〔寄稿〕

「ASは達人? 友の会は新人!」


北海道  H


 皆さんこんにちは、初めまして!! Hです。結婚してから3年も経つと、 「変わった苗字ですね」と言われることにもそろそろ慣れて来ました。 北海道で生まれ育った生粋の道産子です。 この「AS友の会」に参加してからまだ日が浅い新人です、 よろしくお願いいたします。


 さて、私の発病は1990年、10歳の時でした。 その後病名がはっきりとしたのは、 それから20年後、30歳になってからのことでした。 その間の20年間、 それなりに痛みも心労も悲しみもありましたが、 あんまり楽しいお話にはならないので割愛することにします。 ASの患者さんなら、 誰もが通ってきた道だろうと思いますから…。


 「強直性脊椎炎」なんて強そうなゴツい病名を知ってから1年後、 つまり31歳になっていた私は、 痛みによりまったく身体を動かせない寝たきり状態になっておりました。 上半身も起こせず、椅子にも座れず、ドアも開られないのです。 布団に横たわってただ痛みに耐える日々、あれは地獄でした。

 しかしそんな地獄の日々の中、夫は一言の文句も言わずに、 仕事と家事と介護の三本立てをこなして生活してくれたのです。 布団で痛いとうめくだけの私を見ても絶望しない彼に、 毎日救われながらどうにか生きておりました。


 しかしまぁ痛いものは痛い。 痛みがおさまらないことに疲れきった私は、 思い切って井上先生にFAXを送ることにしました。 東京のお医者様は、 田舎の主婦を相手にする時間なんてないのだろうと半ば諦め半分で…。 椅子に座れないので布団の中で、 ぐちゃぐちゃな文字だったのを覚えています。

 すると私の予想に反して、 その日のうちに井上先生からの返信が届いたのです。 病気のこと、今後の治療のこと、 何時間もお話ししていただけました。 ASは痛みそのものも問題ですが、 何より先の見えない不安や痛みへの恐怖が大きな敵です。 先生はその敵を、何度も毅然と追い払って下さいました。 私にとっては英雄のような大きな存在です。


 それから井上先生にご指示をいただき、 ステロイドを試しトラムセット®を飲み、 それでも駄目だったのでレミケード®にトライしたのでした。 そうして私の半年に亘る寝たきり生活に、 終止符が打たれました。

 寝たきりからの脱却とレミケード®開始から、 そろそろ1年が過ぎようとしています。 この1年は痛みも落ち着き、家事をしながら毎日平和に暮らしています。 不安の種は尽きないですが、椅子に座れて、 自由に歩けるこの生活を、毎日尊く大切に考えています。

 痛みが和らいできた私が最初にやったこと、 それはラーメンを食べることでした。 布団に寝たきりだと食べられないんです。 熱々のラーメンを食べながら泣きました。 そうです、私食いしん坊なんです。

 次に、所属していたアマチュアオーケストラに復帰をしました。 大学の専門が声楽だったこともあり、趣味で楽器を演奏していたのです。 夫と出会ったのもオーケストラでした。 寝たきりで天井を見つめるだけの日々の中、 音楽は私の人生にとってはなくてはならないものだと改めて実感したからです。

 私がやっているのはファゴットという木管楽器です。 6 kgほどもある大型のものですが、 幸い演奏中はほとんど身体に重さがかからない仕組みになっています。

 楽器や楽譜、譜面台などの必要なものは、全て夫が運んでくれます。 たまに痛みで練習中座っていられないこともありましたが、 それでも気合でどうにか練習を重ねています。


 復帰して最初の定期演奏会は、ベートーヴェンの第九でした。 「歓喜の歌」として知られるあの曲です。 満員のお客さんに囲まれ、 優しい仲間たちとともに演奏ができたのは奇跡のような体験でした。 あの瞬間、私は世界で一番幸せな人間だったに違いありません。


 私の趣味はもうひとつあります。それは旅行です。 今年はすでに仙台、根室、京都、夕張に行きました。 根室旅行は自家用車で移動しました。 総移動距離はなんと1,250 km、 「北海道はでっかいどう」です。

 車の座席はそのまま座ると痛みが強まるので、 私専用にクッションや首枕、背当てなどを完備しました。 これで長距離移動もバッチリです。 京都は「AS友の会の女子会」、飛行機での一人旅でした。 同じ病気の仲間に出会う、忘れられない旅になりました。

 いつでも好きな時に歩けるわけではないことを、 今でも痛いほど切実に感じています。 レミケード®を使っている問の限られた時間しかないと思うと、 やりたいことが山のように押し寄せてくる感じで、 どれだけ時間があっても足りない想いがしております。


 オーケストラでたくさん演奏して、 旅行に出かけて美しいものに触れて、 美味しいものを食べて…、 そういう幸せな時間をできるだけ多く過ごせるように、 毎日を大切に全力で生きていきたいです。 私を支えてくれる先生や家族、仲間たちに感謝しながら…。



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