澎湖 ポンフー 諸島

台湾海峡の十字路に浮かぶ海のオアシス
季節漁業の基地、風待や補給の港として各地からの船で賑わった
宋元は平湖 明は彭湖 清から澎湖と 漢字は変わるが発音は同じ
16世紀に寄港していたヨーロッパ人からは 「漁夫の島」と呼ばれる
17世紀にはオランダ人や鄭成功がシーレーン制覇のために築城
日清戦争後は 日本の植民地となり海軍基地が置かれた
近年は海鮮と並ぶ観光資源として 歴史的景観の復元をすすめている


良港に面した中心都市マコン  本来は「媽宮」だったが日本統治時代に「馬公」に変わる


1907年に事故で沈んだ日本軍艦松島の慰霊碑   正面は外洋との出入口
右側がマコン    左手の高台には17世紀のオランダ要塞があった


5000年前の土器片が採取された遺跡
すでに台湾側から季節的に漁に来ていたらしい


島内で出土した宋代の陶磁器    裏には墨書銘もみえる


大井の石蓋に4つの汲穴があるマコンの四眼井  今も現役
元の時代に掘られたという   周囲の古街は景観復元工事の最中


マコンの天后宮  台湾最古の媽祖廟   日本で嵐に遭った江南軍が
媽祖に祈ってこの島に漂着   神力を称えて祀ったのが始まりともいう


天后宮内の博物館に保存されている古い石柱
紅毛番(オランダ人)を退去させた記念銘を刻む


西嶼にある清末の資産家の邸宅  内装は中・和・洋のミックス


島の周囲には沈没船も多く  水中調査も 近年はじまっている


現在も軍事上の要衝であることに変わりない


侵入阻止のため 海岸のいたる所に植えられているサボテン


サボテンは「仙人掌」という   果実はアイスやジュースの原料にも

調査歴:2002年10月村井科研4班台湾調査

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