田峰観音高勝寺
田峰(だみね)観音は永禄2年(1559)から伝わる田楽祭(国重要無形民俗文化財)や
村の人たちの小屋掛けの歌舞伎があります。
ここの子供歌舞伎はイリノイ州など海外公演もするほどです。
三河のことです、もちろんお祭り弓もあります
一年のうちでもっとも寒い時期の、2月の11日から三日間かけて行われます
去年は雪が吹雪いて的がよく見えなかったそうです
この日も来る途中雪がまだ残っていました
左のハガキは案内状、新年の挨拶を兼ねて毎年来ます 右は参加賞と一緒に頂いた観音様のお札 |
本堂に掛かっている歌舞伎公演の写真 歌舞伎はあくる日で写真に取れなかったので、 興味のある方は「田峰」で検索してみてください |
石段下に霊水が涌いています。 水質もさることながら観音様の霊験あらたかということで、遠くからも車で汲みに来ます。 合格祈願でしょうか予備校のマイクロバスを見たこともあります |
石段を登ると本堂と矢場があります |
朝8時、田楽(でんがく)祭の村役さんたち | 舞い手は一週間ほど潔斎し、野菜と穀類の食事と雪の中での水ごりと、大変だそうです |
祭礼弓だけど半分連盟流が入っていて、矢代振りはなくて矢渡しがあります。 戦争前からこの矢場で矢取りをしていた古老の話では、 昔は駒形をした小さな的山で、 射小屋も狭い掘っ立て小屋だったそうです。 |
矢道わきに掛けられた願かけの無数の絵馬 これだけイッパイじゃ観音さまも目が回るかもしれません |
この写真の女性が二番金の的中者、甲矢で的中とは恐れ入りました。 お手柄でした。 女性というのも珍しいので載せました。 |
的中後、矢の刺さったままの金的が祝的のために運ばれてきました |
田楽祭の行われている上の軒にも「金奉鵠中」の揚額。 昔の額は日置流雪荷派、印西派、大和流と古流で書かれていますが、 最近の額は日弓連何段と書かれたものが多くなりました |
ボクは競射で20射7中と相変わらず成績は振るいません。 参加者44名中ただ一人の日置流の斜面射法です。 「そんな変わったコトやっとるで、あたらんだぞ」といわれることもあります この日、絶滅危惧種に指定されました |
寒くてなるべくストーブのそばへ近づこうと、座る場がありません | 自分の足元の昼食の弁当。 ちゃっかりストーブのすぐ横で、すすめられるまま茶碗にはもちろん焼酎のお湯割り |
境内からの眺め。 すぐ近くに戦国時代の山城の田峰城があります。 ここへくる途中に長いトンネルがあって、そのトンネルを抜けると急に雪が積もっていることもあって、まるで川端康成の雪国のようです |
田峰城の下の川のオシドリとマガモ。 うちの近所を流れる豊川(とよがわ)の上流です 毎年10月の中旬にやってきて、 翌年の4月まで数百羽の群れが冬を越します。 観察小屋を川べりに作って保護しています。 オシドリは美しい鳥です。 特価で買ったデジカメの性能ではこれが精一杯 |