らくちん第15号

「生きてるやん!それでええやん!!」


日本AS友の会会長 田中 健治

 大阪で開催された、日本AS友の会定期総会が盛会のうちに終って、10日程たった9月26日、私は両下肢切断手術の為に、日本赤十字社和歌山医療センターに入院いたしました。
 私のASは、全脊柱と両股関節、両膝関節が強直し、右足関節が強直しはじめてからは、通い慣れた大阪府立成人病センターへの通院を諦め、自然の流れにそって、地元のこの病院で診てもらうことになりました。
 丁度2年前の平成13年1月20日夜、「副交感神経反射による血圧低下」で、目と鼻の先の病院へ救急車で運ばれ、一週間後、日赤和歌山の皮膚科へ転院。これまでの胃や十二指腸潰瘍も、この血圧低下も全て、私がAS以外で長年苦しんできた、両下腿全周の難治性皮膚潰瘍に起因するということで、実はこの時も切断を考えました。
 麻酔科のテストでは、この足の激痛の大半が「幻肢痛」(げんしつう)であるとの結論で、東京からわざわざ友の会の井上医療部長もかけつけてくれて、医師たちと話し合いの場が持たれ、私に切断した場合のメリット、デメリットが数項目ずつ提示されて、その上で私本人が決断するようにとのことでした。
「幻肢痛」初めて耳にしたこの痛みは、簡単にいえば、長年に亘って悩に蓄積された痛みとでもいうのでしょうか。 デメリットの中に「切断後、痛みが今以上に増強することもあり得る」というのがあり、随分悩みました。  痛みを和らげる為に、麻酔薬ケタラールの持続点滴が始まり、座薬、内服薬など様々な薬が試されました。 MSコンチン(モルヒネ)も試しましたが、副作用が強くて中止。 かわりにデュロテップパッチという麻薬をしみ込ませたテープを胸に貼り付けました。
 神経ブロックを行う僅かな隙間を見付け出そうと、3D-CT(3次元CTスキャン)を撮り、コンピュータ処理をした、カラーの腰椎立体画像を初めて見ましたが、それは、まるで石膏で塗り固められた彫像を見ているようで、強直も年数が経つとこのようになるのかと驚きました。
 これでは、ドリルで穴を開けることしか方策が無いなどといわれましたが、その処置についてはお断りしました。 そんなある日、麻酔科副部長が難しい交感神経節ブロックを成功させて、痛みには直接絡んでこなかったものの、足が爪先からホカホカと、まるで温泉につかっているかのように温かくなり、思わず大喜びしたものです。
 ずぅーっと安静にしていたこともあり、かすかに回復の兆しが見受けられたので、4月30日に一旦退院。それから一年半に亘って、一日5〜6回の麻酔薬ケタラール0.5ミリの筋注、麻薬類似物質の鎮痛剤であるレペタン座薬、デュロテップパッチ、そして数種の内服薬という日々が続きました。
 退院して、どの位経った頃だったでしょうか、再び社会生活に戻り、立っていることが多くなって、ある日のこと、いつものように傷のガーゼ交換をしていた妻の表情が曇りました。 急に下腿潰瘍が広がり出し、足のくるぶしを越えて甲のところまで進出して来たというのです。 また膝のウラや膝の両横にも、異常な湿疹が固まりとなって出来だして、組織検査の答えは「悪性ではありません」ただ、これだけでした。
 よくよく考えてみますと、どうやら交感神経節ブロックで血行が良くなり過ぎたことが、裏目に出てしまったらしいのです。医療そして人体はムズカシイものですね、とブロックを成功させた副部長に話しますと「本当にそうですね」と腕組みをしたまま、考え込んでおられましたが、もういくら安静にしてみても、悪化の勢いは抑えきれず、平成14年8月には、遂に切断を覚悟。 なるようにしか成らないのだから、この際、切断したあとの諸々については考えないでおこう、「とにかく切断をする」と心に決めたあとは、随分気持が楽になったものです。
 ただ切断は、ある程度皮を残して、切断面を包み込んで縫合すると聞き及んでいましたから、急速に右膝のウラ側から大腿部ウラ側へと、一直線に上ってくる潰瘍の前兆と思われる症状は早く早く、早く切らなければ包み込む皮膚もやられてしまうと、焦る気持がつのりました。

 入院すると直ちに、筋注に加えてケタラールの持続点滴が再開され、のちに主治医となる整形外科副部長が初めて下腿潰瘍のナマ傷を診察。その時「両足いっぺんに落とすことは出来ませんか」と尋ねますと「基礎体力がありそうだから、出来ると思います」とうれしい返事。更に切断部位についても、右は股関節から離断。左は人工関節が入っているのでそのシッポの先から切断ということで含意いたしました。
 丁度その頃、麻酔科部長が、痛み方が複雑に折り重なっていることから、「これはどうやら幻肢痛だけではなさそうだ」と言いはじめ、痛みを緩和する為にありとあらゆる手立てを講じようとしていました。 そして、2度整形外科へ足を運び、「もう薬剤では限界です。一日も早く切断してあげてほしい」と頼まれたことを後で知りました。おそらくこのまま継続すれば、私の頭脳にかなりのダメージを与えてしまうのではないかと、気を揉まれたのでしょう。
 10月8日午後3時、手術場に向う時間が来ました。 部屋で水色の手術衣に着替え、ベッドのまま部屋を出ました。 この病院はなぜかストレッチャーを使いません。 移動はベッドのままか車いすに限られています。 それに過去何回も手術を経験してきましたが、剃毛なし、浣腸もなしということは一度もなく、少し不安がよぎりましたが、「感染を防ぐ為に、此処では剃毛をしないんですよ、毛深い人とか、どうしても剃毛が必要と思われる方については、手術場で部分的に剃ることもあります」というナースの説明で納得。 井上医療部長の話で、現在日本の30%〜40%の病院で剃毛を行わないようだということで更に納得いたしました。
 手術場に入ると、手術台にくっつけて置かれたストレッチャーにスライドして移され、ベッドは外に出されて、私はといえば、すぐにマスクを覆せられた瞬間から、気が付けばもう4階の自室。午後11時30分頃だったようです。
 そしてそれから10日余り、私は奇妙な幻覚と幻聴の世界をさまよってしまいました。
 術後4日間、麻薬類似物質の鎮痛剤ペンタジンを打ったということは、あとで知りましたが、それ以外で考えられることでは、これまでの薬剤を全て一気に取除いてしまったが為のリバウンド現象なのでしょうか。真相は不明です。10日目の夕刻、精神科部長の診察があり「とにかく眠って下さい」と、眠剤3錠が投与され、午後8時30分から、20時間、眠り続けました。
 午後2時頃には突然「ワォーッ」と大声を上げたとか。それまでにも両こぶしを宙に突き上げたり両腕を上げてクネクネと動かしたりとか、おかしな仕草をしていたらしいですが、とにかく目覚めた時には「あー楽になったぁ」と思わず微笑みが出て、顔面のひきつれも無くなり、妻の話では、表情が一変して穏やかになったということでした。
 不思議なことに、この時を境にして、幻覚も幻聴も煙の如く消え失せてしまいましたが、夢の中の出来事のようでも、記憶の中には一部始終がしっかり残されていて、暫くの間どこまでが幻(まぼろし)で、どこからが現実なのか、その境目がはっきりせず、当惑いました。 10日間まともな会話が全く出来なかったらしく、妻や家族たちはつらい思いをしたようです。
 両下肢を失って、身体は半分になってしまいましたが、足の存在はしっかり残っていて、下腿潰瘍があった部分はしめり気を感じます。 痛みは、時折激しく痛む時もありますが、通常は以前の1/10程度で随分楽になりました。 強い薬は出来るだけ避けたいという主治医の方針で、かつてスモン病の疾病に有効だったというノイロトロピン。 それにAS関係ではロキソニン、とサラゾピリン。 ほかは胃腸薬が処方されています。
 切断された両下肢は、すぐさま皮膚科が病理解剖を行い、「驚いたことに、両足とも全面に皮下脂肪がしっかり付いていて、潰瘍は表面のごく浅い部分だけでした(それで、感染しても、体内に入らなかった)。 又、何らかの理由で毛細血管が詰まってしまい、クルクルと悶えて死んでいく様子がよく判りました。 こういうことを繰り返していたのだと思います」という報告を受けました。
 手術の翌朝、術前日に市役所で書いてもらった埋葬許可証を持って、妻が知人の車で斎場へ行き、用意した棺に納められた二本の足を、完全に灰にしてもらいました。
 2週間目に半抜糸。 3週目で全抜糸と経過も良好で、早く帰宅して、これからの車いす生活のプランを練りたいとの思いが強く、1ヶ月で退院。 年が明けて、2回目の外来での血液検査では、ひどかった貧血も、総タンパク量も、炎症値も全て改善がみられ、嬉しい結果となりました。
 日常生活はまだほとんどがベッドの上での生活ですが、リフトに釣り上げられて電動車いすに乗り移り(脊椎が真っすぐで曲がらない為に、まだ自力では車いすに移れない)、お陰様で必要な行事にも参加出来、仕事もベッドの上でボツボツこなせるようになりました。
 未だ座り続けると、断端部が痛んだり、皮膚のやわらかい箇所に水泡が出来たりしますが、これは次第に改善されていくことでしょう。 あとは、何故かわかりませんが、毎日じん麻疹が出て唇が腫れるなどし、抗アレルギー剤のアレジオンやアレロック、ザジテン、ポララミン等、色々試しています。

 2年前に入院していた時、病棟こそ違いましたが、同じ時期、同じ病院に入院していた知人のご主人が、51才で、帰らぬ人となりました。
 最近のこと、知人とその娘さんとの間で、亡くなったお父さんの想い出ばなしをしている時に、私のことも出たのだそうです。
 「田中さんも、大変やったんよ」と母親がいうのをさえぎるように、娘さんはいいました「でも、田中さん、生きてるやん!それでエエやん!!…それでええやん」

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