記事タイトル:ロマン・ロランについて 


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お名前: 高砂子 通子    URL
昔 今のロマン・ロラン研究所でなくて、あるかたが中心になってロマン・ロラン研究所のHPをやっておられました。私も随分tea roomに投稿させていただきました。そのごHPが変わり投稿もできなくなりましたが、私もあれこれ書き込みすぎて新しい翻訳が必要ではと余計なことを書き込んでtea room が暴走してしまったためかもしれません。
どもその当時は大変おもしろかったのです。ある言葉がどの巻のどこにでていたかとか、中心で活動されていたかたが科学者でもあり、そのかたのHPで楽しませてもらいました。家にうかがったこともありました。そのかたは、残念ながらお亡くなりになられ私も寂しい思いをしていましたが、まためぐり合ったという気持ちです。全集を読み「戦時の日記」では、第1次大戦も今も状況の変わっていないことに、暗然とした気持ち
になりますが、「魅せられたる魂」を幾度も読みそのたびに新しい発見があります。10
代、結婚、子育て、そして60代目前の今。読むのに辛くもなりますが、今もすこしづつ読んでいます。ロマン・ロランの宗教感やは良くわかります。彼の心のなかには神がいました。
彼の病気も今のように酸素療法治療ができていればもう少し長く持ち、第2次世界大戦もみられただろうにと思います。そうするとロシアにたいしてどのように思っただろうかと考えます。どのような体制でも人間の愚かさ、欲は変わらないのですね。昔中国にあこがれたことも、今はなつかしい思い出です。これからもロマン・ロランとともに生きて行きます。
[2008年6月7日 13時7分31秒]

お名前: 栗城   
中島さんの作品素敵ですね、筆遣い配色など素晴らしいです。

ロマン・ロランについての記載読ませて頂きました。以前、美術館で作品に
ついての感想などお話頂きましたが何故共通した部分がたくさんあったのか
今、理解でき嬉しく思います。

神については幼い頃から悩んでいました、周りの人が神仏に手を合わせる事
は不思議でした、自分だけが分かっていないような気がしていましたのでそ
のような場所へ行くのも嫌でした、お釈迦さんを偉大な哲学者であるとどこ
からか考えを持ってきて気持ちが楽になったこともありました。

美術に興味があり絵を描くのが好きな少年でしたが挫折しました、絵を描い
て評価を得てはいましたが、心には直感が働きもうやめた方が良いと思って
いました、自分の絵に何も感じていなかったのです、自分のことは自分が一
番わかっていると思っていたからです。

写真学校で今でも親友の東さんに出会いました、彼は映像を目指していたの
で一緒に映画を観たり旅行へ行きました。お互いに多くを学びました懐かし
い、今思うと人生にこんなにも楽しく過ごせた時があったのかと思えます、
おそらく二度とないかも知れない、彼との対話には物の見方や哲学・宗教な
どとあらゆるジャンルが飛び交いこれでもかこれでもかと討論していました、
世間では学生達が盛んに闘争を繰広げていましたが時代的には終息に向かい
つつある頃でした。
そんな青春とも思える頃、ロマン・ロランに出会いました、ジャンクリスト
フです、そして密かに心に生涯のテーマとして「LIFE」を選びました。
中島さんの記載を読んでいて想い出しました、ありがとうございます。
[2002年11月3日 22時7分21秒]

お名前: 中島明子    URL
ロマン・ロランを愛読している人は日本人には多いと思います。私もその一人ですが
小説ではなく、その人の自伝をロラン風に愛を込めて書かれているだけでなく、実に
その人の息使いのようなものが、きめ細かに描写され 読んでいるものの心を離しま
せん。私が始めて読んだものはロマン・ロランの自伝だったと思います。病弱だった
ためいろいろな所を転地療養しながら生まれたという文学は宗教的であり、さらに生
と死の狭間に生まれた、静かな叫びのようなものを感じました。それだけに人の心を
揺さぶるようなものがあります。読みながら私は本に線を引く癖があり、そのうち線
だらけになってしまうこともありますが、ロマン・ロランの本などもその一つだと思
いますどの自伝小説を読んでもとても面白く、大いに励まされますので今何を読んだ
ら良いのかわからない人には是非おすすめしたいとおもいます。そのなかでも私はト
ルストイの生涯をバイブルのように大切にしています。いつも思うことは、翻訳をす
る人がそのまま表現できているだろうかと思ったりしますが、私の感じるロマン・ロ
ランは、たぶん間違いなく翻訳されているように思います。これはまったく個人的な
ものですが、読者の一人としては大切なことだと思います。ロマン・ロランもトルス
トイも芸術というものを芸術としてではなく、生きる力あるいはそれなくしては生き
ていけないような、もっと深いところに位置づけています。私はすべてにおいてあま
り知識を豊富に持ちません。それよりも自分の感じるものを信じるようにしています。
神を信じるというよりは神の存在を信じています。かたちでもなく宗教でもなく、大
いなる自然の中にそれを感じます。

ここにロラン20歳の折に書き記したノートの中から芸術への思いをご紹介します。

「どこに私は支えを見出すことが出来るだろうか?それは芸術ではない。それは
一番深い糸で私につながってはいるが、もし私が芸術しかもっていないとしたら
私は破滅にみちびかれるだろう。・・・・私を支えるのは、内面的な生命を実現
しようとする、激烈な生命力だ。私の生命を創造する。私は死ぬか創造するか
どちらかだ。芸術創造は私にとっては、一つの職業、または娯楽ではない。それ
は生または死の条件なのだ」

つまり彼にとっての創作は生命を創造することだったのです。
この言葉に私は共感するばかりです。創造とは生きる事そのものなのです。
[2002年11月3日 8時56分16秒]

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