ASの歴史
前田 晃
いわゆる「リウマチ」という病名はローマ時代の初期に、Galenusが
身体の内にいろんな体液が流れて病気が起こると考えて命名したもの
ですが、当時は必ずしも多発関節炎を意味したものではありませんでした。
文芸復興の時代までは中世の暗黒時代が続いて医学的な発展は少なく、
リウマチについても病態の究明などは行われておりませんでした。
痛風という病気はヒポクラテスの時代からよく知られておりましたが、
多発関節炎が即痛風によるものと考えられておりました。
1800年にLandre−Beuvaisが痛風と異なった症状を示す多発関節炎が
あることを知り、goute−astheniqueとして区別し、その後、Charcot、
Garrodらが慢性関節リウマチ(Rheumatoid Arthritis)と命名して一つの
疾患として確立しました。その頃は強直性脊椎炎(Ankylosing
Spondylitis−AS)はその中に含まれていました。
ASの特徴的な記述は文献的に見ますと、1691年にBernard Connerが
墓地から発掘した骨格の調査をして、胎児のように曲がった脊椎をみつけ、
脊椎と肋骨も完全に癒合して肺呼吸も十分に行なえなかったと思われる
標本の所見を記載しているのが最初です。
19世紀の終わりにRöntgenがレントゲン線を発見したことに伴って、
1899年 Velentiがこの手法を用いて強直した脊椎の所見を証明しました。
Bechterew(1893年)、Strümpell(1897年)、Marie(1898年)が
それぞれ別個に数例のASの詳細な臨床像について報告したので、
ASの病名としてこれらの報告者の名前をつけてBechterew病や
Marie−Strümpell病とも呼ばれていました。
1930年代にKrebs、Buckley、Scott、ForestierらによりASは慢性関節
リウマチの亜型ではなく独立した疾患であることが確定されるようになり、
1973年 Brewerton、SchlossteinらによってASと白血球抗原である
HLA−B27の関連性が指摘されました。従いまして、ASという病気が一つの
疾患として独立したのは、そんな古いことではありません。
以上の記述は医学的文献によるASの歴史の流れですが、果して人類が
何時頃からASに悩まされていたかということになると、人類学的、
考古学的あるいは古病理学的に研究がなされています。その手法としては、
発掘された古代の骨格やミイラの病理学的所見を参考にして疾患の発生を
予測することになります。
Egyptのミイラ研究が古くから行なわれております。古王国(BC3000年)
から中王国、新王国(BC1000年)にわたってのミイラ発掘が19世紀の後半
から現在に至るまで探索されております。古くはRufflerらはBC2900年代
のミイラのASの1例を報告しており、Zorabは大英博物館に保管されて
いる7体のミイラのレントゲン撮影を行ったがASの症例はなく、1症例に
アルカプトン尿症による脊椎の変化を認めています。Rufflerの報告した
症例を現代の医学的知識から判断すると、ASではなく骨増殖性脊椎症と
思われます。
その後、ShortはBC2000年からAD200年にかけてエジプトのミイラを
検討してその内の18例のASを認めており、ASの特徴である仙腸関節の
強直像についても記載しています。脊椎の不橈性をきたす病気としては
ASのみならず、骨増殖性脊椎症、変形性脊椎症などがあるので、
これらを鑑別する必要がありますが、古い時代の骨格が破損せずに
全体として保存されることも少ない為、骨格のみから確実な診断を下す
ことは難しいことになります。
Bloomは約2000年前のイスラエルの死海の近くの墓地Eingediから発掘
された骨格の内に2例の男性に仙腸関節の癒合と脊椎の強直したAS
症例を報告しています。
欧州以外の地域ではAD1200年のニュー・メキシコのインディアンの
骨格に、カナダではヒュロン・インディアンの骨格にASと同様の変化が
認められています。
以上のような成績を纏めますと、ASに代表される血清反応陰性脊椎
骨関節症は紀元前から稀な疾患ではありますが、世界の各地域に存在して
いたと推測されます。エジプトのミイラは可成完全に近く全骨格が保存
されていますが、他の地域では埋没された屍体の骨格は保存の程度に
かなりの差があるため、脊椎・四肢などの比較的完全に保存されたもの
は少なく、古病理学的に問題があります。現代でも各地での人類考古学的な
調査が進められているので、ASの発生時期、地域差などについて的確な
判断が下されると思われます。
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