T.M. 田中会長と私との出会いは、会長が寝た切りとなって1年半(1960年) にさかのぼるが、会長が「AS」を発症されて間もない頃であった (その時、まだ「AS」なる病名は無かった)。当時、会長は、 原因不明の強烈な痛みと昼夜をわかたずに闘っておられ、その不安と 苦痛の中で、その後の人生の「門」を開かれつつある時であった。 会長は母上と姉上との3人で大阪府池田市に住んでおられたが、会長の 伯父にあたる原田美実牧師(私の信仰上の師)が月に一度、東京より 御西下され、会長の枕元で数名の青年に「三国志」を講義されていた。 その集いに私が参加させていただいたことが、会長との最初の出会い であった。以来、四十余年の星霜、友情は堅く、水魚の交りを重ねて 今日に至った。 私は、「第9回東京大会」に再婚(田中会長夫妻が仲人・司式?) したばかりの妻をともなって出席させていただいたが(1999年9月)、 参加者の多くの人々が、同病であるという連帯意識の他に、それぞれが 互いに、個人的、またはグループ的に強い友情・信頼感によって結ばれて おられることを感じさせていただいた。このことは、会長だけではなく、 井上事務局長にも言えると思う。先生は普通の整形外科医じゃない。 また「AS」の仲間であるというだけではない。会員一人一人と個人的な 結びつきを大切にされる。それを通じて、人生を共に歩もうじゃないか、 そういうことを考えておられる。全国の会員は、それをアンデンティティー にして、この会を成立させている。 考えてみれば、人と人との結びつきは、さまざまな縁によって生じるが、 その縁が「AS」という難病であってもいいではないか。人生において、 またとない出会い、友情、信頼関係を得ることが出来るのであれば、 「AS」もまた「快哉」でないか。 私は「AS」患者ではなく、はじめから賛助会員として、この会に 加えていただいているので、「AS」の痛みや、それによって生じる 悲喜交々に対して、会員の皆さんとは同じ目線でみていないかも知れない。 しかし、田中会長夫妻との四十余年の親交を顧みて、田中会長夫妻が、 長年にわたる闘病生活の中で縁があって結ばれた(決して数は多くない) 友人を一人一人大切にして、どんなことがあっても自らの意思で、 離れて行かれたり、見捨てられたりされたことがない生き方を見て、 青年時代「三国志」を共に学び胸をときめかせた理想が、この会で 実現されているように思えてならない。 「AS」の会に、そんな雰囲気、薫りを感じられるのは、決して 私だけではないと思う。出席された会員の一人一人の顔が、すがすがしい 勇者の顔をしておられたのである。 ●アイデンティティー(広辞苑) 人格における同一性 あらゆる人の一貫性が成り立ち、それが時間的、空間的に他者や 協同体にも認められること |