくなった。どんな国でもできれば首都になんか行きたくないのだけれど、中国入りする前に予防接種を受けたいので、仕方がない。5月1日メイデイは韓国では祝日で、市の中心地には何百人もの機動隊が盾と警棒を持って労働者のデモに備えていた。夕方、日本領事館を訪ね、英語の使える病院を2軒紹介してもらった。ソウル駅前のヨグワン泊。宿のおばちゃんはひどい発音だけど日本語を話す。(写真;街も人も空気も、日本によく似てる。カタカナがハングルにかわってるだけ。)
5月2日(水)(曇のち晴れ/ソウル市内:地下鉄、トレッキング)

ソウル市の北には標高800mほどのピークを連ねる山がそびえている。プカンサン(北漢山)国立公園だ。予防接種は午後からということにして、通勤のサラリーマンに混じって地下鉄に乗る。ソウル駅から30分でトボンサン(道峰山)駅、国立公園の北側登山口に近い。平日なのに中高年を中心にけっこう登山者がいる。オオルリ、センダイムシクイ、ヤブサメがさえずり、山はすっかり初夏。ゴジュウカラの明るくてミュージカルなさえずりは、夏らしくて大好きだ。ハシブトガラの巣を見つけた。親鳥が青虫をくわえて巣穴にはいると、「スィースィースィー」とかぼそい雛の声が聞こえる。出てくるときにはゴミをくわえている。最近雛がかえったばかりなのか、卵のカラをくわえて出てきたときもあった。しかもそれらを巣のそばには捨てずに、向かいの林の中までわざわざ持っていく。たぶん肉食動物に巣の場所がバレないようにするためだろう。用心深いなあ。
 そうこうするうちに昼になってしまい、あわてて下山して病院へ向かう 。英語が使える病院とはいうものの、ビーガタカンエンとかキョウケンビョウとかヨボウセッシュとか医学用語なんか知りゃしないので、和英辞典を片手に意思疎通。2軒に問い合わせたが、狂犬病のワクチンの方はなかった。まあいいや、上海でなんとかしよう。それまで野良犬には気をつけよっと。(写真;地下鉄では携帯でメールをうつ女の子を見かける。けど、ロン毛の男とミニスカの女の子はひとりもいなかった。)
5月3日(木)(曇/ソウル:地下鉄、トレッキング)

 2日前までは、今日、韓国を出国する予定だった。だけどきのう、予防接種のためにプカンサンを登山途中で下りてしまった。このままソウルを去るのはどうにも後味がわるい。威海(ウェイハイ)行きフェリーに乗る予定だったのを青島(チンタオ)行きに変更して、出国を先延ばしに。 7時に宿を出て地下鉄でプカンサンへ向かう。登山道をいくと、きのうより時間が早いせいかトラツグミの声が聞こえた。この山にはシマリスのようなリスニホンリスのようなリスの両方がいる。乾いた地面をカタビロオサムシのような虫が歩いていた。緑の金属光沢がきれいだ。つかまえてみると、日本のカタビロと同じようにやっぱり後翅があって、飛べるようだった。山頂に近づくと足元は岩になり、鎖をつたってあがっていく場所もある。ピークの岩場ではイワヒバリが独り言のようにぺちゃくちゃさえずっていた。ときどき岩の上を歩き回って、ハエか何かをついばんでいる。そして突然さえずりをやめたかと思うと、首をかしげるように空を見上げたあと、じっと動かなくなってしまった。チゴハヤブサだった。上空でしばらく輪をかいたあと、別の場所に獲物を見つけたのか、スピードを上げて降下していった。心配性のイワヒバリは岩の割れ目に隠れてしまい、もうさえずらなくなってしまった。(写真;プカンサンからソウル市を見下ろす。そのむこうには霞んで見えないけれど、中国が、待っている。)
5月4日(金)(雨のち曇/ソウル〜インチョン(仁川):45km)

 朝から雨だった。9時半まで待ってみたけれど、やむ様子もないので雨具を着て出発。今日はインチョン(仁川)まで数十キロ移動するだけの短い行程。昼には雨もあがった。国際フェリーターミナルで明日の青島行きチケットを買ってから、ヨグワンに入る。青島までは黄海を横切る20時間の船旅になる。街へ出て食料など買いこむ。(写真;小さな街でも路上に屋台が立っている。腹が減ったら立ち寄る。)
5月5日(土)(晴/インチョン〜黄海 海上:フェリー)

 韓国出国の日。11時過ぎからフェリーに乗船開始、予定どおり13時出港で中国の青島へ向かう。3人部屋で、ワニ皮商の韓国人と同室。デッキから離れていく韓国を見送ったらすることもなく、しばらく昼寝。夕食後、中国語の会話をいくつか覚えようと思い、英語と中国語の話せる韓国人の船員とロビーでお茶を飲んでいたら、中国人の小学生数人がおもしろがって話に入ってくる。通りすがりの若い男性やツアーコンダクターの専門学校生だという女の子まで、入れ替わり立ち替わり輪に入ってくるので、常時7〜8人のネイティブスピーカーに取り囲まれて、遅くまで楽しんだ。みんな明るくて親切だ。これから行く国の人たちのそんな面を見ると、少しずつ不安が和らいでいく。(写真;熱心に中国語の発音を教えてくれた「先生」。) 

  

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探鳥日記 中 国 (青島市〜上海市)