S.S. 流星群が肉眼で見えるというから、 夜中に思い出したように近くに 住む友人に「今から城址公園へ流星群を見に行くぞ」と電話して 誘ったことがある。 不躾な電話にも彼は快く受けとめてくれた。 彼とは大学の頃からのフォークソングのバンド仲間で、 「おまえ、 おれ」と言い合える数少ない友人の一人だった。途中の コンビニでつまみのヤキトリと缶ビールを調達し、 指定した場所に つくと、 あとからすぐ彼も軽トラックでやってきた。車を下り、 なだらかな坂道を10分ほど登りつめたところが公園の入ロで、 こんな夜にはひとっこ一人いやしない。ここから見下ろす夜景は 100万ドルとまでいかないまでも、5万ドルくらいの価値はあると 思う。ところが、にわかに空模様が怪しくなり、 どんより雲が 垂れこめ、今まで見えていた星が全く見えなくなってしまった。 どうやら諦めたほうがいいかもしれない。 しかし、諦めきれずにいる僕の機嫌を損ねぬように、彼は遠虞気昧に 「どうも今夜は見られそうもないな」と、ベンチに腰掛け震えながら 缶ビールで乾杯したのを覚えている。あいにく流星群を見ることが できなかったけど、こんなわがままをも受けとめてくれる彼の やさしさが身にしみた。 あの日、飲みかけのビールをベンチの横に置いて、 「あと3年もしたら、また、あの時のようにバンド組みたいな」と 彼は言った。 あと3年という設定に特別の意味があった訳じゃない。 「いつかきっと」と同意語だった。 3年もすれば、今より少しは ゆとりも出てくるだろうし、そんな願望と淡い悔いのもとに算出した 3年であったに違いない。 手のうちに、まだたくさんの明日というカードを握っていると 信じていた。 この冬でちょうど3年目にあたる。 約束をした彼は今はもういない。 逝ってしまった。春になると、この公園は一年で一番賑わう季節を 迎える。 地元では桜の名所で知られ、 わざわざ遠くから家族連れで やってくるらしい。 沢山の花見客でごったがえす華やかな公園も なぜが僕には淋しい。 …今したいことは、今やるに限る。 熱いものは熱いうちに、 冷たい ものはぬるくならないうちに、一番好きなものを最後までとっておく なんてしないで、 好きなものから食べるのだ、と。 「もう少ししてからでも十分に間に合うって思ってた。 だから、 したいことを後回しにしてきちゃった。 いつかきっと、 ってね」。 病院のべッドの中、 深く息をして眠ったままの8月があった。 「いつかはきっと」は同時に、今日を明日につなぐ弾みでもあった。 子供の頃、たくさんの「いつかはきっと」をポケットに隠し持っていた。 いつかはきっと英語がペラペラになって、みんなを見返してやろうとか。 いつかはきっとサイモンとガーファンクルのような曲を作ってやるとか。 そして今でも多くの「いつかはきっと」がある。 実現したものはほとんど ない。目の前にある今とつきあうことが最優先で、「いつかはきっと」は 暖昧な見積書のようなものでしかなかった。 来年、僕は50を迎えようとしている。 40代はまだ「いつかはきっと」で よかったかもしれない。 でも50を過ぎてからの「いつかはきっと」はちょっぴりせつない。 |