2005年7月16日(土)
 


△▼7/16のゼミ▼△


本 日の作品

ストーリー      2
出席者: 女 3   男 6


 と書いて、「女」「男」という表記が乱暴に思え、「女性」「男性」にしたら、これまた丁寧すぎてしっくりせず、「女子」や「男子」では中学生みたいにう けとられそうで、元に戻した。それにしてもいつもは意識せずにいるが、あの「女子アナ」とか「女子バレー」とか言うあの「子」はなんかオカシクないか?
 他にも「紳士・淑女」「雄・雌」とかいろいろあるものの、日本語は難しい。「お若者」とは言わないのに「お年寄り」だし、いつのまにか「看護婦」は「看 護師」に、「痴呆症」は「認知症」になっちまった。ボクはそういうのには大反対だが、馬鹿な流れに抗すべくもない。
 で、卒論で安吾をやり、かねがね「正しい日本語」をと心がけていそうな(一方的にボクが思ってるんだが)O 君が半年ぶりに現われた。ここのところ土曜日が仕事で来れなかったらしい。頸が痛くてといっていたK さんも元気な姿を見せてくれた。やはり、ゼミは賑やかなのがいい。
 重量級の作品2本で、充実したゼミだった。



1.城ノ口作品「スパイダーな日々」(ストーリー)

 作者苦心の構成で、今日現在の恋の流れに、かつての2つの「愛の話」がサンドイッチされる形をとる。映画用というだけあって、およそぺラ、7,80枚も あろうかというボリュームのあるストーリーだ。
 まず、伸びやかな筆の流れに好感を持った。読んでいて、スーツとお話の中に入っていける。「ン?ここ、何をいいたいんだ?」と引っかかるところがない。 いつの間にか登場人物の気持ちに添い寝できる。これはとても大事なことだ。
 左子と朝陽は毎朝同じ電車の同じ車両で会社に通勤する。どうやら二人はお互いを意識しあっているらしい。ある日、明日から女性専用車両が出来ることに なった。朝陽はがっかりする。きっとあの人はそっちを利用するだろう。ところが、翌朝彼女はいつもの席にいるではないか。こうして二人の恋が始まった。
 二人は30歳ぐらいで、決して若いとはいえない。だが、爺さん婆さんだろうが、中学生だろうが、世の中に援交があろうがなかろうが、おおかたの恋はそう したものだ、と作者はしっかり「恋」の本質にピントを当てている。
 そこが心地良い。そりゃそうだ、20年30年で人間がそう変わるものではない。テレビで見る渋谷の、おじさんに金で付き合う少女達だって一度本気で男を 好きになれば、その心の動きは似たようなものだろう。
 さて、二人にはそれぞれ高校時代に、「悲しくも切ない恋」の思い出があった。左子の相手と朝陽の相手とは実は、というのがこの作品のミソなのだが、そこ は伏せるとしてーーーそのありようを描く作者の「目」は初い初いしく、すがすがしい。
 朝陽と左子は10数年前を追想してこういう。あの頃は携帯電話がまだなかった。でも今は、「蜘蛛の巣のような時代だよ、どんどん糸をつむいで繋がって、 獲物や情報をキャッチしてー」と朝陽。「ううん、昔もそうだった。今より細くて防ぐスピードは遅かったけど,一生懸命だれかと繋がっていたいという気持ち は変わらなかったと思う。糸はすぐ切れちゃったし、弱かったけど、でも何度も頑張って太い糸になったところもあるよ」と左子。
 ちなみに、左子の恋につけられたタイトルは「私が恋だけ食べて生きていた頃」で、朝陽の方は、「オレの地球がサッカーボールだった頃」であります。
 意見が飛び交った。「二つの恋(かっての)が似たようなのが物足りない」「最後結婚式で、昔と今がドッキングするといのはどうかなあ」「現在の二人を もっとかき込んだ方が」「かつての、それぞれの相手を絡ませて、ラストをつくれたらいい」。
 加えるに、忠太郎はゼミの発言を訂正します。昔、二人が会ったことがある部分だが、やはり、左子は朝陽を一瞬でも目に留めたほうがいい、と思い直しまし た。暑いけど、がんばれ。


2.内野作品「からすの子守唄」(ストーリー・2稿)

 1稿の前回ゼミのまとめでボクはこう書いた。「この作品には,ずばり意見を言えないもどかしさがある。それは、とりもなおさず、このヒロインがボクの中 に住み始めているからだ.時間をかけて、その(魔像)を膨らませてほしい」と。
 その思いは今も変わらない。実は、もう何十年も前の助監督の頃に「海の告発」(山川方夫)という小説に魅せられてペラ300枚のシナリオを書いたことが あるのだ。それは、伊豆の大島航路の船の上から、若い母親が生後7ヶ月のわが子を海に捨て、新聞記者が彼女の心の闇を探っていくという話だった。いわば、 心理サスペンス仕立てで、「女」を描ききるぞお、という野心に包まれてプロデユーサーと会った。だが、若い僕のシナリオは未熟でおまけにこちらの意気込み にヘキヘキした彼は、「もっと勉強」と一言いってシナリオをつき返した。
 その夜のボクは泥酔した。終電の高尾の駅で車掌に起こされた。
 シナリオは紛失していた。
 この作品とは設定が違うが、母親の子殺しには違いない。「母親に実の子が殺せるか?」という意見も出たが、確かに最近伝えられるのは、子供の親殺しばか りだが、逆だってありうるのです、ただし、そういう人間と状況を描ききれるならば。
 読んじゃいないが、ギリシャ悲劇の「メデイウス」も母親の子殺しだし、松竹で作った「鬼畜」(原作・松本清張)もそうだと聞いている。映画見てないし原 作も読んでないから間違いならごめんだが、野村さんの作品だからアシモフさんが知ってるかも。
 「海の告発」のヒロインは、ふとした気まぐれの旦那の浮気と家出をきっかけにして、自己崩壊を始めていきます。平凡だが幸せと思い込んでいた(家庭生 活)にある喪失観を覚えるのです。
 これまでの自分は?亭主とは?そして絶えずむずかるこの赤ん坊は?
 彼女の心にあるのは(空白)だけだ。もう一度だけ何かを確かめたくて、彼女は子ズレで新婚旅行の地、大島を訪れる。勿論何かが見つかるはずはない。どこ ろか、逆にもし旦那が急に現われたりしたら困ってしまうとおびえる。そして帰りの夜の甲板で、彼女はこれまで数限りなく歌った「子守唄」を歌うのです。
 というわけで、若い頃そのヒロインと格闘した経歴があり、その思いは今もボクの心に解決できぬままに巣食っているわけなんです。
 「海の告発」は送ります。参考にしてください。
 男が見た「母性」と、女が捕らえた「母性」、その違いはあるだろうが、作者の「目」で真知子を一度つきはなし、もう一度懐に抱く作業の繰り返しを重ねる しかない。なぜならこの話を発想したのは内野さんだから。大事なのは「筋」ではない、真知子の「心」です。
 そして「からすの子守唄」と真知子がリンクしてなければ、という声が出たことは忘れてはいけない。ストーリーの3稿ではなく、普通に時間を追って真知子 の「心」を今一度自分の中で検証することを薦めます。この作品に限っては、断じて「筋」ではない。大事なのは、暴力的なまでの作者の真知子への「思い」で す。



 Jさんはアフターをパスして、預けてあるタケルを引き取るために帰った。聞けばご主人は今日はマウンテンバイクで山登りだという。
 ボクも山歩きでよくマウンテンバイクの逞しい男達を羨望の眼差しで見る。「吹けば飛ぶよな将棋の駒に賭けた命を笑わばわらエーー愚痴も言わずに女房の小 春」(王将)、男と女はそれでいい。さすれば、赤ん坊を海に捨てずともすむ。 
 かわりにリッキーをつれたNさんが現われた。彼女はリッキーを隣りの椅子に座らせるなり注文より先に、ボクにこういった。「あの、今日の作品読みたい」 と。
 Nさんの神経は「スパイダー」と「からす」に集中している。完全にモードを母親からシナリオ作者に切り替えている。そのうち眠いリッキーが彼女の胸に 移ってきたが、母の視線は二本の作品から外れる事はなかった。にもかかわらず、安らかなリッキーの寝顔。
 ボクはそれを見ながら、「海のー」も「からすー」もやはり女(女性)のものだ、と思った。






次回は、2005年8月6日(土)(ただし、夜6時から)。
9月は、3日、17日です。


東京芸術劇場5F/NO4会議室
時間は、いつものように、13:30〜17:00

教室が変わる場合があるので、入り口のボードで確認してください。

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今までにみんなの書いたシナリオのリス トを整理してありますので、
それもご覧ください。

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